「補講、わたしといっくんの二人だって」
「あっそ」
休み時間になると、咲果は返されたテスト用紙を手に僕のところへとトボトボとやって来た。下唇を突き出して、不満たらたらといった表情だ。その点数を取ったのは自分自身。憎むなら己を憎め。
「うわ、二十八点はやばい」
咲果のテストを真横からひょいと覗き込んだのは、彼女の友人である倉田桃だ。
倉田はどこか、他の女子たちよりも大人びた雰囲気がある。艶のある長い黒髪は知的さを醸しているし、背も高くすらりとしている。落ち着いた物言いで咲果と接しているのを見ると、このふたりは正反対だからこそうまくいっているのかもしれないと思った。とは言え、倉田と僕が直接話したことはない。
「桃〜! わかってる、わかってるの。本当にやばいことくらいわかってる!」
わかりやすいほどの泣き出しそうな表情を向ける咲果は、やっぱり倉田と並ぶとずいぶんと年下のようにも見える。
「いつも八十点以上は取ってるのに、どうしちゃったの?」
そんな倉田の言葉に、咲果はぴたっと動きを止める。それから忙しなく視線を左右上下へと泳がせた後「ヤマが外れちゃって……」と今度はへらへらと笑った。
「咲果はヤマとかかけないタイプだっただろ!」
続いて登場したのは、僕が最も関わりを持ちたくない前野。勘弁してもらいたい。昨日の今日で顔も合わせたくないんだ。しかし前野は鈍いのだろうか。全く気にする素振りもなく「転校早々、赤点はきついなー」なんて僕にまで屈託ない笑顔を向けてくるから、うんざりして体ごと窓へと向けた。
前野は多分、悪いやつではない。僕が思った通り、やつはサッカー部に所属していて、部長を務めているらしい。みんなから〝ボウ〟と呼ばれているのは、その坊主頭が由来しているのかもしれない。今は芝生くらいの長さにはなっているけれど。とにかく、この男に罪がないのはわかっている。それでも僕にとってこの男が地雷であることも事実だった。
「こ、今回はちょっと特別だったの! ちゃんと理由があるんだから!」
それにしても、どうして彼らはこの広い教室のわざわざこんな隅っこに集まってそんなやりとりをしているのか。残念なことに、この三人の会話は僕の目の前で行われている。さらには「二年生になったら急に勉強難しくなった! ね、いっくん?」なんて会話に巻き込まれてしまうのだからたまったものではない。
それでもどういうわけか、名指しで話しかけられてしまえば完全に無視するのもちょっとな、という気持ちになってしまうのだ。
「まあ……」
目線は窓の向こうにやったままそう答えると、今度は目の前に前野の顔面が現れた。あまりの突然出来事にびくりと体を引いてしまう。
「ははーん」
顎の下に手を当てて、咲果と僕の顔を交互に何度か見やる前野。にやにやと口元は弧を描いている。
「さては咲果、樹と居残りしたいがために、わざと赤点取ったな?」
──樹?
実にさらりと、前野は僕をそう呼んだ。その唐突さと展開の滑稽さに、僕は呆気にとられてしまう。
「今のだと、朔田が最初から赤点取るって咲果が決めつけていたように聞こえるけど」
淡々とそう言う倉田と、顔を赤くして「違う違うっ! いっくん違うっ!」と顔の前で必死に両手を振る咲果。
──どっか他でやってくれ。僕に構うなよ。僕を巻き込むな。面倒だな。
そう思うのに、いつまでも心に棘が立ち並ばないのはどういうことか。
曇っていた空の隙間から、うっすらと光が教室へと差し込む。目の前にあった三人が、ゆっくりと目を見開くのがわかった。
「──いっくんが、笑った」
ハッとして口元を手で覆う。確かに若干、いつも不機嫌に結んでいる口元の力が抜けた気はしたけれど、決して笑ったわけではない。
なんだか気まずいものを見られたような気持ちになって、僕は鼻先をそっと擦った。
「……笑ってないし」
視線を逸らしてそう言えば、目の前の三人はそれぞれのやり方で表情を崩す。
倉田は口元だけをふっと持ち上げ、前野はニカッと白い歯を出し、咲果は顔をくしゃくしゃにして。確かに彼らは僕に向かって笑いかけた。