「…………」
「おはようございます、勇者様」
侍女だった。
恐らくは未だ、早朝の時刻。
目を覚ました俺は、どういうわけか侍女に見下ろされていた。
「……魔王以外の来客があるとは思わなかった」
「ご安心ください。敵ではありませんから」
「ああ、いや……分かってるよ。お前、あれだろ。メイドちゃん、だっけ、そうだろ?」
「あら、魔王様から私のことをお聞きになられていたのですね」
「ああ、一番信頼できる側近で、褐色で、角が生えてて、クール……まあ、聞いていたとおりの美人だな」
寝ぼけた景色に立っているのは、褐色の肌と、立派な角を持った夜魔族だった。
顔立ちは整っており、美形揃いの夜魔という種族でも、おそらくとびきりの美人だろう。
「ふふ、お褒めにあずかり、光栄です」
スカートの両端をつまみ、メイドは恭しくお辞儀をした。
……こいつ、できるな。
一見すると隙だらけのようだが、視線が絶えずこちらを観察しているのが分かる。
魔王の側近であることからも、ただの侍女ではないことは明白だ。
「……とりあえず着替えたいんだが、良いか?」
とはいえ、今の俺は捕虜の身の上だ。
対峙したからと言って戦う必要は無いし、そんなつもりもない。
それが、魔王が気を許しているという『メイドちゃん』なら尚のことだ。
「お手伝いいたしましょうか?」
「いらんいらん……とりあえず寝室から出ててくれ、茶くらいなら淹れてやるから」
「ふふ。承知致しました」
俺の独房にやってきたということはなにか、用事があるということなのだろう。
退室を促すと素直に出て行ったので、俺は手早く普段着に着替え、寝室を出る。
「……なんでもう茶の用意ができてるんだよ」
「メイドですから」
答えになっているような、なっていないような回答だった。
椅子に座るとすぐに湯気を立てているカップがサーブされるし、茶菓子まで用意されている。お前も主人と同じで不思議異空間持ちか?
「どうぞ。あ、先に私が頂く方がよろしいでしょうか?」
「今更毒味なんているか、殺すなら俺が寝てるうちにできるだろ」
「……さすが勇者様は、聡明でいらっしゃいますね」
「……どうも」
あまり大仰に敬語を使われと落ち着かないが、侍女という職業柄、おそらくは性分なのだろう。
突っ込まないようにしようと決めて、俺は出されたお茶を飲む。
「お茶美味いな。……そういや、この間、風邪のときにスープ作ってきてくれてありがとうな。あれも美味かったよ」
「お褒めにあずかり光栄です。お加減がすぐ良くなられたようで、なによりでした」
先日俺が調子を崩したとき、彼女は食事を作ってくれた。
魔王が受け取って俺に食べさせてくれたので直接礼を言うことができなかったので、来てくれたのがいい機会になった。
淹れられたお茶をすすって、俺はメイドちゃんに改めて向きあう。
「……で、わざわざこんな時間に来るってことはなんか用があるんだろ?」
「はい。さすが勇者様、お話が早くていらっしゃいますね」
恭しくお辞儀をして、メイドちゃんは懐からそう大きくない紙束を取り出す。
差し出されたそれを受け取ると、相手は静かに頷いて、
「どうぞ、中をご覧ください」
「? まあ、見ろって言うんなら……ぶっ!?」
言われた通りに見た紙には、ベッドシーツにくるまってスヤスヤと幸せそうに眠る魔王が描かれていた。
誰かが描いた風景画というよりは、景色をそのまま切り取って移したような、魔王の寝顔。
「なっ、な、お前、これは……」
「私の魔法で写した、普段の魔王様のお姿です。メモ帳一冊分、すべて魔王様でいっぱいにしてあります」
「ね、念写の魔法か、通りで綺麗な……じゃなくて! なんで俺にこれを渡す!?」
「可愛くありませんか?」
「かっ……いや、その……」
