お店も軌道に乗り始めた開店から3週間後の4月の下旬。あれだけきれいだった桜も散り始めていた。客足もいつも通りほとんど病院関係者かお見舞いの人。自分も仕事に慣れてきて余裕ができてきた。結さんも最初の頃とはまるで別人のようになって、接客業をする人の顔になっていた。動画サイトで勉強していた甲斐あって自分の紅茶も人に出しても恥ずかしくないレベルまできていると思った。おかげでここ1週間めちゃくちゃな量の紅茶をのんだとおもう。そろそろ店を閉めようかという時に、1人来店してきた。

「結いる?」

と一言。久々に少し悪寒が走った。振り向くと、結さんのお姉さんだった。

「真由さん、いらっしゃいませ。結さんなら裏にいます。」

「あっそ。わかったわ。」

真由さんの目はあからさまに敵意むき出しだった。最初に会った時よりさらに鋭い顔で自分のこと見ていた。別に何もしてはいないし、嫌われる理由もわからない。内心複雑だった。数分後に裏から真由さんは威圧感たっぷりで出て行った。また睨まれた気がする。閉店準備をしていると、裏から結さんが出てきた。明らかに落ち込んでいる感じで。

「お姉さんに何か言われましたか?」

考え事をしていたのか、突然の自分の質問にビクッとしていた。

「ないもないよ。大丈夫。」

無理しているのはバレバレ。これは何か言われたのだろう。そういえば自分は結さんとお姉さんの関係性はあまり知らない。あまり家庭内の話をズカズカ聞くのも失礼だろうと思っていたが、ここまで敵意むき出しで見られたり、結さんの落ち込みようを見ていると気にはなる。

この日以降閉店間際になると必ず真由さんが来店するようになった。そして、毎回自分を睨んで結さんの元に向かう。結さんもあからさまにおかしくなっていた。就業中もミスが増え、笑顔も無くなってしまっていた。寝れていないのか目の下に隈が目立つようになった。心配になって声をかけるが大丈夫の一点張り。失礼だと思いつつも少し核心に触れるようなことを聞いてみた。

「お姉さんと何かありました?」

結さんは何も答えない。聞こえてはいるが答えたくないのだろう。ここで自分は冷静さを欠いていたと思う。あからさまに向けられる敵意に少しイライラしてしまっていたのだと思う。

「何も言わなかったらわからないじゃないですか。ここ最近の結さんみたら誰でもおかしいこと気付きますよ。今まで全くミスのなかった結さんが会計のミスに始まり、花束の注文のミス、発注のミス、不注意で花瓶も割りましたよね。何かあったなら相談してください。自分も力になりますから。」

「ああもう。うるさいうるさいうるっさい。だいじょうぶって言ってるでしょ。話しかけないで。」

初めて結さんに怒鳴られた。言った本人もやってしまったと言ったような顔をしていた。怒鳴られて自分も冷静になった。

「すいません。デリカシーのないこと聞きました。少し外の掃除してきますね。」

この場の雰囲気に耐えられなくなって精一杯の作り笑顔をしてその場を去った。この日はそれ以降会話はなかった。

真由さんが始めてきてから1週間が経った。4月の最終週の月曜日。上空にはヒツジ雲ができていた。いつもの時間に花屋に向かう。相変わらず結さんに笑顔はない。気まずい雰囲気は続いていた。会話もまちまち。業務的なものばかり。正直はじめのころより溝は深くなってしまっていた。今日も真由さんが花屋に来た。

