咲果はこの半日に全てを詰め込むかのように、その後も色々な場所へと僕を連れ回した。咲果が通ったという小学校や中学校も自転車で巡ったし、この辺りでは一番大きなショッピングモールでアイスも食べた。ちなみに「寒いのに冷たいアイスを食べるの?」と聞いた僕に「お蕎麦と同じこと聞くんだね」と咲果は笑っていた。

「あ……」

 とある小道に差し掛かったとき、僕は思わず自転車のブレーキを握った。キッと鋭い音が短く響く。その音に気付いたのだろう、咲果も同じように少し先でストップをかけた。

「いっくん、どうかした?」
「いや、なんかここ、見覚えがある気がして……」

 ゆっくりとその周りをぐるりと見回す。住宅に挟まれたこの場所には、大きな大きなイチョウの木が鎮座している。その脇に、細い橋がかけられているのが見えた。
 きゅうっとみぞおちのあたりから、懐かしい切なさが溢れ出る。

 ──ここ、知ってる。

 僕は自転車を降りてハンドルを押しながら、ゆっくりとその橋へと歩みを進めた。

『──なあ、樹や』

 細かい鉄格子が張り巡らされたその橋、いつかのじーちゃんが僕の半歩前を歩く。

『電車に乗ったらどこへでも行けると思うかもしれんけどなあ、自分の足でしかたどり着けない場所っていうもんがあるんだがや』

 幼い僕に、じーちゃんは真面目な顔でそんなことを言う。鉄格子に両手を絡ませて、電車が通るのを今か今かと待つ少年である僕に、そんなじーちゃんの言葉の真意なんて届いてはいない。それでも線路の真上にかかるこの小さな橋で、じーちゃんと僕はいくつもの電車を迎え、そして見送ったのだ。

「もしかして、来たことあった?」

 背後からの声を合図に、目の前の空気がひゅんと動き出す。鉄格子から外を覗き込む少年と老人の姿はもう見えない。

「小さい頃、じーちゃんがよく連れてきてくれた場所……だと思う」

 夏休みになると訪れていたこの街には、楽しいものや刺激的なものはなんにもなくて。都会育ちの僕のことを、じーちゃんは毎日のようにこの場所へと連れてきてくれた。
 電車がやって来るのは、二十分から三十分に一本程度。それでもじーちゃんとしりとりをしたり、おしゃべりしながら電車を待つその時間は、僕にとってはひどく楽しくてわくわくするものでもあった。
 今は昔とは異なり、このあたりも随分と土地開発が進んだという。僕が記憶する限り、この橋にやって来るには小さな山道を抜けなければならなかったはずだが、そんなものは周りにない。代わりに、新しく切り開かれた新興住宅地が立ち並んでいた。僕が気付かなかっただけで、今いるこの場所は自宅から割と近くなのかもしれない。

「なんか、よかったぁ……」
「なにが?」

 遠くからカンカンカンカンという踏切の音がする。そろそろ電車がやって来る合図だ。心なしかわくわくと浮足立つ。

「いっくんの思い出の場所が、ひとつでもここにあって」

 じーちゃんの家を取り壊して新しい家を建てた、と以前話したことを彼女は覚えていたのかもしれない。場所が同じでも、建物が違えばそれはもう別物と捉えてもおかしくはない。その証拠に、僕は自分の家で懐かしさを感じたことなんて一度もないのだ。
 それでも確かに今、この場所では僕の中のじーちゃんとの思い出が鮮やかに再生された。ここに来るまでは、こんな場所があったことすら忘れていたというのに不思議なものだ。すぐ隣でじーちゃんが、嬉しそうに笑った気がした。