突然投げかけられた言葉に、俺は狼狽する。
魔王のことを憎からず思っている、むしろ好きだという自覚があるからこそ、否定でも肯定でもなく、言葉に詰まる。
メイドちゃんはツノの生えた頭を傾げると、高速で俺に詰め寄って、
「可愛くありませんか……!?」
「圧がすごいなお前!? ええい、かわいいよ、かわいいに決まってんだろ!!」
「ええ、そうでしょう。魔界一カワイイ私の自慢の主人ですからね」
「メイドちゃん、お前……さては魔王にあの執務服を着せたのはお前だな……?」
「御明察です。ああ、ちゃんづけはなさらなくても構いませんよ、勇者様」
柔らかく微笑んで、メイドはこちらから距離を取る。
嫌みな感覚はない。しかし、明らかに俺を値踏みしているような視線。
警戒の必要はないとは思うが、見続けられるのも居心地が悪いのも本当だ。
「……お前、本当になにが目的だ?」
「目的……ですか。このメイド、己に課している目標はただひとつ、魔王様の幸せです」
「それと俺にこの魔王の念写を渡すのと、何の関係があるんだよ……」
魔王のこれまでの話を聞くに、こいつが魔王の側近で一番近しく、あいつが最も信頼している相手なのは間違いない。
目的の分からない、しかし敵意と悪意はないと分かる相手へのやりづらさを感じていると、相手は涼しい顔で、
「そうですね……ちょっと勇者様の反応が見たくて、軽い悪戯でもと」
「軽い悪戯で主人の寝姿を他人に見せるなよ」
「ふふ、申し訳ありません。……実は自分の目で勇者様を見てみたかった、というのが一番の用事でして」
「俺は珍しい動物かよ。……いや魔界ではそうなんだろうが」
「いえ、そういう意味ではなく。魔王様からよくお話を聞いておりますので、どのような殿方なのか直に見てみたいと思いまして」
「ああ、そういう意味か。どちらにせよ、俺なんか見にきてもなにも得する事ないと思うけどな」
「いいえ、こうして直に話して、魔王様が勇者様を気にいる気持ちがわかりましたので、価値はありましたよ」
「……そうか」
どこを見てそう思ったのかは不明だが、メイドは満足げに目を細めている。
よく分からない来客に首を捻りたくなるが、相手になにか悪い意図があるわけではないのは分かるので、自制しておいた。
「ところで勇者様は大変な魔界チェスの名手だとか。……一局、よろしいでしょうか?」
「名手っていっても魔王しか相手したことないんだけどな。まあ、ちょっと待ってろよ」
誘われて断る理由がないので、俺は魔王が部屋に置いていった魔界チェスのセットをテーブルに置いた。
手早く駒を並べれば、いつでも対戦がはじめられる状態になる。
「どっちが先に打つ?」
「それでは、僭越ながら私から」
うやうやしく一礼をして、メイドは自分の駒を動かした。
手番が回ってきたので、俺も自分の駒を動かす。魔王以外と打つのははじめてなので、相手の動きを伺うように、控えめな打ち筋だ。
少しの間、お互いに無言で手だけを動かす。
「……勇者様は、魔王様のことをどう思っておられますか?」
対局が中盤に差し掛かり、勝ち筋が見えてきたところで、唐突に相手が口を開いた。
「そうだな……良いやつだと思うぞ。正直、本当に魔界の女王なのかってしばらく疑ってたくらいだし」
手を止めることなく、ただ思っていることを口にする。
嘘を言う必要のない相手なので、包み隠さずに正直な感想を述べると、相手は少しだけ目を細くして、
「なるほど、勇者様も魔王様が大好きだと」
「すっ!?」
あまりにも唐突な言葉に、持った駒を落としかけてしまった。
「そ、そこまでは言ってないだろ」
「あら、そうなのですか? 魔王様は、勇者様のことを大変気に入ってらっしゃいますが」
「そ、れは……友達だからな」
「友達……なるほど」
