「……ごちそうさまでした」

 皿の上にあった料理を綺麗に平らげて、魔王は手を合わせる。
 綺麗に食べきって貰えることを心地よく感じながら、俺は彼女にお茶を淹れてやる。

「ほい、食後のお茶だぞ」
「えへへ、ありがとうございます」

 笑顔で礼を言って、魔王は俺がサーブしたお茶に口をつける。
 相変わらずの丁寧で綺麗な所作。しかし俺は、彼女の動作に違和感を覚えた。

「うーん……?」
「はふぅ……ふえ? どうかしましたか、勇者さん?」
「いや……なんというか、今日のお前、ちょっと変というか……なんか、やつれてないか?」
「……えっとぉ」
「今の、なんか誤魔化そうとした顔だな」
「な、なんで私がなにか言う前にそういうの分かっちゃうんですか!?」
「いや、魔界チェスで負けそうな時と同じ顔してるからな」
「ふぐっ……わ、わたし、そんなに顔に出ます……?」

 そりゃお前のことばっかり見てるしな、とは言わずに、俺は静かに頷いた。
 雰囲気でも分かるし、なんなら耳の動きでも分かる。
 相手は少しの間唸って、しかし最後には諦めたように溜め息を吐いた。

「ええと……ちょっと最近、暗殺が多くてですね……」
「は? 暗殺?」

 とんでもなく物騒なワードが出てきた。
 出てきた単語に驚いていると、魔王はお茶をもう一口飲んでから、、
 
「前にも言いましたけど、私をよく思ってない人たちがしてくるのは政治的な攻撃じゃなくて、ほとんど物理排除なんですよ。なので、ちょくちょく寝込みを襲われたり、毒を盛られたり、魔法でズドンされるんです」
「……大丈夫なのか、それ」
「ええ、まあ……警備の人もいますし、メイドちゃんもいますし、私自身も魔法で毒とか襲撃への備えはしているので、問題はないんですが……その、さすがに夜討ちされたら起きるので、ちょっと寝不足で……」

 手で口元を隠しつつ、くあ、と魔王は欠伸をこぼす。
 本人が暢気な雰囲気なので、問題ないというのは本音なのだろうが、さすがに心配になってしまう。

「……良かったら、少し寝ていくか?」
「えっ」
「いや……ここなら襲撃はまずないだろうし、ベッドなら空いてるから、昼寝してったらどうだ?」

 彼女の多忙さは知っている。
 魔界と人界。ふたつの世界を正しく、平等に統治するために、魔王は毎日頭を悩ませ、尽力してくれている。
 そんな彼女が過労や睡眠不足で倒れでもしたら大事だ。国が回らないどころか、その隙をついて更なる暗殺の手が伸びることだろう。

「あ、え、そ、その、ゆ、勇者さんの、ベッドで……?」
「そりゃ、ここに住んでるのは俺だけだから俺のベッドだよ」
「そ、れは、その……さ、さすがに悪いですよ、遊びに来て、お昼寝なんて……」
「いや、普通に心配だからな。というか、あんまりしんどいなら、遊びに来ずに素直に休んでくれよ」
「う……だ、だって、勇者さんに、会いたかったんですもん……」

 子供かよ。
 やや呆れの感情が湧いたものの、不安げな表情で上目遣いを向けられると、怒れなくなる自分がいる。

 ……我ながら、コイツには弱いな。

 好きだ、ということをハッキリと自覚してしまったのだから、尚更だ。
 とはいえ、彼女の身体のことを心配する気持ちも本当のことなので、俺は相手ときちんと目を合わせて、言葉を作る。