「いらっしゃいませ。結さんならまた裏ですよ。」

「違うの。今日はあなたに用があるの。」

「はあ。ここでいいですか?片付けもあるので。」

「構わないわ。でもあまり結には聞かれたくないから単刀直入に言うわ。あなたここやめてくれない?」

突然のことで驚いた。この人が自分に好意的ではないのはわかっていたがここまでとは。

「突然ですね。どういった理由ですか?」

「そうね。あなたみたいな危険な人自分の近くに置きたくないのよ。だからやめて。できるだけ関わらないで。」

ここまで言われてしまうと逆に清々しい。どれだけ自分のことを警戒しているのか。嫌っているのかがわかる。

「そうですか。でも、自分は結さんに雇われている身。あなたにはその権限はないはずですよ。自分を解雇したいのなら結さんにお願いするのが筋じゃないですかね。」

「だからあなたに頼んでるのよ。結はおそらくあなたのことを自分から解雇することはない。あなたのこと信頼し、必要だと思っているから。」

「なら余計に自分がやめることはないです。必要とされているならなおさらです。」

必要とされているなら力になりたい。この仕事も楽しいと思えてきた。

「それはあなたのことを知らないからよ。あなたがどれだけ危険な人間か。」

真由さんは大きな声で自分に訴えかけてきた。ここまで言われてしまうとこっちも腹が立ってくる。

「俺のこと知っているような口ぶりですけど、あなたも俺のこと知ってるんですか?後あまり大きな声を出すと結さんに聞こえますよ。」

「もちろん。佐藤さんに調べてもらったから。それにあなたの大学の教授の中に私と仲良くしてた人がいたから、大学時代に問題になったあなたの卒論の内容も知ってるわ。それがあなたのこと危険な人間だと判断した一番の理由よ。」

佐藤さんがどういう人かわからなくなってきた。ただの秘書とは違うらしい。どこから漏れたのかわわからないが今後警戒したほうがいいかもしれない。

「そうですか。あの論文捨ててなかったんですね。確かにあれはかなり問題になりましたし、普通危険人物だと思われても仕方ないかもしれませんね。」

当時、教授会でかなり問題になったらしい。あまりにもリアルで実現できそうだったこれを認めるわけにはいかないということで最初の論文は却下されて、急ピッチで当たり障りのない普通の論文を書き上げて無事に卒業できた。今考えると認められるわけがない『人を自分の手を下さずに殺す方法』など。

「そう、だからあなたにはここにいて欲しくないのよ。」

「そうですか。でも今は自分からやめることはしません。あなたから聞いた必要とされているという言葉が嬉しかったので。必要ならいますし、やめてほしいと言われたらやめます。ここでは結さんの判断に自分は任せたいと思ってますから。」

「やめる気がないなら結に頼むしかないか。時間取らせたね。」

そういうと真由さんは帰っていった。振り返り店のバックグラウンドに行くと、結さんが隠れていた。

「どこから聞いてましたか?」

気配は感じていた。話を聞かれている感覚も持っていた。

「最初から。今日はお姉ちゃん来ないのかなって店の中見にいったらちょうど話してたから。ごめんね。」

「謝ることはないですよ。実は慣れっこなんです。嫌われるの。大学時代はあまり友達いませんでしたし、変人扱いもされてきました。」

「でも身内がひどいこと言っちゃてたから。お姉ちゃん私のことになると後先考えずに行動しちゃうから。あまり気にしないでね。あと寛くんのことやめさせるつもりはないよ。そんな考えを持っていても、ここまで自分がこの店を続けてられているのは寛くんのおかげもあると思っているから。」

と、結さんはいうが、自分はきっかけになっただけ。結さんが変わったきっかけは恐らく日向さんと自分の関係性だと思う。実の父親と仲が良くて、えらく自分の能力をかっている。父親に対する態度は少しあれだが信頼しているのだろう。自分を変えられるのは自分だけというのはまやかし。変わるきっかけは必ず自分を取り巻く環境が変わり、それに対応しようとするから。結さんはおそらく、自分のテリトリーの中に異物である自分が入ったことによって環境の変化を感じてその変化に対応しただけ。異物である自分も受け入れてくれた

