大声を出した少女は、対戦相手と同じで角を生やしていた。
 赤く、しかし黒さもある肌は、間違いなく鬼族のもの。
 女性の鬼族は男性よりも小柄で、彼女の身長も俺とおなじくらいだった。

「あー……すまん、うちの妹はちょっとなんというか、俺が好きすぎるんだ」
「ああ、なるほど……」

 家族が負けてしまったことを認められない、そういうことだろう。

「ええっと……」

 こういうとき、なんと声をかけるべきだろうか。
 謝るのも違う気がするし、なにも言わないのも悪い気がする。
 もちろん当事者ではないものが対戦の結果に異を唱えること自体は良いことではなく、どちらかといえば向こうの方が失礼なのだが。

 ……気持ちは分からんでもないしな。

 家族を大事に想う気持ちも、自分ではどうしようもないところで納得がいかないことが起きるやるせなさも、どちらも理解は出来る。
 たとえ当事者である俺と鬼族の彼が納得していたとしても、彼女の中では不満なのだろう。そういう感情の面は、どうしようもないことだ。

「鎧の兄ちゃん、気にしなくて良いぞ。妹には俺の方から言っておくからよ」
「まあたしかに、こっちがなにか言った方がこじれるか……?」
「あ、待てこら! 変な鎧!」
「変な鎧……」

 自分で選んだデザインではないが、変だと言われるとちょっとグサっとくる。
 実際、真っ黒で悪目立ちするデザインなので、なんの反論もできないのだが。

「どうせその変な鎧に、なにかズルができる仕掛けでもあるんでしょう!?」
「あ、あのですね。たしかにその方の鎧には魔石がはまっていますが、思考を読むなどの魔法は厳しく制限されておりまして……」
「部外者は黙ってて!」
「ひぃんっ……」

 受付をしてくれた羊っぽい魔族が説明をしようとしたが、鬼の妹は一蹴した。
 受付担当なのだから運営側で、部外者ではない、と思ったが、血が昇った頭にはそんなことを言っても無駄だろう。

「その鎧を脱いで、やりなおして」
「っ……いや、これを脱ぐのはちょっと。着てないと落ち着かないというか、顔を出してると緊張でまともに打てないんだ」

 鎧を脱いでしまったら、翻訳魔法が効果を成さなくなる。
 なにより顔が出てしまえば、それだけで俺が人間だということは分かるだろう。
 あわててつくった理由を、鬼の少女は納得できなかったようで、

「脱いでって、言ってるの」
「っ……魔力……!?」

 剣呑な雰囲気をまとった瞳から、強い魔力を感じる。
 周囲にいる魔族も何人かはそれを感じ取ったようで、あわてて退避や防御の姿勢をとった。

「おい、ちょっとやり過ぎだぞ! すまん、鎧の兄ちゃん、ちょっと離れててくれ!」
「……いや、見たところあんたは魔法を使えないだろ。無理やり妹を止めるっても、あれじゃ魔法が暴発するぞ」
「う……」
「魔力が高いやつは、感情が昂ぶったときに魔法の制御ができなくなることがあるんだよな。俺もちょっと経験がある。……妹さんに魔界パズルでもやらせた方が良いぞ」

 魔力というのは、精神が大きく影響する。
 なので怒りや哀しみ、あるいは喜びと言った感情のせいで、一時的に魔力が強くなったり、制御不能になることはままあるのだ。
 鬼の妹は身長こそ俺と同じくらいだが、まだ幼いのだろう。あるいは、それだけ兄のことを大切に想っているか。

 どちらにせよ、このままでは被害が出てしまう。
 せっかく楽しい大会だったのだ。それがこんな形でめちゃくちゃになるのは避けたい。

「俺が止める、下がっててくれ」

 ブランクはあるが、俺は『元』勇者だ。魔力の量にも、扱いにもそれなりに自信はある。

(……魔法を使われる前に迎撃はあの子を傷つけるから論外、防御しても周囲に被害がでる可能性がある。なら、完成する前の魔法に干渉して無効化するのが正解だ!) 

 俺は魔王ほどの使い手ではないが、未熟な少女が感情のままに編み上げる荒い魔法をとめるくらいは出来る。

「魔法解除……!」

 暴走して、無茶な形を作ろうとする魔法を妨害するために、魔力をぶつける。
 目に見えない力が周囲に広がって、俺の思惑通りに未完成の魔法がそのまま砕け散る。
 魔法が妨害されたことで、鬼の妹はあっけにとられたような顔をした。

「よし……誰も怪我してないな!?」

 確認のため、周囲に声をかけた。
 違和感は、すぐにやってきた。

「……?」

 周囲にいる魔族たちが、鬼の妹と同じく驚いた表情をしている。
 魔法を解除すること自体は、そう珍しいことではない。未熟な魔法が発動前により高位の魔力で妨害されることは、魔法の知識が少しあれば知っていることだろう。

「……○■」
「あ……」

 隣にいる、決勝で戦った相手の言葉の意味が、理解できなかった。
 そのことで俺は、ようやく自分の失敗を悟った。
 見下ろした先、胸にはまっている赤色の石が、ひび割れていた。

「っ……!」

 他人の魔法を解除するための魔力が、魔石に干渉しただろう。
 翻訳魔法がこもった魔石は試作品だといっていた。外部からの魔力をうけたことで、なにかしらの不具合がおきてもおかしくはない。

