父は投稿全てに目を通すと、小さく息を吐きながらスマホを僕へと返した。それからぽん、と一度だけ僕の頭に手を置いた。それは昔、よく父がしてくれた懐かしい仕草。

「お前が作ったものが、たくさんの人の心を震わせたんだな……」

 ぶるりと全身が大きく揺れた。伝わった──、のだろうか? 潤みそうになる瞳を父に向ければ、そこで、キリッと相手の表情は厳しいものに変わった。

「──でもな、やりたいことだけをやって生きていけるほど、人生は甘くない」

 ガリッと奥歯が擦れる音が聞こえた。小さく芽生えた期待感が、一気にぐしゃりと踏み潰される。それは小さな火花を散らし、胸の奥をチリリと焦がした。

 ──なんだ。やっぱり大人には、何を言っても無駄だ。何をしても、何を見せても、認めてなんかくれない。型にはめて、自分の都合通りに育てたいだけなんだ。

「樹、同じことを繰り返したらいけない」

 父は静かに、だけどはっきりとした口調でそう言った。
 本当は全てをシャットアウトしたかった。それでも父が放ったその言葉には、引っ掛かる何かがあって僕は思わずそちらを見る。

「お前はずっと、サッカーだけを追い続けてきた。でも怪我をして、どうなった? 自分でもさっき言っていたように、サッカーを失うことで、文字通りの空っぽになったんじゃないのか?」

 その問いに、僕はごくんと空気の塊を飲み込んだ。悔しいけれど、父の言う通りだったからだ。
 僕が空っぽになったのは、ずっと僕がサッカー〝だけ〟をしてきたから。そこに依存して、〝サッカーをしている自分〟にしか価値を見出してこなかったから。

「音楽をやめろなんて言わない。本気でやりたいならばがむしゃらに向き合え。だけど、やるべきことはやらなきゃだめだ。自分の世界を自分の夢で狭めたりしないでほしい。広い世界を、見てほしい」

 どくり、どくり。全身をやたらとゆっくりと熱い血が巡っていく。ひとつひとつの細胞に父の言葉を言い聞かせるかのように、じっくりと。

 大人なんてなんにもわかっていやしない。親なんて、周りの目のためだけに子供に勉強やスポーツをさせるんだ。テストの点数とか、チームのレギュラーとか、一番とか二番とか、そうやって数字がつけられるもので上位を取らせたがる。〇〇大学に進学とか、ネームバリューのあるもので〝できる子〟という肩書を持たせたがる。

 ──僕らにとっての大人は、そういう存在のはずだった。そう思うことで自立したつもりになっていたんだ。

 僕は、がくんと頭を下げる。張り詰めていたものが、ぶつんと切れたような感覚だ。

「進学も音楽の道で考えてるなら、きちんと父さんと母さんを納得させるだけの結果を出すように。音楽においてだけではなく、全般においてな」

 そう言った父は立ち上がると、今度は僕の肩に手を置いて、グッグッと二度ほど力を加える。それからやっと聞き取れるくらいの声でこう呟いたのだ。

「やっぱり、ここに引っ越してきて正解だったな」──と。


 パタンと閉まったドアの音を合図に、そのまま仰向けに倒れる僕。天井のライトはいつもと同じ白い光を発しているだけ。それなのに、いつもより眩しく感じて目元を両腕で覆った。

「高校生って、不自由だな……」

 ぽつりと零す僕の本音。だけど本当はもうひとつ、口には出せない本音もある。

『──見守られている、のかもしれない』

 認めたくなんてない。大人は身勝手で都合が良くて、ずるくて卑怯だ。だけど本当は、それだけではないとしたら? 自分勝手な大人たちにも僕らのように十代だった過去があって、今の僕のように大人に対して憤っていた時期があったとしてもおかしくはない。だけどそれをすんなりと認めるには、僕はまだまだ青くって。

「もう少し大人になったら、何かわかんのかな……」

 大人でもなく子供でもない僕たちは、そんなあやふやな時期を綱渡りするように歩いている。親に素直に甘えるだけの子供じゃなくて、だけど親の手から完全に離れるほどの大人でもなくて。

 子供と大人、一体どちらが本当の自由を手にすることができるのだろうか。そんなことを僕はぼんやりと思ったのだった。