「……うーん」
部屋でひとり、俺は唸った。
魔王が俺の部屋(どくぼう)に入り浸っていると言っても、それは一日のうちのほんの少しの時間だ。
実際にはほとんどの時間がこうしてひとりであり、俺はその暇を鍛錬や掃除、料理の研究などで潰している。
そして今日の俺はというと、机の上に並べられた無数の小ビンの前で考えにふけっていた。
思い出すのは先日の一件。魔界には専用の言語があるという、魔王の言葉。
「……もしかして、この調味料のビンらしきに書いてある文字、全部魔界語なのか?」
模様かなにかだと思ってスルーしていたのだが、実際にはこれもちゃんとした文字なんだろうか。
手近なものをひとつ取ってみるが、もちろんそれで読めるようになるわけでもなく、疑問に応えてくれるであろう魔王も今はいない。
塩や砂糖、胡椒のようなものもあるにはあるが、もしかするとこれも魔界産のなにかよく分からない品なのかもしれない。正体不明だと思うと、急に使うのが怖くなってくる。
「どうせあの腹ペコ魔王、また来るんだろうし、そのときに聞いてみるか……っと?」
噂をすれば影、というのが確か人界の東の方にある島の言葉にあったような気がするが、どうやらその通りになりそうだった。
ぱたぱたとした足音は聞き慣れたもので、そうでなくても勇者の独房に近づいてくるものなんて、ひとりくらいしかいない。
扉の方へと目を向けて少し待てば、いつも通りに元気よく扉が空けられて、
「勇者さん、お腹すきました!」
予想通りの相手が、いつも通りに飯をたかりにやってきた。
上機嫌に耳をふりふり、銀髪をふわふわさせながらこちらに歩み寄ってきた魔王に、俺は軽く手を上げて、
「おう、来たか。なぁ魔王、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「聞きたいこと……どうかしたんですか?」
「この辺りって、魔界の調味料なのか?」
机の上に並べたビンを指さすと、魔王は軽い調子で頷いた。
「そうですよ。どれも魔界ではごく一般的なものです」
「なるほどなぁ……」
つまり、よく分からない調味料で確定だった。
「それが、どうかしました?」
「いや、文字が読めなかったし、どんな料理にどれくらい使うかわからなくてな……人間界の、俺の知らねぇ国のものかと思ったんだが、魔界のだったか」
「あ……言われてみれば、魔界語が読めなければ、ラベルになにが入ってるのか書いていても、わかりませんよね」
「おう、だからちょっとどういうものなのか、教えて貰おうと思って……って……なにしてるんだ」
魔王は俺の言葉に頷くと、すぐに深々と頭を下げた。
銀色の髪が垂れ、床に触れることも気にかけず、魔王は頭を上げずに言葉を作る。
「ご不便をお掛けしました。申し訳ありません」
丁寧すぎるほどに丁寧な謝罪をされて、さすがに面食らった。
別に責めているわけでもないし、謝って欲しいとも思っていない。ただ、調味料がどういうものか教えて欲しいだけだったのに、随分と真剣に謝られてしまった。
「……別に、そんなに改まって頭下げなくても良いんだぞ?」
「いえ、客人として扱うとか、言葉の壁があるとか言っておきながら、配慮が足りなかったものですから……下げなければいけません」
「いや、下げなくて良い、むしろ上げてくれ、そっちの方が落ち着かねえよ……」
「……分かりました、勇者さんがそういうなら」
やや不服そうな顔で、魔王は顔を上げる。
……調子が狂うなぁ、
そこそこの付き合いになってきたと思うが、幼少の頃から教えられてきた魔族のイメージが拭えたわけではないし、ほんの数ヶ月前は敵だったのだ。
そんな相手が素直に頭を下げてくるというのは、嬉しいとか気分が良いとかよりも、やりづらい気持ちの方が大きい。
そんなこっちの気持ちも知らず、魔王は調味料のビンの前で、ぶつぶつと思案し始めているようで、
「そっか、調味料……調味料くらいなら……うーん、でもまだ人界のものを常に仕入れるのは、難しいですよね……えーと……」
「いや、そんなそこまで真面目に考えてくれなくても良いんだぞ、とりあえずどんな調味料か分かれば」
「……分かりました。今度、魔界の調味料についての書類作ってきますね。人間界にあるものと似ているものもあると思いますから、参考にしてください」
「お、おう」
「勇者さんが読みやすいように、私がきちんと監督して人間語で書類作成しておきますけど……読みづらかったら遠慮せずに言ってくださいね?」
「わ、わかった」
「……どうしたんですか? なんだかパチクリしてますけど」
口頭で教えて貰えればそれでいいと思っていたのに、めちゃくちゃしっかりした対策を打ち出されてしまった。
「いや、急に仕事モードに入られてビックリした……そうだよな、お前仕事できるもんな……魔界の女王だしな……」
「む……それ、ちょっとバカにしてません? ちゃんと魔王ですよ、私」
どうやら気分を悪くしたらしく、魔王は紫色の瞳を不機嫌のジト目にして、こちらを睨んでくる。
見た目の問題でそんな顔をしても可愛いとしか思えないのだが、なんだか照れくさくなり、俺はなんとなく視線を逸らしてしまう。
「だ、だってお前、ここにいるとただの腹ペコ女だし……」
「……腹ペコは否定できないですけど」
そこを否定しないあたり、素直なやつだった。
「……飯作るわ」
「お願いします。私はざっくり書類のひな形をつくりますから」
「……飯の時は仕事は忘れろよ」
もしかしてコイツ、油断すると仕事しすぎるタイプじゃないだろうか。
少しだけ心配になりながら、俺は食事の準備に取りかかった。
