気がつくと白い天井が見えた。左腕が動かない。呼吸も苦しい。どうやら呼吸器がついているようだ。心電図の音だけが聞こえる。しばらくするとありとあらゆる部分が痛かった。どうやら助かったらしい。ここは病室かな。どうやら左腕が折れてしまっているらしい。ギブスが巻かれているのがわかった。痛みに耐えながら少し体を起こすと、自分の右手を握っている人がいた。母さんかな。そこだけシーツの色が濃かった。右手を離し、頭を撫でていると母さんが起きた。顔をぐしゃぐしゃにしながら勢いよく抱きつかれた。

「痛い、痛い、痛い。母さん痛いよ。」

「よがった。本当によがった。」

泣きながら自分を抱きしめ続けた。左腕は動かないので右手で母さんの頭を撫で続けた。しばらくすると母さんが自分から離れてナースコールを押し、日向さんと結衣さん、中村先生、おそらく執刀してくださった先生が部屋に入ってきた。

「まずは君の体の状態を知ることが必要かな。君が落ちたのが2日前。今君は全身の打撲と左腕、あばらが2本折れている。屋上から落ちてこの怪我で済んだのは奇跡だよ。落ちたところと君が落ちた瞬間にとった受け身のおかげだね。左手の骨が貫通して、血がかなり出たけど落ちたのが病院で本当に良かったよ。輸血も大丈夫。ギブスを外すのにかなりかかるけど命に影響はない。明日、明後日には退院できるようにするよ。佐々木さんがいるから問題ないし、何より精神的にも楽だろ。まあ通院は必要になるけどね。」

2日も気を失っていたのか。これじゃあ料理もできないし、花屋の仕事もできないな。

「真由さんは大丈夫でしたか?」

「大丈夫だったよ。軽い打撲と擦り傷だけだった。しばらくは休みを取らなきゃいけないかな。これだけは言わせてくれるかな。」

日向さんは地面に座り、手をついて頭を下げた。

「本当にありがとう。そしてすまなかった。真由を救って切くれてありがとう。」

「そう謝らないでください。自分のとった行動に後悔はありませんしその行動が最善だと思ったから行なったまでです。真由さんに大きな怪我がなくてよかったです。母さん心配かけてごめんな。勝手に体が動いちゃったんだ。」

「知ってる。あなたそういう子だもん。でも、ここであなたが死んじゃったら小百合に顔向けできないし、それに残された真心と愛はどうするのよ。小百合の言葉忘れたの?あなたの命はもうあなただけのものじゃないのよ。真心と愛を誰がこれから守っていくのよ。失う辛さはあなたが誰よりも知ってるはずでしょ。」

「うん。だから動かないわけにはいかなかったんだ。」

自分の言葉を聞くと母さんはうん、うんと頷きながら泣いていた。

「どんな理由があったとはいえ、真心と愛を心配させることには変わりないんだからちゃんと自分から説明しなさい。あなたがよく言っている責任を取るのよ。」

「わかった。」

母さんと話している間もずっと日向さんは頭を下げていた。隣に居る結さんは涙を我慢しているようだった。

「日向さんもう頭あげてください。結果的には誰も亡くならずに自分が怪我しただけですみました。考えられる中では最高の結果だったと思いますよ。結さんもそんな悲しい顔しないでください。」

長い沈黙の後に日向さんがようやく顔を上げた。

「そうか。本当にありがとう。」

「お願いがあります。少しだけ結さんと2人にしてくれませんか?」

「わかった。では半紙が終わったら呼んでくれ結。」

そういって結さんと自分を残して3人は出て行った。

「2人にして大丈夫なんですか?」

「心配いりませんよ。あの子のことです。任せていいと思いますよ。何がしたいかは私が一番わかっていますから。先生、改めて手術ありがとうございました。感謝しています。」

「いいえ。見つかるのも早かったですし、出血は多かったですが臓器へのダメージはあまりありませんでした。ただ、左腕の骨が神経を少し傷つけてしまっていたので痺れや機能障害が起こるかもしれないので注意してみてください。では、私はこれで。」

「ありがとうございました。」

3人がいなくなり、少し静かになった。

「結さんそこに立ってないで座ってください。少し話しましょ。」

結さんが近づいてきて、病室にある椅子に座った。

「すいません。心配かけました。これでしばらく働けなくなっちゃいましたね。その間に愛のことよろしくお願いしますね。」

結さんは声を発することなく首を上下に動かした。

「今回の原因は自分にもあります。そんなに責任感じないでください。」

「でも、私がお姉ちゃんと話し合いしてればこんなことにはならなかったのかもしれないのよ。」

「たらればの話はやめましょ。例えそうだったかもしれないけどそんなこと誰にもわかりません。現実はお姉さんも自分も生きてる。ただし自分が怪我をしたということだけです。何も失ってないじゃないですか。まあ落下の衝撃で下にあった車は壊れてしまったと思いますけど。」