「な、なんだよ」
含みのある笑みで、褐色の魔族がこちらを見る。
メイドは澱みなく駒を動かしながら、
「魔王様は毎日、勇者さんに会いに行きたいだとか、今日は勇者さんとなにをしただとか、私にたくさん話してくださいますよ」
「っ、そ、そうか……」
やばい、めちゃくちゃ嬉しい。
口元が緩んでしまわないようにするのが精一杯になっていることを自覚しながら、俺は駒を動かす。
しかし当然、一度揺らいだ心はそう簡単には戻らず、少しずつ盤面を見るのが疎かになっていく。
「……はい、これでチェックメイトですね」
「ぐ……」
結局、途中からゲームどころではなくなってしまい、俺はあっさりとメイドに負けたのだった。
対局中に心を乱した方が悪いので言い訳をすることはないが、悔しいものは悔しい。
「ぎりぎりの勝負でしたね。勇者様が私の言葉で心を乱さなければ、勝敗は逆だったかと」
「っ、それは……」
「ご安心を。勇者様が魔王様をどう思っているか確認するのも、目的の一つですから。……思った通りに、魔王様を想ってくださっているようでなによりです」
「な、なんのことだ?」
「隠さなくても、問題ありませんよ。咎めるつもりも、止めるつもりもありませんので」
「っ……」
紅の目が、柔らかくこちらを見つめている。
……これは、隠し事ができる雰囲気じゃないな。
睨むのでも探るのでもない、ただ優しい瞳。
少しだけ、魔王に似ていると感じながら、俺は観念するしかないことを察した。
「……分かった、隠し事はやめる。ただ、ひとつ聞かせてくれ」
「なんでしょうか?」
「お前は、なにを考えてるんだ?」
「魔王様の幸せです」
きっぱりとした言葉には、覚悟すらこもっているように感じた。
こいつと話すのははじめてだが、今の言葉と目だけでも、相手の本気は充分に理解できる。
「……そうなると、俺の存在は邪魔じゃないか?」
魔王の幸せを望むのなら、俺があいつのことを想うのはよくないことではないだろうか。
人類の希望とはすなわち、魔族にとっての仇敵なのだから。
「ええ、きっと多くの魔族がそう言うでしょう。……魔王様のことを、知らなければ」
「魔王の、ことを……?」
「勇者様、魔王様は……はじめてこの世界で、弱者の存在を認めて、その権利のために戦った方なのです」
「……あいつが、戦争ばかりで荒れていた魔界を統治したからか」
「はい。強いものが弱いものを食らうのでも、強いものすらも生き残れない過酷な世界でもなく……誰もが幸いを謳歌することを、そんな世界であることを、魔王様は許しました。そしてこの世界を少しでも優しくするために尽力してくださいました。私もそうして、救われたひとりです」
五千年の統治が、どのようなものなのか俺には想像することくらいしかできない。
それでも、想像だけでも充分に凄いことだというのはわかる。そうでなければ、こんなにも慕われることはないだろう。
「ですから、私はあの方に……魔王様に、魔王様自身も許してほしいのです。あの方が他人に与えたように、ただ当たり前の幸いを得ることを、ご自身にも許してほしい」
「……ああ、そうだな」
他人の幸せのために、己を捧げているものが、幸せになってはいけないなんて、そんなのは不条理だろう。
綺麗事かもしれないが、目の前の相手の気持ちは共感できる。
……俺だって、そうしてもらったんだからな。
魔王が、俺が処刑される未来を否定してくれた。
役割としての勇者ではない、別の生き方ができるように、尽力してくれた。
そして彼女は、人類が生きることも許して、そのために今も頑張ってくれている。
「しかしそうなると、ますますお前が俺になにもしない理由がわからないんだが。俺の存在、なかった方があいつの立場的には良いだろ」
