「……ご馳走様でした」
「ほい、おそまつさん」
いつも通りに皿を綺麗にして、魔王は手を合わせる。
余さず食べてもらえるのは、作った側としては嬉しいものだ。
俺はいつも通りに空いた皿を下げて、魔王に食後のお茶を淹れてやることにする。
「ほら、食後のお茶な」
「あ、勇者さんの緑茶。ありがとうございます♪」
魔王は丁寧にお礼を言って、俺の手からカップを受け取ろうとして――
「あ……」
――お互いの手が、少し触れた。
顔を赤くした魔王が、慌てた様子で手を引っこめて、
「ご、ごめんなさい、当たっちゃいました……」
「い、いや、こぼれては無いし、大丈夫だろ。火傷しないように飲めよ」
「は、はい。えへ、えへへ……」
なんだこいつ。かわいいか。
こっちまで顔を赤くしてしまいそうになったが、皿洗いにかかることで気持ちを落ち着ける。
……良くないよな、この感じは。
先日、自分の気持ちを自覚してから、俺はあまり冷静とは言えない状態だった。
今までは気にしていなかったような、魔王のちょっとした仕草が気になってしまう。
頻繁に会いに来てくれたり、気にかけてくれたり、時々こちらを見てニコニコしていたり。
そういう行為すべてを、意識してしまう。
……そういうんじゃないって、分かってるんだけどな。
今だって顔が赤くなったのは、突然手が当たって、驚いたというだけのことだろう。
相手は、俺に懐いているだけで、決して恋愛感情を持っているわけではない。
何度も自分にそう言い聞かせることで、俺はなんとか平静を保っていた。
「……今日の夜は、飯どうする?」
「あ、食べていきます!」
機嫌良さそうに長耳をぴこぴこ動かしつつ、魔王は元気よく応える。
そう言うだろうと思っていたので、俺はふたり分の食材を取り出した。
「あれ? 今お昼食べたばかりなのに、もう準備するんですか?」
「今日はタレに漬けて焼こうと思ってな」
適当に調合した調味液の中に、骨を外し、余分な油を切り取った鳥っぽい肉を入れる。あとは時間が来たら焼くだけだ。
そして肉を外したあとの骨を鍋に入れて水を張り、じっくりと煮込んでいく。
スープの具材は、じゃがいもとキャベツに似ている野菜を用意した。
「……ん、これでしばらくは煮込んで、灰汁とってから野菜だな」
「暇になりましたー?」
「ん、ああ……あんまり火元には近づくなよ、危ないからな」
「ゆーしゃさん、私のこと時々すごく子供扱いしてません……?」
「そういうつもりはないけど、お前ちょっと危なっかしいからなあ……」
家事できない歴五千年、と言われるとさすがに心配になってくる。
少しむすっとした顔の魔王を、まあまあ、と宥めつつ、かまどの火を弱める。
さすがに火元を離れるわけにはいかないので、適当に壁にもたれかかると、魔王はニコニコで隣に陣取って、
「えへへ、勇者さんのおとなりー」
「っ……」
特に用事も無いのに近くに寄ってこられて、どきりとしてしまう。
「……じゅ、準備はまだ暫くかかるから、向こうで待ってて良いんだぞ」
「いえいえ、ひとりで待ってるのも暇ですし。それならこうして、勇者さんの近くでお話したいなあって……ダメですか?」
「……ダメ、ではないけどよ」
ダメになっているのはこっちなので、拒否する理由がない。
むしろここで妙に意識して遠ざけても、相手が訝しむか、悲しむかだろう。
素直に受け入れると、魔王は嬉しそうに、
「えへへ、それじゃ遠慮無く。……ゆーしゃさん、最近は膝枕とか足りてますか? いつでもしますよ?」
「ぶっ」
笑顔の不意打ちで、爆弾が飛んできた。
「……また急だな」
「え、だって煮込んでる間ってたまにお鍋混ぜるだけですよね。火も弱めてあるし、膝枕くらいできないかなって」
「……いや、一応火の番してるからな。そういうのはあとでいいよ」
「あとで……分かりました、あとで、ですね!」
あ、これ口滑ったな。
後悔したのもつかの間、魔王はとっくにやる気で、だいぶ嬉しそうだ。ニコニコしてやがる。
……好意はありがたいんだけどなあ!
