──コンコン。

 そのとき、遠慮がちに部屋のドアが叩かれる。慌ててスマホを枕の下に滑り込ませたのと同時にカチャリと扉が開いた。本当は寝たふりをしたかったのだが、残念ながら時すでに遅し。パジャマ姿の父が僕の部屋へと入ってきてしまっていた。

「……なに?」

 しっかりと目が合ってしまったので、仕方なく僕はベッドの上で体を起こす。普段父親がこんな風に僕の部屋へ改めて来ることなんて滅多にない。何か話したいことがあるのだろうか。
 うん、と短く返事ともとれない言葉を口にした父は、僕の勉強机の椅子に手をかけこちら側へ向けると、腰を下ろした。
 先日進路のことでぶつかりはしたけれど、その後、両親が改めて僕に何かを言ってくることはなかった。翌朝にはいつもと変わらなかったから特に気にしていなかったのだが、まさかまたそういう話なのだろうか。
 自然と表情が強張っていったのかもしれない。父は困ったように小さく笑うと、「そんな構えなくていい」と息を吐いた。

「──樹、歌を歌っているのか?」
「……!」

 静かに発された父の言葉に、喉の奥でひゅうっと呼吸が変な音をたてた。次いでひんやりとした嫌な汗がこめかみあたりに滲む。やっぱりそうか、と呟いた父は、何かを考えるように黒目をじっと天井へと向けた。

 どうして知っているのだろうか。夜に出かけているところを尾行されたか、それとも部屋でギターを弾いていることが増えたからそう思ったのか。

「原田くんのお母さんがな、今日お前のことを吉祥寺で見かけたと母さんに連絡をくれたんだ」

 小中高が同じだった同級生の名前が出て、僕の心臓はどくんと大きく高鳴った。
 確かにあの場所は僕が生まれ育った街で、知り合いに見られる可能性は大いにあり得た。それでもいいって、数時間の前の僕はそう思ってギターを取り出したのだ。
 しかしそれが間接的に両親へと届くだなんて、そこまでは予測していなかった。穏やかでいつも優しかった、原田の母親の顔が浮かぶ。

「すごくうまかった。楽しそうで幸せそうで、聞いている人たちもいい顔をしていた、って言っていたぞ」

 前かがみになって足の上に組んだ両手を置く父は、思いの外優しい声でそう言った。その内容が僕の予想していたものとは大きく異なっていて、思わず顔をあげてしまう。否定的なことを言われると思っていたのに、僕を見つめる父の藍色の瞳は、穏やかな色を含んでいた。

 僕の瞳の色は濃いブルーだ。とは言っても西洋人のそれとは全く異なる、青みがかった黒というような感じだ。ぱっと見れば真っ黒。だけど光が当たったときには、ほんのりとブルーが現れる。これは父親から──引いてはじーちゃんから引き継いだものだ。
 僕は小さい頃、とても父親に懐いていた。仕事であまり家にはいなかったけれど、その分たまに訪れる休みがすごく楽しみだったし、どんなに小さなことでも褒めてくれる父に様々なことを報告するのが楽しみだった。小学校低学年の時には、それらをメモするノートまでつけていたほどだ。
 それがいつからか、報告なんてしないようになった。褒められても口先だけなんじゃないかと勝手に思うようになって、そんな手には乗らないぞなどと思うようにもなっていたのだ。こうやって直接目線を合わせて話すなんて、いつ以来のことだろう。

「……楽しいんだ」

 ぽつり、僕は想いを言葉に乗せる。父は黙って聞いていた。

「サッカーを無くして空っぽになった僕を、救ってくれたのが音楽なんだ」

 それに気付かせてくれたのは、咲果。
 今思えば僕は、彼女とあの公園で出会う前から曲らしきものは作っていた。何も考えずに弦を弾き、思うままにメロディに言葉を乗せただけのそれ。きっと僕はずっと前から、音楽に支えられてきていた。

「何もかもどうでもいいって思った。どうせこのままつまらない人生を送っていくんだろうなって腐ってた。だけど──、この場所に来て、やりたいことを見つけたんだ」

 僕は枕の下からスマホを取り出すと、先程残したスクリーンショットを父に見せた。たくさんとは言えないけれど、僕らの音楽が誰かの心に届いたのだという確かな証拠を。

「甘くはないってわかってるよ。それでも本気なんだ、こんな風にまた何かを追い求める日が来るなんて自分でも思ってなかった」

 気付けば無我夢中で訴えかける自分がいた。
 なんでだろう。これは僕の人生で、決定権は自分にあるはずなのに。父親にどんなに反対されようと、僕は僕の道を行くんだって強く決めていたはずなのに。
 それでもやっぱり、認めてほしい。心から応援してほしい。昔みたいに、褒めてほしい──。