「レトロなお店だね。かわいい」

 二階の奥の小上がりに腰をおろした咲果は、きょろきょろと店内を見回しながらまた謎の〝かわいい〟を発動させた。女子にとってはどんなこともかわいく見えるのか。それともかわいいと思えるものを見つけるのが得意なのか。僕にはちょっとよくわからない。ただ、ここの料理はなんでもおいしいことだけは間違いない。

 お昼前ということもあり、二階席には僕たちの他に客はいない。きっとこれから混んで来るのだろう。
 おばちゃんはお水がなみなみと入ったグラスをふたつ、ちゃぶ台の上に置いた。手のひらにすっぽりと収まってしまうくらいの小さなグラス。それすらも懐かしい。
 咲果はテーブルの上に置いてあった、クリアケースに挟まれたメニューの表裏を何度もひっくり返しながら「どれにしようかなぁ」と悩んでいる。

「いっくんは何にするの?」
「僕はラーチャセット」
「なあにそれ」
「ラーメンと半チャーハン、餃子のセット。ちなみにスープもついてる」
「すごい豪華!」

 それでも値段は六百八十円。なんとも良心的で、学生に優しい価格設定だ。咲果も同じものと言いたかったようだが、そのボリュームに断念したのかもう一度メニューへと視線を落とした。

「野菜タンメンも美味しそう……でも餃子も食べたいな。あーチャーハンもやっぱりいいなぁ」

 そんな風にブツブツ言う咲果に、僕は苦笑いをこぼす。

「タンメンにしたら? 餃子とチャーハン、僕のあげるから」
「ほんと!?」

 顔を勢いよく上げる咲果に、注文を待っていたおばちゃんも声をあげて笑う。咲果はそれに気付くと少し照れたように肩をすくめ、それからおばちゃんと一緒になって笑っていた。

 久しぶりに食べたラーメンは驚くほどに味が変わっていなくて、チャーハンのパラパラ具合も、餃子の皮のパリパリ感も、スープの具の少なさも、何もかもが一年前と同じだった。

「美味しかった〜!」

 タンメンのスープまでも綺麗に飲み干した咲果は、ぺろりと口もとを舌でなぞってから満足そうに笑う。

「気に入ってくれて良かったよ」
「ここはいっくんの好きな場所?」
「そうだな……、思い入れのある場所かな」

 ここを初めて訪れたのは、中学二年の冬だった。サッカー部の先輩に連れられてやって来たのが最初。自分たちだけでの外食はあまり慣れていなくて、一気に大人の仲間入りをしたような気持ちになったのを覚えている。
 そこからしょっちゅう、部活後に仲間たちとここへ足を運んだ。運動部に所属する男子中学生、男子高校生は驚くほどに食欲旺盛だ。部活後にラーメンを食べ、帰宅してから夕飯を食べるという流れは、勉強をすることより簡単なことだった。
 練習での反省点や試合の振り返り、深夜にやっていた海外サッカーの話題を、僕たちはラーメンを食べながらここで話した。新しいユニフォームを作るならこんなデザインがいいとか、もしも自分がプロになったらどのチームでプレイしたいかとか、そんな話ならいつまででもできた。そんな時間を共にできる仲間がいた。

 怪我をしてからは、この店はおろか、ここへと続く路地にすら足を踏み入れることもできなかったのに。またこうしておばちゃんの笑顔を見られて、この味を感じることができるなんてあの頃は思ってもみなかった。
 きっと僕ひとりでは、ここを訪れることはできなかったかもしれない。

「いっくんの思い出の場所、ひとつめクリア!」

 架空のスタンプラリー用紙に判を押すジェスチャーをする咲果に、僕はそっと目を細めた。