「立場の上ではそうかもしれませんね。ですが……立場が幸いを産むのではありませんから」
「んん……?」
「……勇者様が割と鈍感なのは実感としてわかりました」
あ、これは微妙に呆れられてるな。
大仰に溜め息をこぼして、メイドはこちらのカップに新規のお茶を注いでくる。
「魔王様は、勇者様のことが大切なのです」
「あ……」
「大切なひとが失われれば、悲しい。それは人類も魔族も、変わらないのですよ」
「……そうか」
言われてみれば、それは至極当たり前のことだった。
泣いちゃいますよ、と言っていたお人好しの顔が、頭に浮かぶ。
あいつを泣かせないために、俺は二度と自分の生命を軽々しく扱わないと誓ったのだった。
いなくなったら泣いてしまうくらいには、魔王は俺のことを大事に想ってくれているのだ。
「勇者様。これからも魔王様の大事な人として、魔王様と仲良くしてくださいね」
「そ、れは……」
「ええ、ぜひあの方を『落として』くださいという意味ですよ」
「……ずいぶん信頼されてるな、今日初めて会った相手だろうに」
「魔王様ファンクラブ総会長の私の目に狂いはないと自負しております。今まで数多の魔王様に近づく不届き物を『駆除』してきましたが、勇者様は魔王様の恋人として花丸合格点です」
「待て、いま結構突っ込みどころがなかったか?」
「気のせいでしょう。そんなことより、魔王様のことです」
こちらの疑問に答える気はないようで、メイドはしれっとした顔で話を続ける。
「さしあたって、勇者様にはもっと魔王様と仲良くしてほしいのです。……ですから、私の方から機会を設けたく思います」
「……は?」
こちらの疑問符に対して、メイドはただ目を細めるだけだった。
なにを考えているのかやや不安になりつつも、魔王と仲良くできる機会と言われると、断れる自信がない自分がいるのだった。
「おはようございます、勇者様」
侍女だった。
恐らくは未だ、早朝の時刻。
目を覚ました俺は、どういうわけか侍女に見下ろされていた。
「……魔王以外の来客があるとは思わなかった」
「ご安心ください。敵ではありませんから」
「ああ、いや……分かってるよ。お前、あれだろ。メイドちゃん、だっけ、そうだろ?」
「あら、魔王様から私のことをお聞きになられていたのですね」
「ああ、一番信頼できる側近で、褐色で、角が生えてて、クール……まあ、聞いていたとおりの美人だな」
寝ぼけた景色に立っているのは、褐色の肌と、立派な角を持った夜魔族だった。
顔立ちは整っており、美形揃いの夜魔という種族でも、おそらくとびきりの美人だろう。
「ふふ、お褒めにあずかり、光栄です」
スカートの両端をつまみ、メイドは恭しくお辞儀をした。
……こいつ、できるな。
一見すると隙だらけのようだが、視線が絶えずこちらを観察しているのが分かる。
魔王の側近であることからも、ただの侍女ではないことは明白だ。
「……とりあえず着替えたいんだが、良いか?」
とはいえ、今の俺は捕虜の身の上だ。
対峙したからと言って戦う必要は無いし、そんなつもりもない。
それが、魔王が気を許しているという『メイドちゃん』なら尚のことだ。
「お手伝いいたしましょうか?」
「いらんいらん……とりあえず寝室から出ててくれ、茶くらいなら淹れてやるから」
「ふふ。承知致しました」
俺の独房にやってきたということはなにか、用事があるということなのだろう。
退室を促すと素直に出て行ったので、俺は手早く普段着に着替え、寝室を出る。
「……なんでもう茶の用意ができてるんだよ」
「メイドですから」
答えになっているような、なっていないような回答だった。
椅子に座るとすぐに湯気を立てているカップがサーブされるし、茶菓子まで用意されている。お前も主人と同じで不思議異空間持ちか?