こちらに気を遣ってくれているのだろうし、前よりは肩の力を抜くという約束もしたし、先日にしてもらったことでもある。
それでも、気持ちが変化した今はちょっと刺激が強すぎるというか、いろいろと危ないというか、勘違いが加速してしまうというか。
どうしたものか、と思っていると、魔王は可愛らしく小首を傾げて、
「あら、悩み事ですか?」
「いや、そういうわけじゃなくてな……ちょっと自分のことを見つめ直してた」
「……? よく分かりませんけど、反省できるのは良いことですよね。私も何度も失敗して、そのたびに反省と改善でしたし」
「いや、そんな国を動かしてるやつの悩みほどのスケールの話じゃないんだけどな……」
自分の気持ちのことなので、めちゃくちゃ私情だった。
「なに言ってるんですか、悩みや反省に、大きい小さいなんてありませんよ。勇者さんが考えるんですから、それは勇者さんにとって大事なことでしょう」
「…………」
「……あ、今また『こいつ魔王らしくねえなー』って思ってますね。ふふ、もうわかりますよ?」
「いや……いや、うん、まあ、そうだな」
確かに、『魔王』らしくないとも思った。
だけどそれ以上に、『コイツ』らしいと、思ってしまった。
魔王や勇者という立場を理解した上で、真剣にこちらと向き合ってくれる。
こちらの悩みの中身など関係なく、大事なことだと言ってくれる。
俺を、ひとりの人間として、見てくれる。
「……ありがとな、魔王」
「お礼を言われるようなことはありませんよ。……あ、話したくなったらいつでも話してくださいね。私でお手伝いできることなら、お手伝いしますから」
「……ああ。分かったよ」
話せることじゃない。
けれど、彼女が真剣にこちらを想ってくれていることは充分に分かった。
……これで好きにならない、ってのは、無理だな。
我ながら、簡単な男だと思う。
けれど、自覚してしまったのだからどうしようもない。
こうして、自分のことを真っ直ぐに見てくれると思える相手なんて、母親以外でははじめてだったのだから。
「ところでコレ、鳥っぽいんだけど魔界の鳥でいいのか?」
「あ、そうですよ。家畜として品種改良した鳥で、魔界の食材では一般的なものになります」
「魔界産の家畜……まあやっぱりそういうのは必要だよな」
「もともと食糧事情が厳しくて荒れてたわけですから、統治を始めたばかりのころは食糧問題が一番急務でしたからね……あ、品種改良したのは私で、人類語で言うと『魔王鳥』っていう感じの名前がついてますよ」
「すげぇ強そうな名前だな……まあ、安全ならなんでも良いけど」
「安全安心ですよ! ちなみに、五千年の統治の間に派生種が結構作られてて、人類語に直すと『真・魔王鳥』とか、『魔王鳥・黙示録』とか、『魔王鳥・皇帝』とかいろいろあるんですよ」
「名前どんどんいかつくなってんじゃねーか。というか皇帝は王と微妙に意味に被ってるだろ……」
どうやって膝枕の話をうやむやにしようかと悩みつつ。
俺はしばらくの間、鍋の番をしながら魔王と他愛のない話をするのだった。
「ほい、おそまつさん」
いつも通りに皿を綺麗にして、魔王は手を合わせる。
余さず食べてもらえるのは、作った側としては嬉しいものだ。
俺はいつも通りに空いた皿を下げて、魔王に食後のお茶を淹れてやることにする。
「ほら、食後のお茶な」
「あ、勇者さんの緑茶。ありがとうございます♪」
魔王は丁寧にお礼を言って、俺の手からカップを受け取ろうとして――
「あ……」
――お互いの手が、少し触れた。
顔を赤くした魔王が、慌てた様子で手を引っこめて、
「ご、ごめんなさい、当たっちゃいました……」
「い、いや、こぼれては無いし、大丈夫だろ。火傷しないように飲めよ」
「は、はい。えへ、えへへ……」
なんだこいつ。かわいいか。
こっちまで顔を赤くしてしまいそうになったが、皿洗いにかかることで気持ちを落ち着ける。
……良くないよな、この感じは。
先日、自分の気持ちを自覚してから、俺はあまり冷静とは言えない状態だった。
今までは気にしていなかったような、魔王のちょっとした仕草が気になってしまう。
頻繁に会いに来てくれたり、気にかけてくれたり、時々こちらを見てニコニコしていたり。
そういう行為すべてを、意識してしまう。
……そういうんじゃないって、分かってるんだけどな。
今だって顔が赤くなったのは、突然手が当たって、驚いたというだけのことだろう。
相手は、俺に懐いているだけで、決して恋愛感情を持っているわけではない。
何度も自分にそう言い聞かせることで、俺はなんとか平静を保っていた。
「……今日の夜は、飯どうする?」
「あ、食べていきます!」
機嫌良さそうに長耳をぴこぴこ動かしつつ、魔王は元気よく応える。
そう言うだろうと思っていたので、俺はふたり分の食材を取り出した。
「あれ? 今お昼食べたばかりなのに、もう準備するんですか?」
「今日はタレに漬けて焼こうと思ってな」
適当に調合した調味液の中に、骨を外し、余分な油を切り取った鳥っぽい肉を入れる。あとは時間が来たら焼くだけだ。
