「音楽を学ぶ・進路、検索っと」
家に帰った僕は、パソコンと向き合いながら今日もらったパンフレットをぱらぱらとめくっていた。
あの後、自転車を漕いでいる間に一気にグレーの雲が真上を覆い尽くし、大粒の雨を降らせた。気象予報士さえも読めなかった雨雲の到来により、カッパも傘も持たない僕はびしょ濡れで帰宅。玄関から風呂場に直行し、現在に至るというわけである。
今夜も両親は仕事で遅いので、冷蔵庫にあった肉じゃがとご飯をレンジで温め、部屋に持ってきている。
ボツボツと雨粒が窓を叩く。この調子では、今夜は止みそうにないだろう。僕たちがいつも過ごすあの公園には座るに困らない階段や、さびついたシーソー、ちょっとくたびれたウサギとカメのゆらゆらと揺れる遊具はあれども、雨を凌ぐ屋根はない。つまり、今夜の咲果との時間は明日に延期、ということになる。
はあ、と知らずのうちにため息がこぼれ落ちると、それを見ていたかのようにスマホが震えた。見れば咲果からのメッセージだ。
『雨、止まなそうだねぇ』
文の最後にはTの文字がふたつ。泣き虫マークだ。
『天気予報では雨じゃなかったんだけどな』
『人間には予知できないことも、予想できないことも、この世の中にはたくさんあるんだよ!』
「なんだそれ」
彼女から届いたメッセージに、思わずひとりごちてしまう。
咲果はスマホを持っていない。正確には、持っているのだが壊れてしまっているという。修理をするにもお金が足りない、ということで現在お小遣いを必死に貯めている最中だ。
ではこのメッセージは何で送ってきているのかといえば、自宅のパソコンかららしい。もともと学校にいる間、咲果はほとんどスマホを使っていなかったようなのであまり不便さを感じてはいないとのこと。
それにしても、スマホがだめならばパソコンからもメッセージが送れる、だなんて本当に便利な世の中だ。
『今何してたの?』
ポコンと画面に現れる彼女の言葉。
『飯食いながらパソコン見てた』
『お行儀わるーい!』
文字だけなのに、ケラケラと笑う彼女の声が聞こえるようだ。
『そっちは? もう夕飯は終わった?』
時計を見れば、時刻は六時を回ったところ。普段僕たちが会うのは七時半頃なので、多分今くらいが沢石家の夕飯時だと踏んでいる。彼女は家の話をほとんどしないので、だいたいは僕の推測ばかりだ。
僕が知っている確実なことといえば、咲果には同じ高校に妹がいる、ということくらい。……いや待てよ、本当にそれしか知らない。
家族以外のことは、だいぶ知っていることが増えてきたと思う。歌を歌うことが何よりも好きなこととか、オレンジ色のマフラーは本人がとても気に入ってお小遣いをはたいて購入したものだとか、たこ焼きが大好きで帰り道に倉田とよく食べに行っていることとか、鞄の中にはいつもチョコレートが入っていることとか、猫の中でもちょっとブサイクなくらいの顔の猫が好きなこととか。
それでも家族のことや進路のこと、将来についての考えなどは聞いたことがない。というよりは、聞き入る隙を与えてくれないというのが正しいかもしれない。
もともと、聞かれたくないことは触れない主義の僕だけど、正直に言えば咲果のことはもっと深い部分まで知りたいと思うようになってしまっているのが本音だ。
『終わったよ! そういえば、この間の曲のタイトル、決まった?』
ほら、こんな風にすぐに話題を変えてくる。僕が察しのいい方だということをわかっていて、わざとこうして無言の牽制をしてくるのだ。それがすごく歯がゆくて、もどかしくて、それでいて少しだけ怖い。この線を越えようとすれば、あっという間に手の届かないところへ行ってしまうんじゃないかって。最近の僕はそんなことを考えてしまうのだ。