「どうぞ。あ、先に私が頂く方がよろしいでしょうか?」
「今更毒味なんているか、殺すなら俺が寝てるうちにできるだろ」
「……さすが勇者様は、聡明でいらっしゃいますね」
「……どうも」
あまり大仰に敬語を使われと落ち着かないが、侍女という職業柄、おそらくは性分なのだろう。
突っ込まないようにしようと決めて、俺は出されたお茶を飲む。
「お茶美味いな。……そういや、この間、風邪のときにスープ作ってきてくれてありがとうな。あれも美味かったよ」
「お褒めにあずかり光栄です。お加減がすぐ良くなられたようで、なによりでした」
先日俺が調子を崩したとき、彼女は食事を作ってくれた。
魔王が受け取って俺に食べさせてくれたので直接礼を言うことができなかったので、来てくれたのがいい機会になった。
淹れられたお茶をすすって、俺はメイドちゃんに改めて向きあう。
「……で、わざわざこんな時間に来るってことはなんか用があるんだろ?」
「はい。さすが勇者様、お話が早くていらっしゃいますね」
恭しくお辞儀をして、メイドちゃんは懐からそう大きくない紙束を取り出す。
差し出されたそれを受け取ると、相手は静かに頷いて、
「どうぞ、中をご覧ください」
「? まあ、見ろって言うんなら……ぶっ!?」
言われた通りに見た紙には、ベッドシーツにくるまってスヤスヤと幸せそうに眠る魔王が描かれていた。
誰かが描いた風景画というよりは、景色をそのまま切り取って移したような、魔王の寝顔。
「なっ、な、お前、これは……」
「私の魔法で写した、普段の魔王様のお姿です。メモ帳一冊分、すべて魔王様でいっぱいにしてあります」
「ね、念写の魔法か、通りで綺麗な……じゃなくて! なんで俺にこれを渡す!?」
「可愛くありませんか?」
「かっ……いや、その……」
突然投げかけられた言葉に、俺は狼狽する。
魔王のことを憎からず思っている、むしろ好きだという自覚があるからこそ、否定でも肯定でもなく、言葉に詰まる。
メイドちゃんはツノの生えた頭を傾げると、高速で俺に詰め寄って、
「可愛くありませんか……!?」
「圧がすごいなお前!? ええい、かわいいよ、かわいいに決まってんだろ!!」
「ええ、そうでしょう。魔界一カワイイ私の自慢の主人ですからね」
「メイドちゃん、お前……さては魔王にあの執務服を着せたのはお前だな……?」
「御明察です。ああ、ちゃんづけはなさらなくても構いませんよ、勇者様」
柔らかく微笑んで、メイドはこちらから距離を取る。
嫌みな感覚はない。しかし、明らかに俺を値踏みしているような視線。
警戒の必要はないとは思うが、見続けられるのも居心地が悪いのも本当だ。
「……お前、本当になにが目的だ?」
「目的……ですか。このメイド、己に課している目標はただひとつ、魔王様の幸せです」
「それと俺にこの魔王の念写を渡すのと、何の関係があるんだよ……」
魔王のこれまでの話を聞くに、こいつが魔王の側近で一番近しく、あいつが最も信頼している相手なのは間違いない。
目的の分からない、しかし敵意と悪意はないと分かる相手へのやりづらさを感じていると、相手は涼しい顔で、
「そうですね……ちょっと勇者様の反応が見たくて、軽い悪戯でもと」
「軽い悪戯で主人の寝姿を他人に見せるなよ」
「ふふ、申し訳ありません。……実は自分の目で勇者様を見てみたかった、というのが一番の用事でして」
「俺は珍しい動物かよ。……いや魔界ではそうなんだろうが」
「いえ、そういう意味ではなく。魔王様からよくお話を聞いておりますので、どのような殿方なのか直に見てみたいと思いまして」
「ああ、そういう意味か。どちらにせよ、俺なんか見にきてもなにも得する事ないと思うけどな」
