「はふー、疲れました。お邪魔しまーす」
「ん、来たのか魔王」

 こきこきと肩を鳴らしながら入室する魔王に声をかけると、彼女は笑顔でこちらに手を振った。

「はい。お仕事が終わりましたから。えっと、今日はその……」
「心配しなくても、飯は二人分用意してあるぞ。来るかもしれないって思ってたからな」
「やたっ。勇者さんのご飯♪」

 嬉しそうな顔で、魔王はテーブルについた。
 もはやいつも通りの光景を眺めつつ、俺は料理を並べる。

「おお……今日はお肉ですね!」
「今回の支給は肉が結構来たからなあ」
「魚がちょっと不漁気味だったので、そのせいでしょうね」
「ん、大丈夫なのか?」
「魔界の食糧不足は昔からの問題ですから、農業や魚の養殖、畜産はすごく頑張って整備しましたから、大丈夫ですよ」
「ああ、そういえば昔は食料の奪い合いが凄かったんだってな」
「はい、それで不幸がたくさん起きましたからね……その辺りは国として、最初に力を入れたところです」

 誇らしげに語りつつ、魔王はじゅる、と涎を垂らしていた。
 めちゃくちゃ偉いのに微妙に締まらない魔王に苦笑しつつ、俺も席につく。

「それでは、いただきます」

 恭しく手を合わせて、彼女はお辞儀。
 俺も同じように手を合わせてから、食事に取り掛かる。

「……ん、おいしいです」
「お、そうか。最近は火入れの時間とかもいろいろ考えててな……ちょうど焼けたばかりのところにきてくれたから、タイミングも良かったな」

 この生活にもすっかり慣れて、俺は料理の研究に力を入れていた。
 理由はもちろん、魔王に美味しいと思って貰うためだ。

 ……せっかく食べに来てくれてるしな。

 魔界の指折りの料理人たちには敵わないにしても、少しでも美味しいと思って欲しい。
 先日、自分の気持ちを自覚してから、その思いはさらに強くなっていた。

「……? どうしたんですか、勇者さん、なんだか楽しそうですけど」
「ん、そうか? ……今日の料理の出来が良いからな」
「はい、今日のご飯もすっごく美味しいですよ!」
「はは、なんでお前の方が誇らしげなんだよ」

 嘘にならない程度に誤魔化すと、魔王は満面の笑みを見せてくれた。

 ……やばいな、めちゃくちゃ嬉しいぞ。

 我ながら簡単な男だと思ってしまうが、感情はどうにも止めようがない。
 嬉しそうに食事を頬張る魔王が、前より数倍増しで可愛く見えてしまう。
 実際には頬が膨らむほど肉を詰め込んでいてやや美人が台無しになっているのがわかっているのに、それさえも可愛いと思えてしまう。

 恋心、というものの厄介さを自覚して、俺は吐息した。

「……重症だなコレ」
「もぎゅ?」
「ああいや、なんでもないぞ。あんまり詰め込むなよ、水いるか?」
「ん、ごくん……大丈夫ですよ、勇者さんのご飯美味しいので!」
「……美味いって言ってくれるのは嬉しいから、ゆっくり食べてくれ」

 上機嫌に食べる魔王を眺めつつ、俺はなるべく平静を装って食事を終えた。
 皿を洗ってから戻ると、すでに魔王はテーブルにチェス盤を置いていて、

「おかえりなさい、勇者さん。ささ、遊びましょ」
「おう」

 断る理由がないので、俺は頷きつつ席に戻ってコマを動かし始める。

「……仕事は順調か?」
「うーん、大変なこともありますけど、悪くはないですよ。いろいろ成果も出ていますし……あ、人界の食料を支給するのもなんとかなりそうですから、もう少し待ってくださいね」
「別に急かしてないし、片手間で良いんだぞ」
「……前にも言いましたけど、私だって勇者さんが作る人界のお料理食べてみたいですし」
「……そっか。じゃ、前にも言ったけど、楽しみにしてる」
「えへへ、はいっ。……ところでコレ、三手くらい戻して良いですか?」
「五手前でもうほぼ詰んでるから、戻すならそこまで戻した方がいいぞ」
「うえ……相変わらず勇者さん強すぎませんか……今度こっそり、魔界チェス大会とか出ません?」
「興味はあるけど、バレたときに大ごとになるだろ……仮面でもつけろってか……?」

 他愛のない話をしつつ、お互いの手が動く。
 数局を打つ頃には、時間は充分に経っていた。

「……あ、もう結構時間経っちゃいましたね」
「ああ、今日はちょっと遅めだったしな。……そろそろ帰るか?」
「うーん、そうですね……本当はもう少しいたいんですけど、明日はちょっと早くからお仕事がありますから、帰ります」

 少し名残惜しそうにしつつも、魔王は席を立つ。
 引き留める理由は無いので、俺は座ったままだ。

「それじゃ、勇者さん。また明日もこれたら来ますね」
「ああ、待ってるぞ。……明日は煮込みを朝から仕込んでおく予定だぞ」
「あ、それは絶対来なければいけませんね。夜にはばっちり味染みてるやつじゃないですか」
「……もし明日来れなくても、火入れしておけば次の日まで保つだろ。この部屋、結構涼しいしな」
「あ……えへへ、ありがとうございます。でも、できるなら勇者さんと毎日会いたいですから、お仕事がんばって片付けてきますよ」
「……そ、そうか」

 毎日会いたい、と言われて、心臓が跳ねるのを感じる。
 単純すぎる自分を落ち着けて、俺は努めて冷静な顔で、手を振った。

「じゃ、また明日な」
「はい、また明日!」

 朗らかな笑顔で、魔王が部屋を出て行く。
 ぱたん、とドアが閉まり、ひとりになると同時に、俺は机に突っ伏した。

「……はぁぁ。ヤバかった」

 心臓の痛さとか、顔の熱さとか、いろいろヤバい。感情が表情に出ていなかっただろうかと心配になるくらいだ。
 自分の頬に触れてみると、明らかに熱い。その事実がまた、自分の感情をより強く自覚させる。

「まったく、嬉しいのか嬉しくないのかよく分かんねえな……」

 毎日のように好きな女が訪ねてきてくれて、同じテーブルで飯を食い、遊び、談笑できるというのは、間違いなく嬉しいことだ。
 けれど同時に、自分の欲や、気持ちが出てしまわないように気を遣わなくてはいけないというのは、どうにも神経を使う。

「……幸せな悩みだな、ほんとに」

 勇者としての役目を果たしていた頃には、一度も無かった悩み。
 まさか自分が、恋心なんていうものに振り回されることになるとは思ってもみなかった。
 昔なら考えられないほどに平和な悩みを自分が持っていることに苦笑して、俺は頭を掻くのだった。