部屋でひとり、俺は唸った。
魔王が俺の部屋(どくぼう)に入り浸っていると言っても、それは一日のうちのほんの少しの時間だ。
実際にはほとんどの時間がこうしてひとりであり、俺はその暇を鍛錬や掃除、料理の研究などで潰している。
そして今日の俺はというと、机の上に並べられた無数の小ビンの前で考えにふけっていた。
思い出すのは先日の一件。魔界には専用の言語があるという、魔王の言葉。
「……もしかして、この調味料のビンらしきに書いてある文字、全部魔界語なのか?」
模様かなにかだと思ってスルーしていたのだが、実際にはこれもちゃんとした文字なんだろうか。
手近なものをひとつ取ってみるが、もちろんそれで読めるようになるわけでもなく、疑問に応えてくれるであろう魔王も今はいない。
塩や砂糖、胡椒のようなものもあるにはあるが、もしかするとこれも魔界産のなにかよく分からない品なのかもしれない。正体不明だと思うと、急に使うのが怖くなってくる。
「どうせあの腹ペコ魔王、また来るんだろうし、そのときに聞いてみるか……っと?」
噂をすれば影、というのが確か人界の東の方にある島の言葉にあったような気がするが、どうやらその通りになりそうだった。
ぱたぱたとした足音は聞き慣れたもので、そうでなくても勇者の独房に近づいてくるものなんて、ひとりくらいしかいない。
扉の方へと目を向けて少し待てば、いつも通りに元気よく扉が空けられて、
「勇者さん、お腹すきました!」
予想通りの相手が、いつも通りに飯をたかりにやってきた。
上機嫌に耳をふりふり、銀髪をふわふわさせながらこちらに歩み寄ってきた魔王に、俺は軽く手を上げて、
「おう、来たか。なぁ魔王、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「聞きたいこと……どうかしたんですか?」
「この辺りって、魔界の調味料なのか?」
机の上に並べたビンを指さすと、魔王は軽い調子で頷いた。
「そうですよ。どれも魔界ではごく一般的なものです」
「なるほどなぁ……」
つまり、よく分からない調味料で確定だった。
「それが、どうかしました?」
「いや、文字が読めなかったし、どんな料理にどれくらい使うかわからなくてな……人間界の、俺の知らねぇ国のものかと思ったんだが、魔界のだったか」
「あ……言われてみれば、魔界語が読めなければ、ラベルになにが入ってるのか書いていても、わかりませんよね」
「おう、だからちょっとどういうものなのか、教えて貰おうと思って……って……なにしてるんだ」
魔王は俺の言葉に頷くと、すぐに深々と頭を下げた。
銀色の髪が垂れ、床に触れることも気にかけず、魔王は頭を上げずに言葉を作る。
「ご不便をお掛けしました。申し訳ありません」
丁寧すぎるほどに丁寧な謝罪をされて、さすがに面食らった。
別に責めているわけでもないし、謝って欲しいとも思っていない。ただ、調味料がどういうものか教えて欲しいだけだったのに、随分と真剣に謝られてしまった。
「……別に、そんなに改まって頭下げなくても良いんだぞ?」
「いえ、客人として扱うとか、言葉の壁があるとか言っておきながら、配慮が足りなかったものですから……下げなければいけません」
「いや、下げなくて良い、むしろ上げてくれ、そっちの方が落ち着かねえよ……」
「……分かりました、勇者さんがそういうなら」
やや不服そうな顔で、魔王は顔を上げる。
……調子が狂うなぁ、
そこそこの付き合いになってきたと思うが、幼少の頃から教えられてきた魔族のイメージが拭えたわけではないし、ほんの数ヶ月前は敵だったのだ。
そんな相手が素直に頭を下げてくるというのは、嬉しいとか気分が良いとかよりも、やりづらい気持ちの方が大きい。
そんなこっちの気持ちも知らず、魔王は調味料のビンの前で、ぶつぶつと思案し始めているようで、
「そっか、調味料……調味料くらいなら……うーん、でもまだ人界のものを常に仕入れるのは、難しいですよね……えーと……」
「いや、そんなそこまで真面目に考えてくれなくても良いんだぞ、とりあえずどんな調味料か分かれば」
「……分かりました。今度、魔界の調味料についての書類作ってきますね。人間界にあるものと似ているものもあると思いますから、参考にしてください」
「お、おう」
「勇者さんが読みやすいように、私がきちんと監督して人間語で書類作成しておきますけど……読みづらかったら遠慮せずに言ってくださいね?」
「わ、わかった」
「……どうしたんですか? なんだかパチクリしてますけど」
口頭で教えて貰えればそれでいいと思っていたのに、めちゃくちゃしっかりした対策を打ち出されてしまった。
「いや、急に仕事モードに入られてビックリした……そうだよな、お前仕事できるもんな……魔界の女王だしな……」
「む……それ、ちょっとバカにしてません? ちゃんと魔王ですよ、私」
どうやら気分を悪くしたらしく、魔王は紫色の瞳を不機嫌のジト目にして、こちらを睨んでくる。
見た目の問題でそんな顔をしても可愛いとしか思えないのだが、なんだか照れくさくなり、俺はなんとなく視線を逸らしてしまう。
「だ、だってお前、ここにいるとただの腹ペコ女だし……」
「……腹ペコは否定できないですけど」
そこを否定しないあたり、素直なやつだった。
「……飯作るわ」
「お願いします。私はざっくり書類のひな形をつくりますから」
「……飯の時は仕事は忘れろよ」
もしかしてコイツ、油断すると仕事しすぎるタイプじゃないだろうか。
少しだけ心配になりながら、俺は食事の準備に取りかかった。