「でもやめたかったらやめてね。寛くんには他にも必要とされているところがあるんだから。」

「やめませんよ。必ずとは言えませんがここ好きですから自分。やめる方が勿体無いですしやめたくないです。」

自分の言葉を聞いた結さんは笑顔だった。

次の日から真由さんがうちに来ることはなくなった。確かに花屋の閉店間際だとあまり話す時間は取れないし、万が一自分が会話の中に入ってきたら面倒でたまらない。今ならスマホもあるし、いくらでも連絡手段はある。姉妹なんだから会おうと思えば会えるだろう。結さんは不安がなくなったのか、目の隈もミスもなくなり、笑顔と会話が増えた。少し以前と違うのは、どこか自信に満ちているところか。

ゴールデンウィークを3日後に控えた5月の初め。うろこ雲が空を覆っていた。店に入ると結さんがマスクをしていた。少し咳き込んでもいた。

「どうしたんですか?風邪ですか?」

と、聞くとガラガラの声で話し始めた。

「違うの。昨日お姉ちゃんと喧嘩しちゃって。初めて大きな声で言い合いしちゃったから喉潰しちゃったの。今まで喧嘩なんてしたことなかったから喧嘩の仕方わからなくて一方的に怒鳴り散らかしちゃった。」

きっと喧嘩の原因は自分だ。少し罪悪感があった。悪いことしたなっと。

「そうだ。今日は病院内の花を変える日だからまたお願いしてもいいかな?前と同じように医院長室に請求書置いてきて。」

「わかりました。時間はお昼すぎくらいでいいですかね。結さんの声がこの状態ですし。」

「そうならよろしくお願いね。今日は接客も任せていい?」

「構わないですよ。」

喉を潰してしまった結さんはカウンターに座って会計を自分が接客を中心にした。極力結さんが喋らないように質問なども自分が答えた。カウンターには『今日は声が出ません。お手数かけますが質問などはもう1人の従業員にお願いします。』と、注意書きを置くことにした。こうすると会計の時も会釈だけで済むだろう。

時間が過ぎお昼頃。結さんは病院内に飾る花の準備に取り掛かった。前同様生花をひと組だけ作り、あとは造花。今回の花は紫陽花が多かった。季節的にぴったりのセレクトだった。気持ち白が多い。結さんは振り返り、自分の顔を見て笑った。おそらく自分が白い紫陽花が好きなのを覚えてくれていたのだろう。少し嬉しかった。

お昼が過ぎ、お客さんの数も随分減った。どうやら休憩時間は終わったようだ。自分は結さんが準備していた花たちを持って病院へ向かった。病院内にも顔なじみが増えて色々な人から挨拶をされるようになった。看護師さんやお医者さんと話しながら指定の場所に花を飾っていった。最後に医院長室に生花と請求書を置いて店に戻ろうとした。そこに就業中にも関わらず、真由さんが自分の診察室のない4階にきている。気になって後をついていくことにした。真由さんは階段を使い屋上に向かっていった。外は雨が降っていた。屋上にでると階段のすぐそばにある手すりに手をかけ、乗り越えようとした。

「ちょっと。真由さん何を・・・」

と、言いながら真由さんとの距離を急いで詰めた。自分の存在には気付いたようだが真由さんは動きを止めることはなかった。手すりを飛び越えた。間一髪手すりに身をあげて、真由さんの手首に届くことができた。

「な、なにしてるんですか。死んじゃいます。やめてください。」

「死なせてよ。死なせて。」

「死なせるわけないでしょ。」

真由さんは爪を立てて自分の手を解こうとする。ただでさえ、雨の影響で滑るのにと思いながら必死で耐えた。すると体勢が悪かったことと、雨の影響で手すりから手がが滑ってしまって、真由さんと一緒に落ちてしまった。真由さんを抱えて、自分が下になり、運よく車の屋根の上に落ちた。車がクッションになり、最悪の事態は避けれたと思う。すごい音が響いた。左腕の感覚がない。血が流れているのもわかる。真由さんは衝撃で気を失っている。見た感じ外傷はない。だんだん意識も薄くなってきた。誰かの声も聞こえるが意識を保つのが限界になっていた。冷たい雨が自分に降り続けた。