「……会いに来てくれるのは嬉しいけど、無理はしてほしくないんだよ」
「う……はい……すみません……」
「まあ、ベッドに居座りづらいって言うなら、椅子でも良いから少し寝ておけ。その間、晩飯のこと考えておくから」
「……それ、私がお昼寝するまで遊んでくれないやつですか?」
「当たり前だろ、身体を優先しろ。……お前だって、この間風邪引いた俺にそうしてくれたろ」
「むう……分かりました。勇者さんがそういうなら、少しだけ、場所をお借りしますね」
「ああ、そうしてくれ。……そうだ、ちょっと待ってろ」

 魔王に声をかけて、俺は一度寝室へと向かった。
 薄手のブランケットを持ってきて、彼女の肩へとかけてやる。

「あ……」
「お前の部屋の寝具にはさすがに負けるだろうが、ないよりは良いだろ」
「い、良いんですか?」
「気にすんなよ。適当に時間経ったら起こしてやるから、ゆっくり寝てろ」
「……ありがとうございます、勇者さん」

 ふにゃ、と顔を緩ませて、魔王は布地にくるまった。
 規則正しい寝息が漏れ聞こえてくるまでにそう時間がかからなかったあたり、やはり疲れていたのだろう。

「……お疲れさん、魔王」

 寝息を聞きながら、起こさないように小さく声をかけた。
 話し相手が眠ってしまったので俺は彼女を起こさないようにゆっくりと椅子に座ると、夕食のメニューを考え始めた。

「…………」

 静かで、けれど、嫌では無い時間。
 魔王の寝息だけが時間を刻むように、ゆるやかに音を立てる。
 好いた相手とふたりきりで、それも相手が無防備に寝顔を晒してくるという状況に心臓が小うるさくなることを自覚しつつ、俺は彼女の呼吸に耳を傾けた。

「ふふ、にゅ……◇×△……」
「ん? ……ああ、寝言か。そりゃ魔界の住人だもんな、寝言は魔界語か……」
「にゅふ……んふぅ……□○◎……♪」
「……どんな夢見てるんだか」
 
 こぼれてくる寝言はどこか嬉しそうなもので、悪夢を見ているわけではなさそうだ。
 短い時間であっても、安心して眠って休んでくれてばいい。そう考えて、少しズレたブランケットを直してやる。

「ん、ゆーしゃ、さん……」
「お、今度は人類語。俺と話してる夢か?」

 どういう夢を見てるんだろうとは思うが、聞くこともできないので置いておこう。
 夕食前まではこのまま寝かせてやろうと思い、俺は椅子に座り直す。

「ふにゅ……すう……」
「……可愛い寝息だな」
「ふ、へへ……ゆーしゃさん……好きぃ……」
「ぶっ」

 不意打ちで飛んできた言葉に、飲みかけた水を吹き出した。

「っ、ごほっ……こ、こいつなにを……いや、落ち着け……これはあれだ、男女のそういうのじゃなくて、飯作ってくれるから懐いてる的なあれだ……」
「んふ……ゆーしゃさーん……♪」
「……勘違いするだろ、ばか」

 ブランケットにくるまって、明らかに幸せそうなふにゃふにゃの顔で眠っている魔王。
 無意識の相手の言葉だと分かっていながらも、俺は自分の心臓が早くなるのを止められなかった。

「……まいったな」

 頭を掻いて、もう一口水を飲む。
 顔どころか、身体全体が熱を持ってしまっている感覚は、どう頑張っても誤魔化しようがないものだった。

 向けられた好意が嬉しいという気持ちを、否定できない。
 まして寝言で、つまり嘘のない本心からの言葉だと分かっているから、尚更だ。
 たとえそれが、自分が持っている『好き』とは違うものだとしても。
 どうしたって、嬉しいと思ってしまう自分がいる。

「……本当に、参ったな」

 自覚してしまった気持ちというのは、本当に厄介だ。
 隠しているべきだと分かっていて、実際にそうしようと思っているのに、つい欲が出てしまいそうになる。

 我が儘な自分の気持ちに呆れつつも、俺は目を閉じた。
幸いにも相手は眠っている。落ち着くための時間は、充分に取れることだろう。