「うん。ありがと。お姉ちゃんを救ってくれてありがとう。」

結さんは立ち上がり頭を下げた。

「結さん聞きたいことがあって。ずっと引っかかっていたんです。前に話していた向日葵のこと嫌いな理由、きっかけはお姉さんですよね。向日葵の花言葉は憧れ。昔の自分を見ているみたいっていうことは結さんには憧れている人がいた。でも、その人と自分を比べて差がありすぎて見ることをやめた。結さん専門学校行く前は大学で医学部だったらしいじゃないですか。母さんから聞きました。お姉さんの背中を追っていたんですよね。」

結さんは少し話辛らそうだったが、重い口を開いてくれた。

「気付くよね。寛くんは人のことよく見える人だってお母さんも言ってたから。あまり思い出したくはないけれどそうなんだ。向日葵と自分が重なって、向日葵のこと見るのが嫌になっちゃったの。」

「だから、一度も病院の中に入ろうとしなかったんですね。本来なら、病院の花の発注も結さんがやるべきだったのだと思いますし、請求書もかなりの高額だったので責任者が行くべきだとは思ってました。母さんがかいた向日葵の絵が見たくなかったから。」

「そう。寛くんお母さんの絵をあまりひどくいうつもりはないけれど、あの絵がかなり大きいから余計に現実を突きつけられるみたいで嫌だったの。憧れの存在が自分の中でどんどん大きくなっているのを突きつけられているみたいで。」

「結さんにとって真由さんは憧れの存在だけじゃないですよね。幼い頃に亡くなったお母さんの代わりだったんじゃないかなって自分は思うんです。」

「そうなのかな?」

「結さんはどうかはわかりませんけど、真由さんはそういう意識だったと思いますよ。結さんには言ってなかったですけど真由さん初めてあった時から自分を見るときものすごい敵意むき出しだったんです。怖いくらいにね。今考えるとわかりますけどあれは自分が思う危険な人物が大切な人の近くにいることに警戒して、排除しようとしたのではないかと思ったんです。だから、自分をやめさせようとした。まさに子供を思う母親のように。結さん言ってたじゃないですか。自分のことになると真由さんは後先考えないって。まあ少し過保護ですけどね。」

真由さんと結さんは4歳離れている。もし、母親が亡くなったのが幼い頃でまだ結さんが母親が必要な年齢だった場合、お姉さんは自動的に母親のような態度をとって自分を押し殺してしまうことがある。父親が日向さんみたいに忙しい方ならなおさら。これなら結さんの人が苦手なのもある程度説明がつく。幼い頃から正しいコミュニケーションを取ってこなかった人、特に母親とのコミュニケーションが十分に行えなかった子供が大人になって人間が苦手になってしまうことが多々ある。結さんの場合、幼い頃に母親を亡くしているためにまだ精神の発達していないお姉さんが母親がわりをしなければならなかった。所詮子供同士のコミュニケーション、大人と子供では全く話が違う。真由さんも結さんとしっかりしなければと必死だったと思う。このことが今回のことを起こしてしまった原因だと自分は思う。まあ引き金になってしまったのは自分なのだが。

「真由さんは結さんの前では弱みを見せないで、しっかりしなければと思っていいたと思います。日向さんも手のかからなかった子だって。そうやって自分を押し殺してきたんだと思います。」

真由さんにとって、支えだったのは間違いなく結さんだろう。だからこそ、今回のことは真由さんにとって耐えられない苦痛だったのかもしれない。

「だから真由さんは結さんに依存していたと思います。結さんは自分のこと裏切らない、必ず自分のところに帰ってきてくれる、自分の考えを理解してくれていると。結さんから喧嘩をしたことがないって言ってましたし、自分から結さんが離れていくと思ってしまったのかもしれません。」

強がっている人ほど心は脆いもの。弱いものに補完して無理して強く見せることはよくある。真由さんは典型的なパターンだろう。結さんに依存して、自分を保つ。結さんが自分の考えられない行動をとってしまうとパニックになってしまう。喧嘩の時に結さんが一方的に怒鳴ってしまったのは真由さんが混乱していたからだと思う。

「単純に真由さんは結さんが自分から離れていくのが寂しかっただと思います。常に自分についてきてくれた自分の妹が自分の元から離れていくのが耐えられなかった。このままでは真由さんも結さんも辛いと思います。」