「いいえ、こうして直に話して、魔王様が勇者様を気にいる気持ちがわかりましたので、価値はありましたよ」
「……そうか」
どこを見てそう思ったのかは不明だが、メイドは満足げに目を細めている。
よく分からない来客に首を捻りたくなるが、相手になにか悪い意図があるわけではないのは分かるので、自制しておいた。
「ところで勇者様は大変な魔界チェスの名手だとか。……一局、よろしいでしょうか?」
「名手っていっても魔王しか相手したことないんだけどな。まあ、ちょっと待ってろよ」
誘われて断る理由がないので、俺は魔王が部屋に置いていった魔界チェスのセットをテーブルに置いた。
手早く駒を並べれば、いつでも対戦がはじめられる状態になる。
「どっちが先に打つ?」
「それでは、僭越ながら私から」
うやうやしく一礼をして、メイドは自分の駒を動かした。
手番が回ってきたので、俺も自分の駒を動かす。魔王以外と打つのははじめてなので、相手の動きを伺うように、控えめな打ち筋だ。
少しの間、お互いに無言で手だけを動かす。
「……勇者様は、魔王様のことをどう思っておられますか?」
対局が中盤に差し掛かり、勝ち筋が見えてきたところで、唐突に相手が口を開いた。
「そうだな……良いやつだと思うぞ。正直、本当に魔界の女王なのかってしばらく疑ってたくらいだし」
手を止めることなく、ただ思っていることを口にする。
嘘を言う必要のない相手なので、包み隠さずに正直な感想を述べると、相手は少しだけ目を細くして、
「なるほど、勇者様も魔王様が大好きだと」
「すっ!?」
あまりにも唐突な言葉に、持った駒を落としかけてしまった。
「そ、そこまでは言ってないだろ」
「あら、そうなのですか? 魔王様は、勇者様のことを大変気に入ってらっしゃいますが」
「そ、れは……友達だからな」
「友達……なるほど」
「な、なんだよ」
含みのある笑みで、褐色の魔族がこちらを見る。
メイドは澱みなく駒を動かしながら、
「魔王様は毎日、勇者さんに会いに行きたいだとか、今日は勇者さんとなにをしただとか、私にたくさん話してくださいますよ」
「っ、そ、そうか……」
やばい、めちゃくちゃ嬉しい。
口元が緩んでしまわないようにするのが精一杯になっていることを自覚しながら、俺は駒を動かす。
しかし当然、一度揺らいだ心はそう簡単には戻らず、少しずつ盤面を見るのが疎かになっていく。
「……はい、これでチェックメイトですね」
「ぐ……」
結局、途中からゲームどころではなくなってしまい、俺はあっさりとメイドに負けたのだった。
対局中に心を乱した方が悪いので言い訳をすることはないが、悔しいものは悔しい。
「ぎりぎりの勝負でしたね。勇者様が私の言葉で心を乱さなければ、勝敗は逆だったかと」
「っ、それは……」
「ご安心を。勇者様が魔王様をどう思っているか確認するのも、目的の一つですから。……思った通りに、魔王様を想ってくださっているようでなによりです」
「な、なんのことだ?」
「隠さなくても、問題ありませんよ。咎めるつもりも、止めるつもりもありませんので」
「っ……」
紅の目が、柔らかくこちらを見つめている。
……これは、隠し事ができる雰囲気じゃないな。
睨むのでも探るのでもない、ただ優しい瞳。
少しだけ、魔王に似ていると感じながら、俺は観念するしかないことを察した。
「……分かった、隠し事はやめる。ただ、ひとつ聞かせてくれ」
「なんでしょうか?」
「お前は、なにを考えてるんだ?」
「魔王様の幸せです」
きっぱりとした言葉には、覚悟すらこもっているように感じた。
こいつと話すのははじめてだが、今の言葉と目だけでも、相手の本気は充分に理解できる。
「……そうなると、俺の存在は邪魔じゃないか?」