「ぐっ……!?」

 どうするべきかを考える前に、背中に衝撃が走った。
 そのまま組み伏せられて、俺は地面に押しつけられる。
 反射的に抵抗しようとしたところで、背後から強襲した相手が俺にだけ聞こえるように言葉を投げてきた。

「申し訳ございません、勇者様」
「っ……」

 小さく、しかも人類の言葉。
 説明はないが、それだけで充分だった。

(このまま、顔を晒さずに捕えれば、勇者が逃げたんじゃなくてただの人間が町に紛れ込んでたで済むってことだよな……)

 勇者が独房から、しかも魔王の手引きで外に出ていたなんてことになれば、とんでもない大ごとになってしまう。
 それを避けるために、メイドは俺を組み伏せたのだ。

「……私にとっての最優先は、魔王様ですので」
「……わかってる。このまま、連れてってくれ」

 痛みはあるが、手加減は充分にされている。
 ぐ、と持ち上げられて、俺は無理やりに立たされた。

「……◇○★」
「うぐっ」

 次に聞こえたメイドの言葉は魔界語で、意味は理解できなかった。
 しかし腕を引っ張られているので、『歩け』みたいな意味だろうと解釈して、俺は素直に引っ張られる。

「あ……」

 多くの魔族がざわつく中で、見知った顔と目が合った。

「……ごめん、魔王」

 謝って済むことではない、あまりにも迂闊なことをした。
 それでも今の俺には謝ることしかできない。
 せめてもの救いは、人類の言葉を理解できるのが彼女とメイドだけということだ。

 謝罪の言葉だけは、届けられただろうから。



◇◆◇

 メイドに取り押さえられて、俺はそのまま魔王城に連れてこられた。
 城にくるころには認識阻害の魔法が俺にもかけられていて、独房には問題無く戻ってくることができた。
 メイドは俺の鎧をはずして謝罪すると、すぐに部屋を出て行ってしまった。

 そしてそれから数日の間、魔王もメイドも、俺の独房に来ることはなかった。

「…………」

 さすがに料理をつくる気にもなれず、かといって自分から動くこともできず、ただ時間だけが過ぎていく。
 あのふたりが来ないということは、それだけ問題は大きなものになったのだろう。
 なにせ王都の中に、人間が現れたのだ。なにもしらない魔族にとっては恐怖、あるいは怒りを覚えるのに充分な出来事だったはずだ。

「くっ……」

 ぐ、と拳を握ったところで、なにかが変わるわけじゃない。
 もう少し上手くやっていれば、ほかになにかやれることはなかっただろうかなんて、もう何度も考えた。
 そうして、何度目かの思考を巡らせたところで。

「っ……!」

 本当に久しぶりに、扉が開く音を聞いた。
 魔王かメイドか、どちらだろうかと思い、俺はすぐに顔をあげてドアの方を見る。

「あ……」

 やってきたのは、魔王でもメイドでもない。
 あきらかな敵意の目は、はっきりとした嫌悪の色があった。
 数人の魔族が、武器を持って独房へと入ってきた。

「……◇★×◎!」
「っ……」

 乱暴に腕を掴まれて、思わず顔が歪んだ。
 こちらの痛みなどお構いなしで、魔族によって引きずられるようにして、俺は独房を出される。
 抵抗すれば、素手でも簡単に倒せてしまうだろう。しかし俺は今、自分がされるがままになるしかないことを知っていた。

 こうして魔王以外の、それもあきらかに俺を敵視している魔族がきたということは、隠し通せなかったのだということだ。

「く……」

 抵抗しようと思えば、できる。
 まして一応勇者の身だ。素手でも充分に戦えるし、なんなら相手の武器を奪ってもいい。
 相手の雰囲気から見ても、俺の方が強いのは明らかで、返り討ちには出来る。

「……あんまり引っ張らないでくれよ。いや、言葉通じないんだろうけどさ」

 それでも、俺は抵抗をしなかった。
 暴れることは簡単だが、それをしてもきっと被害が大きくなるだけだ。
 なにより、魔王にこれ以上迷惑をかけたくないし、彼女の住居を壊したくなかった。

 魔界の多くの住人にとって、勇者の俺が敵だという事実は変わらなくても。
 たったひとつの部屋の中でしか、生きることを許されなくても。
 俺にとって、魔王城(ここ)はもう、大事な場所なのだ。

「お……」

 どこかの部屋に連れてこられて、そこでようやく手を離される。
 すぐに逃げるという選択肢もあったが、俺は改めて相手を見た。
 数人の魔族の目にあるのは、明らかな敵意の感情。言葉が通じなくても、ここからなにが起きるかは充分に理解できる。
 周囲には荷物のようなものが転がっていて、倉庫かなにかだろうというのがわかった。

「……せめて、拷問じゃないと良いんだが」

 向けられてくる武器は、刃物が多かった。
 さっくりと『終わらせて』くれるといいんだけどな。あんまり痛いのは勘弁してほしい。

「……ごめんな、魔王」

 届かないとわかっていても、俺は謝罪した。
 結局最後まで迷惑をかけてしまうであろう、彼女に。
 目の前の魔族たちがなにかをわめきながら、刃物を振り上げるが、どうでもよかった。
 そんなことよりもせめて、最期のときくらいは。
 好きなやつの顔を思い浮かべていたかったから。

 鮮明に思い出せる記憶を脳裏に浮かばせるために、俺は目を閉じた。