「・・・。」

「結さん、真由さんともう一度話してくれませんか?自分の気持ちを素直に。結さんにとって真由さんはもう憧れの存在ではありません。憧れと尊敬は違います。憧れはその人のようになりたいですが、尊敬はその人の弱い部分も受け入れてその人に感謝すること。結さんと真由さんは違います。このことが今の結さんに必要な考えだと思います。たとえ真由さんの背中を追っていたとしてもそこで考えてきたことや思ったことは違います。今現時点では全く違う職業に就いている。今の自分の考えだったり、感じてきたことだったり。真由さんと話して欲しいです。」

真由さんと結さんの関係を修復、改善するには結さんの力が必要不可欠だ。1度自殺に失敗してしまった人がまた同じようなことを繰り返してしまうことは多々ある。自分もここで真由さんに死なれてしまっては体を張った意味がない。

「わかったわ。お姉ちゃんと話してみる。私もこのままじゃいけないと思うし、寛くんに悪いからね。何よりも私とお姉ちゃんのために。」

「これは少しばかりのアドバイスですけど何か花を持って行ったほうがいいと思いますよ。話のきっかけと、今の結さんを表現するに一番いい表現方法だと思います。」

「わかった。やってみる。」

「頑張ってください。」

「うん。ありがと。」

そういうと結さんは足早に病室を出て行った。なんの花を贈るのか考えるのだろう。なんの花を贈るのかは想像がつく。結さんも自分と向き合うにはとてもいい方法だと思う。難しく考えずに素直になって欲しい。血の繋がっている姉妹なんだから。血の繋がりは自分が望んでなくても自然につながっているもの。嫌になるときもあるけど、どうやっても切れない強い繋がり。今の自分にはないもの。

結さんが出て行き、少しすると中村先生が来てくれた。

「目が覚めたんだね。心配したけど、どうやら大丈夫みたいだね。頭も働いているしね。的確な指示だったと思うよ。」

「聞いてたんですね。自分より中村先生が言ってくれれば信憑性も上がっていたと思いますけど。」

「君が言ってくれるから結ちゃんの心にも響いたと思うよ。君が言ってくれたから意味があることじゃないか。難しい問題だし、君1人に任せるのもどうかとは思ってはいたけど安心したよ。僕じゃできないカウンセリングだったと思うよ。感心しちゃった。」

「あまり褒めないでください。」

「結ちゃんが話し終わった後に真由先生に会いに行くんだろ?」

「そうですね。後始末というか、今後のために。ここで働くには真由さんの敵意はなくしておきたいですから。」

「そうだね。君にも資格があれば僕の右腕になって欲しいくらいだよ。」

「自分の力は自分の繋がりを守るためにあります。その中でも真心と愛のために。心理学も愛のために勉強したものです。それはいつになっても変わりません。自分は2人のために生きてます。前にも話しましたけどあの2人のためならなんでもします。」

「変わらないね。君の力なら多くの人の力にもなれると思ってるんだけど。君はそこに興味がないからね。勿体無い。」

「自分はあの2人に救われました。他がどうであれ関係ないです。自分は自分が大切の思うもののために働きます。」

これは結さんも中村先生も例外ではない。自分にとっては大切な繋がり。自分が一度失った繋がり。ようやく取り戻した繋がり。多分だが、中村先生の頼みなら聞いてしまうと思う。ここまでお世話になっているからこそ少しでも力になりたい。結さんも同様。中村先生の後ろで母さんが自分のこと見ていた。

「中村先生、母さんが自分に話があるみたいなのでいいですか?」

「そうだね。まだ目が覚めて2時間しか経ってないからお母さんも話したいこともあるだろうし。邪魔したね。また今度。」

そういって中村先生は出て行った。

「また褒められてたね。資格取ればいいのに。」

「身に余るものだよ。僕にはもっとやることがあるから。」

母さんとたわいのない話ができるのも今自分が生きているから。自分の行動には後悔はないが、冷静になったら怖くてたまらなかった。今、自分が幸せを感じれていることが嬉しかった。

「母さん。僕さ、もっと自分のこと大切にするよ。今幸せだもん。」

どうしても今は母さんに甘えたかった。母さんも少し驚いていたが受け止めてくれた。母さんに甘えることなんて今までなかった。心も体も少し疲れていたからだと思う。母さんと話しているうちにだんだん眠たくなってきた。

「気にせずに寝て。今はあなたと一緒にいたいの。」

そう言って母さんは手を握ってくれた。安心したのか自分はすぐに眠ってしまった。その間も母さんは自分の手を握り続けてくれた。