魔王の幸せを望むのなら、俺があいつのことを想うのはよくないことではないだろうか。
人類の希望とはすなわち、魔族にとっての仇敵なのだから。
「ええ、きっと多くの魔族がそう言うでしょう。……魔王様のことを、知らなければ」
「魔王の、ことを……?」
「勇者様、魔王様は……はじめてこの世界で、弱者の存在を認めて、その権利のために戦った方なのです」
「……あいつが、戦争ばかりで荒れていた魔界を統治したからか」
「はい。強いものが弱いものを食らうのでも、強いものすらも生き残れない過酷な世界でもなく……誰もが幸いを謳歌することを、そんな世界であることを、魔王様は許しました。そしてこの世界を少しでも優しくするために尽力してくださいました。私もそうして、救われたひとりです」
五千年の統治が、どのようなものなのか俺には想像することくらいしかできない。
それでも、想像だけでも充分に凄いことだというのはわかる。そうでなければ、こんなにも慕われることはないだろう。
「ですから、私はあの方に……魔王様に、魔王様自身も許してほしいのです。あの方が他人に与えたように、ただ当たり前の幸いを得ることを、ご自身にも許してほしい」
「……ああ、そうだな」
他人の幸せのために、己を捧げているものが、幸せになってはいけないなんて、そんなのは不条理だろう。
綺麗事かもしれないが、目の前の相手の気持ちは共感できる。
……俺だって、そうしてもらったんだからな。
魔王が、俺が処刑される未来を否定してくれた。
役割としての勇者ではない、別の生き方ができるように、尽力してくれた。
そして彼女は、人類が生きることも許して、そのために今も頑張ってくれている。
「しかしそうなると、ますますお前が俺になにもしない理由がわからないんだが。俺の存在、なかった方があいつの立場的には良いだろ」
「立場の上ではそうかもしれませんね。ですが……立場が幸いを産むのではありませんから」
「んん……?」
「……勇者様が割と鈍感なのは実感としてわかりました」
あ、これは微妙に呆れられてるな。
大仰に溜め息をこぼして、メイドはこちらのカップに新規のお茶を注いでくる。
「魔王様は、勇者様のことが大切なのです」
「あ……」
「大切なひとが失われれば、悲しい。それは人類も魔族も、変わらないのですよ」
「……そうか」
言われてみれば、それは至極当たり前のことだった。
泣いちゃいますよ、と言っていたお人好しの顔が、頭に浮かぶ。
あいつを泣かせないために、俺は二度と自分の生命を軽々しく扱わないと誓ったのだった。
いなくなったら泣いてしまうくらいには、魔王は俺のことを大事に想ってくれているのだ。
「勇者様。これからも魔王様の大事な人として、魔王様と仲良くしてくださいね」
「そ、れは……」
「ええ、ぜひあの方を『落として』くださいという意味ですよ」
「……ずいぶん信頼されてるな、今日初めて会った相手だろうに」
「魔王様ファンクラブ総会長の私の目に狂いはないと自負しております。今まで数多の魔王様に近づく不届き物を『駆除』してきましたが、勇者様は魔王様の恋人として花丸合格点です」
「待て、いま結構突っ込みどころがなかったか?」
「気のせいでしょう。そんなことより、魔王様のことです」
こちらの疑問に答える気はないようで、メイドはしれっとした顔で話を続ける。
「さしあたって、勇者様にはもっと魔王様と仲良くしてほしいのです。……ですから、私の方から機会を設けたく思います」
「……は?」
こちらの疑問符に対して、メイドはただ目を細めるだけだった。
なにを考えているのかやや不安になりつつも、魔王と仲良くできる機会と言われると、断れる自信がない自分がいるのだった。