ターミナル駅で乗り換え、約十五分。出発してから約一時間三十分。僕たちはついに吉祥寺駅に到着した。
「うわぁ! なんかかわいい!」
駅を出て最初に彼女が発したのは、そんな言葉。一体何が〝かわいい〟なのか全くわからない。目の前に広がるのはタクシーとバスでごった返すロータリー、それから大きなアーケード商店街の入り口だ。
この景色のどこを切り取って咲果がそんな言葉を発したのかは皆目検討もつかなかったけれど、とりあえず喜んでいるみたいだからそれでよしとしよう。
「それにしても、すごい人だな……」
そう言ったところではたと気付く。日曜のお昼時、吉祥寺が混んでいるのは当然のことだ。吉祥寺にとって当たり前のこの風景を特異だと感じるのは、今の僕にとっての日常があの街での静かな日々となっている証拠だ。そのことが、なぜか少し嬉しかった。
「まずは昼ごはん食べようか」
「やったー!」
目をキラキラと輝かせながらあちこちを見ている咲果は、まるで遊園地に初めてやって来た小さな子供みたいだ。今日は思い切り、楽しませてあげたい。
「あの番組に出てたカフェに行ってみる? ここからすぐだよ」
テレビに出演すると、どんな場所でも途端に人だかりができるものだ。番組ではふわふわのパンケーキが大人気だと言っていたからもしかしたら混んでいるかもしれないけれど、幸いまだ開店前。店の前で待っていればすんなり入れる可能性もある。
場所を調べたら、一度行ったことのある焼肉定食店の跡地だった。よくも悪くも、この場所は店の入れ替わりが激しい。
カフェを目指そうと一歩進めば、くんっと袖を後ろに引かれる。そこでやっと僕は、咲果が立ち止まっていることに気がついた。
「いっくんがよく行ってたお店に連れて行ってほしいんだけど……、だめかな」
ついさっきまでの勢いはどこへやら。咲果はなぜか少し恥ずかしそうに目を伏せながら、そんなことを言った。あれだけテレビで興奮していたのに、そこではない場所へ行きたいと言い出すのが恥ずかしかったのだろうか。
「僕が行ってた店……?」
こくんと彼女が顎を引き、僕はよく部活帰りに仲間たちと通っていたとある店を思い浮かべた。
細くて汚い路地を行った先にある、小さな小さな中華料理屋。扉を入ると四人掛けのテーブルがひとつとその奥に厨房があり、脇の細くて急な階段を上がるとまたまた四人掛けのテーブルがふたつ、奥に丸いちゃぶ台のある小上がりがある店だ。仲間たちと行くときには二階をほぼほぼ占拠するような形で、それでもお店のおばちゃんは快く僕らにおいしい料理を出してくれた。あの店にも、怪我をして以来一度も足を運んでいなかった。
「おしゃれじゃないし、咲果の好きそうな〝かわいい〟とは縁遠いところだけど……」
そう言えば、パッと咲果は笑顔を咲かせる。
吉祥寺に憧れを持つ女子高生を連れていく場所ではないような気もするが、本人がいいと言っているのだからいいだろう。それに、僕も久しぶりにあそこのチャーハンとラーメンが食べたいし──。
そうして僕たちは、商店街から一本裏の、薄暗い路地に足を踏み入れたのだった。
「いらっしゃい──あらあらあらあら久しぶりねえ!」
キィ、と背の低い扉を押し開けると懐かしい声が響いた。いつも笑顔で僕たちに優しく接してくれたおばちゃんは、今日も変わらずにそこにいる。
「ご無沙汰してます」なんて僕が返すと、「やあねえそんな大人みたいなこと言っちゃって!」とおばちゃんは目尻を下げた。
おばちゃんが僕を覚えていてくれたこと、久しぶりでも変わらずに迎え入れてくれたことが嬉しくて、くすぐったくて、僕は曖昧に笑うだけだ。しかしすぐに咲果の存在を思い出し、ドアを開けたまま彼女に階段を上がるように促した。おばちゃんは「こんにちは」と小さく頭を下げる咲果を見てから、もう一度僕を見てにこにこと微笑む。
もしかして、家族や親戚に彼女を紹介するときってこんな気持ちなのかな、なんて考えがよぎり、僕はぎゅっと奥歯を噛んだ。そうでもしなきゃ、口元がだらしなく緩んでしまいそうだったから。