気付けばいつもの公園に来ていた。ぶるりと寒さが身体中を駆け上る。やっぱり上着は着てくるべきだった。だけど今更戻れない。僕は「さみぃ」と独りごちると、両手で自らの腕をさすった。
家を飛び出したとき、年甲斐もなく涙がこみ上げてきていたのに、冬の寒さというのはすごい。あっという間に目の奥の熱を冷やし、それと同時に体中を支配していた怒りからも熱を奪ってしまった。──だからこそこんなにも今、寒さに震えているわけなのだが。
「甘え、なんかじゃない……」
いつもの場所にしゃがみこんだ僕は、その場に落ちていた石を川へと投げ入れる。ちゃぽん、と頼りない音が星空へと吸い込まれていく。
──本当は、図星だった。
怪我をしてからの僕は、ずっと周りに甘え続けてきていたのだ。気遣ってくれる仲間たちの優しさに甘えて彼らを遠ざけ、怪我をして投げやりになっていた僕にどう声をかけたらいいか悩む両親に対してその苛立ちを遠慮なくぶつけてきた。
悲劇の主人公になったつもりで悲運を嘆き、嘆いても仕方ないとわかると匙を投げる。死ぬ勇気もないくせに、生きていても仕方がないなんて嘯いたりもした。多分僕はそうやって周りに心配をかけることで、気にかけてもらうことで、「サッカーができない僕でも、無意味じゃない」と安心したかったんだと思う。とんだ〝かまってちゃん〟だ。
ボウに対しても同じだろう。最初にぶつけたナイフのように尖った言葉。律儀にあの言葉を守っている彼の優しさに甘え、そのくせ同情されているのではと卑屈になる。だけどボウがいつまでもサッカーの話題を僕に振れないのは、僕自身が未だにその呪いから解き放たれていないからだ。
「なんだよ……」
膝を立てて目頭をそこに押し付ける。一度引いた涙の波が、じわりと上ってくるのを感じたからだ。
保育士をしている従姉妹のねーちゃんが言っていたっけ。子供が本気で泣き出すときは、自分のしてしまったことの罪の重さに気付いたときだ、と。
「ガキと一緒かよ……」
地面に向かってそう呟いたとき、暗闇の中で柔らかな香りが舞った。足音もなくやって来たというのだろうか。だけど不思議と、嫌な気持ちはしなかった。こんなかっこ悪いところは、正直に言えば見られたくはない。だけどそれ以上に、彼女に隣にいてほしかった。
首元にふわりと温もりが降りてくる。強く香る、彼女の香り。目を開けなくとも、いつものオレンジ色のマフラーが僕の首元に巻かれたのだとわかる。僕がダウンも着ていないことに気付いたからかもしれない。
咲果が何も言わないのをいいことに、僕はポツリと言葉を口先に乗せていく。
「……ほんと、情けないよな。十六にもなって、こんなのさ」
「まだ十六だもん。いいじゃないそれくらい」
咲果の声はいつもと同じ響きのままで、だけど普段よりもずっと柔らかな色を持って、ピンと張り詰めた冬の空気を解いていく。
「自分勝手でひとりよがりで、どうしようもないだろ……?」
「まだまだたくさん、伸びしろがあるってことだ」
僕の吐き出すマイナスを、彼女はひとつずつ掬い上げる。そしてそれを否定するわけではなく、プラスの言葉へと変換させる。
「僕が女子だったら、こんなかっこ悪い男、ダサいって思う」
「人間誰にだってダサいところくらいあるでしょ。っていうか女子ってひとくくりにしないでよね」
どれほどにネガティブな言葉を投げても、彼女が返してくるボールは全てポジティブなものだ。そこには何の迷いも、躊躇もない。きっとどれほど僕が自分の不甲斐なさを嘆こうと、彼女はそれを受け止めてきちんと光に変えてくれるのだろう。少しだけ唇を尖らせている彼女の横顔が脳裏に浮かび、僕は小さく笑うことができた。
「はやく大人になりたい……?」
そんな咲果の声に、ようやく僕はゆっくりと顔を上げた。
ジンジンと目の奥が痛むのは、ずっと膝に押し付け圧迫されていたせいかもしれない。チカ、チカ、と数回光が散ったあと、やっと僕の視界にはいつもの見慣れた川沿いの公園の景色が映り込む。その視界の端では、咲果が遠くを見つめるようにしていた。
「大人になりたいっていうよりは──」と僕は前置きをしてから静かに答える。
「……今の僕たちって、どこにいるんだろうって思うんだ。子供というほど子供じゃなくて、大人かと言えばそういうわけでもない。気持ちとしては自立しているはずなのに、実際は親の言いなりにならざるをえなかったりもする」
なんでもかんでもやってもらう時期はもうずいぶん昔に過ぎた。大人たちだって「もう子供じゃないんだから」と口々に言う。それなのに大事なことは、全部大人が決めるんだ。引っ越しだって、進路だって、大事なことなのに僕の意見は受け入れられない。
この中途半端な位置から、はやく抜け出したい。子供でも大人でもないこの自分が、ひどくもどかしく感じることがある。
「──いっくんは、どんな大人になるんだろう」
咲果の言葉は、僕に向けて放たれたというよりは、ひとりごとにも近いように聞こえた。その証拠に、彼女は僕の方を見ない。瞬く光を繋ぐ星座の合間に、大人になった僕を探すかのようにじっと夜空を見上げている。それがとても綺麗に見えて、僕は思わず呼吸をするのを忘れてしまった。
「きっとかっこいい男の人になるね!」
パッと明るい笑顔が向けられ、僕はそこで我に返る。
何秒息を止めていたのだろう。心臓がばくばくと脈打っている。僕はそっと、そんな彼女の視線から逃げるように顔を背けた。
このときに僕は、気付いてしまったのだと思う。彼女の存在が、僕の中でどうしようもないくらいに大きくなっていたことに。
だって僕はこんな風に思ってしまっていたのだ。
──大人になった僕の隣には、大人になった彼女がいてくれればいい。
なんてさ。