◇
駅の改札前、そわそわとした気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと踵を何度か上下させる。ちょっと早く来すぎてしまっただろうか。腕時計を見れば、待ち合わせの時間まであと十分あった。
今日は日曜日。もちろん学校は休みで、普段ほとんど使うことのない駅で僕は咲果のことを待っている。
ちなみに当然のことながら私服姿だ。彼女と夜に公園で会うときには適当な格好だったが、今日はそういうわけにはいかない。こうして休みの明るい時間に改まって出かけるわけなのだから、一応僕だって気合を入れてみたというわけである。
細い黒のジーンズにグレーのトレーナー、その上には黒のブルゾンを羽織り、足元は黒のスニーカーという至ってシンプルなスタイルだけど、一番気に入っている格好でもある。ちなみに背中には、ギターケースを背負ってきた。
──と話が逸れたけど、ここで僕は彼女と待ち合わせをしているわけだ。目的は、東京へと向かうため。
きっかけは僕がメッセージによるやりとりを反省して、学校で謝罪したことだった。
「許してあげてもいいけど、ひとつだけ条件がある!」
両腕を組んだ咲果は、大げさにふんぞりかえってやたらと堂々とした口調でそう言った。
「な、なんだよ」
「わたしをキチジョージに連れていくこと!」
実はこの前日、ゴールデンタイムに放送されているテレビ番組で吉祥寺が特集されていた。どうやらそこで紹介されたカフェやお店に興味があるらしい。それくらいで彼女の機嫌が直るなら、と僕はその条件を呑んだのだった。
もう一度腕時計に視線を落とす。時刻は九時五十五分。この時間を指定したのは咲果のほうで、理由はお昼ごはんは絶対に吉祥寺で食べたいから、というものだ。
自分の住んでいた街だから、ある程度案内できる自信はある。幸いにもきっかけとなった番組は僕も見ていたから、あそこに出ていた場所に連れていったら喜ぶだろう。
そんなことを考えていれば、「いっくーん!」という声が通路の向こうから聞こえてきた。
「ごめんっ、遅れちゃった?」
僕の姿を見つけてから小走りでやって来た咲果は、トレードマークともいえるオレンジ色のマフラーを今日もぐるぐると巻いている。それでもいつもは高い位置でくくっているポニーテールが今日はおろされゆるくカールしていることとか、膝丈の深いグリーンのプリーツスカートからすらりと伸びる脚とか、ほんのりとメイクされた表情だとか、耳元でキラリと揺れる輝きだとか。そういうものが、彼女にとっても今日という日が〝特別〟であることを示しているようで、なんだか落ち着かない気持ちになる。
本当は、かわいいとか似合っているとか、そういうことを言ってあげた方がいいのかもしれない。だけどそんなこと、恥ずかしくて素直になんか言えないんだ。
「遅れてない、時間ちょうどじゃん」
そっぽを向いてしまうのは、他にどうしたらいいかわからないからだ。
咲果はなぜか勝ち誇ったようにふふっと笑うと、トンッと背けた顔の正面側に回る。
「いっくん、私服もかっこいーね」
ぶわりと一気に、体中の熱が顔に集まる。咲果はそんな僕を見ると楽しそうに笑いながら、「ほら行こっ」と先に改札を抜けたのだった。
──イツキング、きみの笑顔に完敗。
頭の中で、阿呆みたいなそんな見出しがぽかんと浮かんだ。