「ふう、堪能しました……」

 満足げに吐息して、魔王は行儀良く手を合わせる。

「ご馳走様でした、美味しかったです。揚げ具合がバッチリでしたね!」
「ん、そうか。……俺も魔界のあれこれを調理するのに慣れてきたな」

 元々料理は好きだが、魔界由来の食材は扱いが謎なこともあり、どうすればいいか分からないということも多かった。
 しかし最近は慣れてきて、名前や詳細がなんだかよく分からないものであっても、多少どうすればいいか分かるようになってきた。
 というわけで、今日は鳥っぽい肉の揚げ物に挑戦した。付け合わせは、タマネギっぽいものと、トマトっぽいなにかをマリネにしたものだ。酢も魔界産のよくわからないもので、本当に酢かどうかは怪しい。

「そういえば……魔界ってナスとかトマトとか、人界にあるものに似てる野菜が結構あるんだな」
「そうなんですよね。たぶん、お互いにお互いの世界に流れたんだと思いますが……」
「まあ、お互いに相手の世界に攻め込むときに、食料は持っていってたわけだからなあ」

 人界と魔界は、『門』によって繋がっている。
 ふたつの世界にある門は、入り口と出口が決まっていて、その数は人界と魔界にそれぞれ四カ所。
 逆に言えば、行く道も帰る道も、お互いに四カ所しか無く、当然、両陣営がそれを見張っているので遠征は長く、激しい戦いになる。
 人間も魔族もそれぞれ、自分の世界にあった食料を持ち込み、そして一部の品種が別の世界にも適応したと、そういうことだろう。

「実際、この間試しに交配させてみたら新種ができましたしね。ちなみに、トマトはおそらく魔界が原産で、ナスは人界から流れてきたんだと思います」
「そういうの、分かるのか?」
「証拠のようなものはありませんが、一応私も五千年ほど魔界を統治していますからね。トマトは私が知る限り魔界を統一する前からあって、ナスは人界との戦争が始まった後に発見されたので、間違いないんじゃないかと」
「ほー、なるほどなあ……あ、この後どうする? 魔界チェスでもするか?」

 魔王が夜まで居座るのがいつも通りになっているので、俺は皿を片付けながら相手に声をかける。
 彼女は少しだけ、考える仕草をした。んー、と口に指を当て、耳をぴこぴこと動かす姿は、どう見ても邪悪な存在には見えない。
 相変わらずの魔王らしくない可愛らしい所作についつい目を奪われていると、魔王はぱっと顔を明るくして、

「勇者さん、たまには音楽でもどうでしょうか?」
「音楽……って言ってもな。楽器もないし、どうするんだよ。コップに水でも入れて匙で叩くか?」
「いえ、私、趣味で笛を嗜んでいまして……良かったら勇者さんに聴いてもらおうかなって」
「お前、家事できないくせに笛は吹けるのか……」
「か、家事と笛は無関係じゃないですかあ……!」

 その通りなのだが、あまりイメージが無かったので、少し驚いてしまった。
 侮辱されたと思ったのか、魔王はぷう、と可愛らしく頬を膨らませて、こちらを見上げてくる。

「むぅぅ、これでも中々の腕なんですよ? メイドちゃんにも褒めて貰えるくらい、上手なんですから」

 メイドちゃん、というのは魔王の側近で、コイツが苦手な過度なゴマすりをしてこない部下らしい。
 会ったことは無いが、魔王から何度か聞いているので覚えている相手だ。

「悪かったよ。それじゃ、聴かせて貰おうかな。というか、魔界にもあるんだな、音楽」
「はい。特定の波長、リズムの音が心地良い、というのは魔族も人間も同じみたいですね」

 頷きながら、魔王はマントの中の異空間から、銀色の筒を取り出す。
 細長く、連なるようにしていくつかの穴が開けられているそれは、確かに人界の笛にそっくりだった。

「では、いきますね……はむ」

 横笛をくわえて、息を吸う気配がして。
 最初の音色が、響いた。

 ……おお。

 旋律に対して素直に感じたのは、驚きだった。
 高めで、しかしうるさくはなく、優しく浸みてくるような音の列。
 テンポはゆるやかであり、聴いていると自然と心が落ち着いてくる。
 楽しくノせるというよりは、時間を噛みしめさせるような、透き通った音色。

「……ふう」

 演奏が終わり、口を離した魔王が吐息するまで、俺は旋律に聞き惚れていた。
 目を丸くしていると、魔王はぱっと顔を明るくして、

「どうでしょう。調べて見たところ、この笛の音色は人類も聞き取れる音域なので、持ってきたのですけど」
「いや……すごいな。あまりにも上手いんで、びっくりした」
「えへへ、ありがとうございます。たしなみ程度ですが、そうやって褒めていただけると嬉しいですね」

 魔王は照れたように笑うと、お茶を飲んで一息を吐く。

「はあ、ちょっと緊張してしまいました……」
「今の、魔界の音楽なのか?」
「ん、魔界の……まあそうですね、作ったの私ですから」
「お前、作曲まで出来るのか……」
「たしなみ程度、ですけどね。お仕事の合間の息抜きでやっているうちに、ちょっと上手になった感じです」

 魔界の音楽がどの程度の水準なのかは分からないが、聞いた限り上手だと思った。
 優しくて、ゆるやかな旋律は、まるで彼女が普段まとっている雰囲気のような、どこか安心するもので。

「……魔王らしい曲だったな」
「そう、ですか? 適当につくったので、自分ではよくわからないんですけど……」
「ああ、なんていうか……落ち着くって言うか。綺麗で、あたたかみがある感じ」
「ふ、えっ……な、なにいってるんですか、きゅ、きゅうにっ」
「え、あ……」

 言われてから、気がついた。
 今のはまるで、相手を口説こうとしてるような台詞だったことに。

「あ、いや、ちが……いや、違うわけじゃないが、なんていうか、下心とか取り入ろうとか、そういうのはない、ないぞ!?」
「わ、分かってますよう! でも、その……す、素直な評価が、そうだとしたら……よ、余計に恥ずかしい、です……」

 ぷしゅう、と音が出てしまいそうなくらい、魔王の顔が真っ赤になっている。
 特徴的な耳の先までが色づき、瞳に刻まれた紋様が揺れる。

「っ……わ、悪い。へんなこと言ったな」
「いえ……う、嬉しかったので、だ、だいじょーぶ、ですっ……」

 湯気でも噴きそうなほどに頬を色づかせて、魔王はふるふると首を振る。

 ……今のは口が滑ったよな。

 俺の方も、あのお泊まり以来、ちょっとおかしいと思う。
 以前よりもコイツといると楽しいと感じているし、いないと寂しいと思ってしまっている。
 料理をしているときについつい様子を伺ってしまったり、ひとつひとつの所作が綺麗だと改めて思ったり、無意識に動きを目で追っている。
 微妙な空気を理解しつつも、感想は本当で、素直に褒めたいとも思う。

「……上手かったよ。ありがとな」
「は、はい……えへへ……あ、も、もっと聴きますか?」
「……ああ、頼もうかな」

 提案に頷くと、魔王は顔を赤くしつつも、次の曲を演奏するべく笛を構える。
 少しだけ音楽でも聴いていれば、この微妙な雰囲気も元通りになるだろう。
 そんなことを考えて、俺は旋律に集中することにした。