「樹〜! やったやった俺たち同じクラスじゃん!」

 桜が舞い散る中、昇降口脇の掲示板には新しいクラスが発表されていた。今日から僕たちは、高校三年生になる。僕よりも先に到着していたらしいボウがいつものように背中側から飛び乗ろうとしてきたので、さらりとそれをかわす。この流れもすっかり日常となった。

「倉田も同じでよかったじゃん」

 同じクラスの中にボウの想い人の名前を見つけそう言うと、ボウは「そうなんだよ! 運命かなやっぱり!」とガッツポーズを決めた。本当に、いつでもお気楽な男だ。ボウはいつでもポジティブで、どうしたらそこまでプラスに捉えられるんだ?と不思議になるくらい思考が明るい。

「朔田とも同じかぁ」

 ふと、隣から自分の名前が聞こえて顔を向ける。そこに見えたのは、さっぱりとしたショートカットの女子の横顔。なんとなく見覚えがあるその横顔をじっと見つめていると「何よ、またお前誰とか言うんじゃないでしょーね?」と彼女がこちらを向いて、やっとそれが咲果だと気が付いた。

「なんだよお前! 髪の毛どこやったんだよ!?」

 僕に遅れて気付いたボウは思い切り素っ頓狂な声を上げ、咲果からチョップをくらっている。

「たまにはいいかなーって思って切っただけ」

 僕が出会ってから、咲果はずっとロングヘアだった。それを高い位置でポニーテールにくくっていて、体育の授業のときはお団子ヘアによくしていた。それがどうやら、春休み中にばっさりとカットしたらしい。なかなかに思い切ったイメチェンだとは思うけれど、快活な雰囲気の咲果にはよく似合っている。
「いいんじゃない」と僕が言うと、咲果はにかっと歯を見せたあとに「さっすが朔田! わかってる〜!」とばしりと僕の背中を叩いた。彼女もまた、僕らと同じ一組だ。

 時間は経過している。あの奇跡の流星群の日──気付くと僕は部屋のベッドで眠っていた。テレビやネットでも季節外れの流星群の話題なんてひとつも出ていなかったし、起きてから急いであの公園に行っても、もちろん誰もいなかった。
 もしかしたらあれは夢だったのかもしれない。それでも僕の中には杏果が涙を流しながら笑ったあの表情がくっきりと焼き付いていたし、透き通るような声も何度だって思い出すことができた。そして何より、僕は自分の想いを失ったりはしていなかった。杏果があの冬に確かに存在していたことを証明するものは、僕自身で十分だとそう思ったのだ。

 あの日を最後に、杏果は僕の前に姿を現していない。

「ねえ朔田、ちょっといい?」

 咲果は珍しく声を潜めてそう言うと、倉田に夢中になっているボウを置いて昇降口脇の人気の少ないところまで僕を連れてきた。

 咲果と僕は、今ではいい友達だ。不躾だった僕のことを彼女は「寝ぼけていた」という一言で許し、そこから新たな関係を築いてくれた。
 咲果は背負っていたリュックサックを体の前へとまわすと、そこからビニール袋に入った何かを取り出してこちらへと差し出した。ちなみに今まで、彼女から何かをもらったことなんてない。

「……早く受け取ってよ」

 むっと口を尖らせた咲果がぐいっとそれを押し付けたから、僕は少し戸惑いながらもそれを受けとる。カサリと袋から中を取り出せば、オレンジ色のマフラーが目の前に現れた。

 どくんと心臓が大きく揺れる。間違いない。これは杏果の──。

「朔田に持っててもらった方が、杏果も喜ぶと思って」

 首に手を当てながらそっぽを向く咲果の頬は、ほんの少しだけ赤く染まっている。

「どうして……」

 その後の言葉が見つからない。確かに杏果と僕は、同じ時間を過ごしていた。だけどそれは咲果の知らない間に起きていた出来事のはずだ。

「朔田に『お前、誰?』って言われた前日、夢を見たの」

 咲果はもごもごとそう言った。もしかしたら彼女自身、未だ半信半疑なのかもしれない。

「杏果が出てきて、『ごめんね、ちょっと貸してもらったよ』ってわたしに言ったの。それでなんとなくわかった。わたしには空白の二ヶ月がある。だけど断片的にね、あんたと杏果が過ごした記憶がちょっとだけ残ってた。あ、本当ちょっとだけね。杏果が朔田を〝いっくん〟って呼んでたこととか、朔田のギターに合わせて杏果が歌を歌ったこととか」

 彼女の告白に、僕の中に残っていた小さな疑問の答えが見つかったような感覚がした。きっと彼女は最初、〝僕の知る咲果〟を演じようとしていたのかもしれない。呼び慣れない彼女が放った〝いっくん〟が不自然に僕の耳に響いたのは、そういった理由だったのだ。

「杏果の夢を叶えてくれて、ありがとう」

 咲果はそう言ってぺこりと頭を下げると、倉田たちが待つ場所へと走っていった。
 残された僕は、手元に残った柔らかなオレンジに目を落とす。

 ばたばたと忙しなく、賑やかな毎日がまた始まる。ここに杏果はいない。だけどなぜだか、彼女はいつもそばにいてくれるような気がしている。

「僕のほうこそ、ありがとう」

 オレンジ色のマフラーに向かって、僕は小さく微笑んだ。