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これまで僕は一体何度、公園へと続くこの道を通っただろうか。自宅から五分ほどにある小さな公園は、引っ越してきたばかりの頃に偶然見つけた場所だった。
最初はひとりでギターを弾くためだけに通っていた。咲果と出会ってからは、彼女に会うために通った。
今夜はこれが、僕を〝本当の彼女〟へと導いてくれるたったひとつの道に思えてならない。
真冬の明け方というのは、冷え込みが一番厳しくなる時間帯だ。ビリビリと凍てつくような空気が鼻先を掠めたが、僕は構わずに全速力で坂道を駆け抜けた。
確証なんかはない。根拠だって何もない。だけど何かが僕を突き動かす。
それは理屈ではない、この世に存在する言葉をどれだけ駆使しても言い表せない何か。
「杏果っ……!」
いつもの公園。ベンチ代わりにしていた段々に重なるコンクリート。僕たちだけの、秘密の場所。
そこに、もこもこのオレンジマフラーをぐるぐるに巻いた制服姿の彼女は立っていた。川の方を向いている小さな背中は、僕の声にびくりと跳ねる。
──咲果、じゃない。きっとここにいる彼女は、僕がずっと一緒に時間を過ごしてきた〝杏果〟。
ゆっくりとこちらを振り向いた彼女は、僕の姿を認めると、眉を下げて笑った。足元にはいつものように、マルの姿もある。
「……いっくんってば、こんな時間にどうしたの?」
その呼び名に、胸の奥はぎゅうっと切なく締め付けられる。
そうだ、そうだよ。僕のことを〝いっくん〟だなんて呼ぶのは、この世界でたった一人しかいない。やっと会えた。やっと声を聞けたんだ。
走り出したい衝動を抑え、僕はゆっくりと階段を降りていく。彼女のいる場所へと向かって、一歩一歩ゆっくりと。
「流星群がよく見えるのは、明け方だって言ってたから」
つい先程夢の中で見てきた過去を手繰り寄せ、僕は小さく息を吸う。
今まで通りに、いつも通りに。
本当は怖かったんだ。僕が少しでも本題に触れたら、この瞬間が散り散りに消えてしまうんじゃないかって。彼女が僕の前から、幻のように消えてしまうんじゃないかって。
だけど彼女は、突然消えたりはしなかった。僕が正面まで来るのを、じっと待っていてくれた。
「〝妹〟に、会ったでしょ?」
「──うん」
僕の答えに彼女は眉を下げて笑い、それからポニーテールのゴムを解いた。ふわりと舞うロングヘアは月明かりに透かされ輝いてから、彼女の肩へとゆっくりと落ちていく。それが、彼女の秘密が明かされる合図だったのだろう。彼女はひらりとスカートを翻すとそのまま段差に腰を下ろした。いつも僕たちが座っていたのと、同じ場所に。
「いっくんのことだから、きっともう、大方予想はついているよね」
何から話せばいいのかな、と彼女──杏果ははらりと頬にかかった髪の毛を、綺麗な指先で自らの耳へと掛ける。
──やっぱり綺麗だな。
そんな場違いなことを、僕は素直に感じていた。
「わたしの名前は、沢石杏果」
静かな声で、彼女は自身のベールを脱いだ。