魔王である私は当然、魔王城に住んでいる。
 つまり家がそのまま職場で、私は常に『魔族たちの王』として振る舞わなければならない。

「それでですね、勇者さんがそのときに……」
「最近の魔王様は、勇者様にご執心ですね」
「う……だ、だって勇者さん、すっごくいい人なんですよ。この間だって、私に多めにご飯取り分けてくれて……そ、その、お、お疲れさんって言ってくれたんです……えへ、えへへ……」

 そんな私でも、魔族で唯一、本音で話せる相手がいる。
 それは私が魔界を統治する前から付き従ってくれている側近、メイドちゃん。
 側近の中でも最上位の戦闘力と、最高の御奉仕力を持つ彼女は、長く私の侍女として身の回りのお世話や護衛を務めてくれている。

 勇者さんとのあれこれをメイドちゃんに報告するのが、最近の私の日課だ。

「お疲れなんて、魔王様はいつも言われているじゃないですか」
「上っ面のご機嫌取りのお疲れ様ですと、勇者さんのお疲れさんはぜんっぜん違うんですよ」
「……私は上っ面のご機嫌取りで、お疲れ様ですとは言っていませんが?」
「知ってますよ。だから、勇者さんとメイドちゃんは特別です」
「……そう言われると、私はまったく勇者様のことを嫌えなくなってしまいますね」

 くすりと笑う彼女は、私よりずっとクールで、格好いい女性だと思う。
 魔族の中でも特に魔力の高い夢魔という存在の彼女は、褐色の肌を貞淑な侍女服に包み、立派なツノはフリル付きのカチューシャで飾られている。
瞳は赤くてシャープで、髪は金色で私とは正反対。女の私から見ても魅力に溢れていると思う。

「……メイドちゃんは、私が人間たちを奴隷や家畜にしていないことについて、どう思いますか?」
「……個人的な意見でよろしいのなら、正直に言ってあまり良い手ではないと思います」
「う、ですよね……」

 思ったことをすっぱりと言ってくれるところも好きだ。
 否定されたらもちろん落ち込みはするけれど、それでも私に気を使ったりゴマすり目的でヨイショされたり、自分の利益だけを考えて騙そうとしてくるよりも、ずっと信頼できる。

「私たちは人類と長く戦い続けました。ゆえに恨みは多く、捌け口を求めるものたちが一定存在することは、否定できません」
「……はい」
「一部の武闘派からは否定的な声しか聞きませんし、そうでなくとも魔界は基本が弱肉強食。敗者を守ろうとする魔王様の姿勢はいらぬ誤解をうみます」
「まあ、舐められますよねー」
「ですが、個人的には好きです。魔王様のそういうところを支えたくて、私は側近をしていますから。……貴方らしいので、良いと思います」
「……ありがとうございます、メイドちゃん」

 心からのお礼を言うと、メイドちゃんはまた、クールに微笑んだ。

「重ねて個人的なことを言うと、最近の色ボケ魔王様はドチャクソかわいいので、勇者様もっともっとって感じです」
「んん……!?」

 おかしい。なんか今、クールさの欠けらも無いような感じのセリフが聞こえた気がする。

「ま、待ってくださいメイドちゃん。私と勇者さんは、別にそういうんじゃなくてですね?」
「あら、そうだったのですか。私はてっきり、ふたりがデキているのだとばかり」
「デキ……!? で、できてません! ま、まだ手も握ってません!」
「まだ……なるほど……?」

 なんでちょっと疑った目をするんですか!?
 どうやら誤解があるようなので、私は改めてメイドちゃんに向き合うと、こほん、と咳払いで前置きをしてから、

「良いですか、メイドちゃん。私は勇者さんのお部屋で人界のあれこれを聞いて、統治の指針をですね……」
「おうちデートで相手の理解を深めているのですね?」
「っ、ち、ちがっ……た、ただ一緒にご飯食べてるだけです!」
「おうちデートじゃないですか。ちゅーはいつするんです?」
「っ、も、もうっ、もうっ! だから違うって言ってるのに! 私は魔王、あの人は勇者さんなんですよ!」
「ふたりが結婚したら、両種族の歩み寄りとして良いアピールになると思うのですが」
「けっ、けっこ、そ、そんな、そんなことになったら大変じゃないですか!」
「大変なんですか?」
「だ、だっておはようからおやすみまで勇者さんと一緒だなんて、そんなっ……そん、な……」

 そんなことになったら、どうなってしまうんだろう。
 朝は勇者さんの声で優しく起こされて、時には私が先に起きて彼を起こして、一緒にご飯を食べて、もしかしたら公務だってふたりでこなしてしまったりして。
 夜はふたりで同じベッドで、手を繋いで笑いあって、ううん、もっと凄いことを――

「――魔王様、満更でもないみたいですが」
「ままままま満更でもないことないです!」
「あら、それじゃあ勇者様は魔王様から見て魅力がないと……」
「そんなことありません! 勇者さんは素敵な人です! たまに笑った顔とかすごくカッコイイですし、ぶっきらぼうな言い方するけど優しい人なんですから!!」
「……主人が面白い……ぷっ……」
「なんで笑うんですか!? と、とにかく、私と勇者さんはそういうんじゃないんです!」
「はいはい、そうですねー、そういうんじゃないんですねー」

 めちゃくちゃ適当に返されている気がするけれど、ここでまた怒ると笑われてしまう気がするので、私はぐっと堪えた。

「も、もう、今日はそろそろ休みますからっ」
「……ええ。おやすみなさまいませ。……魔王様」
「……なんですか、メイドちゃん」
「私は、あなたがどんな判断をしてもお支え致しますよ」
「急に真面目な……分かってますよ、そういうことは」

 私がたったひとり、本当に本音で話せる相手なのだ。
 上司と部下という立場以上の信頼をしているし、彼女だって私を慕ってくれていることはとっくに知っている。

 私の言葉が満足だったのか、メイドちゃんは侍女服の端をつまんで、優雅にお辞儀をする。これは彼女が心から感謝している時にしかしない仕草だ。

「はい。それでは魔王様。おやすみなさいませ。……頑張って勇者様を落としてくださいね?」
「だ、だからそういうんじゃないですってば!」

 文句を言ってやると、メイドちゃんは笑みのままで部屋を出ていった。あれはまだ絶対に勘違いしているので、いずれ正さなくては。

「メイドちゃんったら……違うって言ってるのに……もうっ」

 いなくなった相手に言っても仕方が無いので、私は怒りを納めてベッドへと身を投げ出した。
 メイドちゃんの仕事は今日も完璧で、ふかふかのベッドが全身を優しく包み込んでくれる。

「……勇者さん」

 口にすると、それだけで頭の中にあの人の笑顔が浮かんでくる。 
 ぎゅ、と胸が締め付けられるような感覚に、私は自分の体温が上がるのを感じた。

「っ、ち、違います、これはメイドちゃんが変な事言うから、へ、変に意識してるだけで……う、ううぅっ、メイドちゃんのあほー……」

 温度から逃げるようにして、私は瞼を閉じて、意識を失うことに集中した。
 明日もまた、勇者さんに会えるかな。