そして肉を外したあとの骨を鍋に入れて水を張り、じっくりと煮込んでいく。
スープの具材は、じゃがいもとキャベツに似ている野菜を用意した。
「……ん、これでしばらくは煮込んで、灰汁とってから野菜だな」
「暇になりましたー?」
「ん、ああ……あんまり火元には近づくなよ、危ないからな」
「ゆーしゃさん、私のこと時々すごく子供扱いしてません……?」
「そういうつもりはないけど、お前ちょっと危なっかしいからなあ……」
家事できない歴五千年、と言われるとさすがに心配になってくる。
少しむすっとした顔の魔王を、まあまあ、と宥めつつ、かまどの火を弱める。
さすがに火元を離れるわけにはいかないので、適当に壁にもたれかかると、魔王はニコニコで隣に陣取って、
「えへへ、勇者さんのおとなりー」
「っ……」
特に用事も無いのに近くに寄ってこられて、どきりとしてしまう。
「……じゅ、準備はまだ暫くかかるから、向こうで待ってて良いんだぞ」
「いえいえ、ひとりで待ってるのも暇ですし。それならこうして、勇者さんの近くでお話したいなあって……ダメですか?」
「……ダメ、ではないけどよ」
ダメになっているのはこっちなので、拒否する理由がない。
むしろここで妙に意識して遠ざけても、相手が訝しむか、悲しむかだろう。
素直に受け入れると、魔王は嬉しそうに、
「えへへ、それじゃ遠慮無く。……ゆーしゃさん、最近は膝枕とか足りてますか? いつでもしますよ?」
「ぶっ」
笑顔の不意打ちで、爆弾が飛んできた。
「……また急だな」
「え、だって煮込んでる間ってたまにお鍋混ぜるだけですよね。火も弱めてあるし、膝枕くらいできないかなって」
「……いや、一応火の番してるからな。そういうのはあとでいいよ」
「あとで……分かりました、あとで、ですね!」
あ、これ口滑ったな。
後悔したのもつかの間、魔王はとっくにやる気で、だいぶ嬉しそうだ。ニコニコしてやがる。
……好意はありがたいんだけどなあ!
こちらに気を遣ってくれているのだろうし、前よりは肩の力を抜くという約束もしたし、先日にしてもらったことでもある。
それでも、気持ちが変化した今はちょっと刺激が強すぎるというか、いろいろと危ないというか、勘違いが加速してしまうというか。
どうしたものか、と思っていると、魔王は可愛らしく小首を傾げて、
「あら、悩み事ですか?」
「いや、そういうわけじゃなくてな……ちょっと自分のことを見つめ直してた」
「……? よく分かりませんけど、反省できるのは良いことですよね。私も何度も失敗して、そのたびに反省と改善でしたし」
「いや、そんな国を動かしてるやつの悩みほどのスケールの話じゃないんだけどな……」
自分の気持ちのことなので、めちゃくちゃ私情だった。
「なに言ってるんですか、悩みや反省に、大きい小さいなんてありませんよ。勇者さんが考えるんですから、それは勇者さんにとって大事なことでしょう」
「…………」
「……あ、今また『こいつ魔王らしくねえなー』って思ってますね。ふふ、もうわかりますよ?」
「いや……いや、うん、まあ、そうだな」
確かに、『魔王』らしくないとも思った。
だけどそれ以上に、『コイツ』らしいと、思ってしまった。
魔王や勇者という立場を理解した上で、真剣にこちらと向き合ってくれる。
こちらの悩みの中身など関係なく、大事なことだと言ってくれる。
俺を、ひとりの人間として、見てくれる。
「……ありがとな、魔王」
「お礼を言われるようなことはありませんよ。……あ、話したくなったらいつでも話してくださいね。私でお手伝いできることなら、お手伝いしますから」
「……ああ。分かったよ」
話せることじゃない。
けれど、彼女が真剣にこちらを想ってくれていることは充分に分かった。
……これで好きにならない、ってのは、無理だな。
我ながら、簡単な男だと思う。
けれど、自覚してしまったのだからどうしようもない。
こうして、自分のことを真っ直ぐに見てくれると思える相手なんて、母親以外でははじめてだったのだから。
「ところでコレ、鳥っぽいんだけど魔界の鳥でいいのか?」
「あ、そうですよ。家畜として品種改良した鳥で、魔界の食材では一般的なものになります」
「魔界産の家畜……まあやっぱりそういうのは必要だよな」
「もともと食糧事情が厳しくて荒れてたわけですから、統治を始めたばかりのころは食糧問題が一番急務でしたからね……あ、品種改良したのは私で、人類語で言うと『魔王鳥』っていう感じの名前がついてますよ」
「すげぇ強そうな名前だな……まあ、安全ならなんでも良いけど」
「安全安心ですよ! ちなみに、五千年の統治の間に派生種が結構作られてて、人類語に直すと『真・魔王鳥』とか、『魔王鳥・黙示録』とか、『魔王鳥・皇帝』とかいろいろあるんですよ」
「名前どんどんいかつくなってんじゃねーか。というか皇帝は王と微妙に意味に被ってるだろ……」
どうやって膝枕の話をうやむやにしようかと悩みつつ。
俺はしばらくの間、鍋の番をしながら魔王と他愛のない話をするのだった。