「勇者さんは、もっと甘えても良いと思うんです!」
「……はぁ?」
部屋に入って開口一番にそんなことを言われて、俺は雑巾を持ったまま固まった。
思考のフリーズは一瞬で、俺はすぐに雑巾をバケツの中に放り込んで手を洗いつつ、
「……なんだ藪から棒に。いや、藪から棒って分かるのかしらねえけど」
「突然って意味の人類語のコトワザですよね、知ってます。……勇者さんは、もっと甘えるべきじゃないかなって思ったんです!」
なんでだよ。
二度、意味不明なことを言われたことに疑問を深めて、俺は掃除用具を片付けながら言葉を作る。
「甘えるもなにも、この状況がもう甘えみたいなところあるだろ。本来ならよくて処刑、悪くて人類根絶のところを、住み心地のいい独房とは名ばかりの個室で毎日スローライフしてるんだから。今日だって、のんびり床ふきしてたぞ」
「むぅぅ、そういうことじゃないんですよぉ!」
なにが気に入らないのか、魔王はぷんすことした様子で、机をぺちぺち叩いた。
なんだその仕草。魔王がそんな可愛いことしていいと思ってんのか。
「勇者さんはもっと我が儘を言っても良いと思うんです。だってぜんぜん、要望とか言ってくれませんし! もっとコレが欲しいアレが欲しいああしてくれって言っていいのに! 寧ろ言ってほしいのに!」
「いや、一応魔界にとっては最大の戦犯というか、一番の敵の俺が待遇改善とか言い出すのどうかと思うし、そもそも魔王が充分やってくれてるだろ?」
「むー……」
困ったな。どういうわけか、魔王は納得していないらしい。
……わりと本心から、困ってないんだけどなあ。
甘えると言われても、どうしていいか分からない。
今の俺の待遇は充分すぎるほど良いものだと嘘偽りなく思うし、これ以上を望むことはない。
目の前にいる、少女のような見目からは想像もつかないほど立派な王様が、俺のことを大事に扱ってくれているからだ。
というか、ふつうの捕虜ならまずあり得ない状況だろう。
なにせ面会はできる、文通はできる、部屋は広くて自由に使える、定期的に美人の魔王が来て、会話や遊びに付き合ってくれる。
これでここが『独房』なんて、他人に言っても信じて貰えない自信がある。
「今で充分というか、今でさえ、勇者時代より待遇はいいくらいだぞ。戦わなくて良いし、毎日あったかいベッドで寝てるしな」
「……でも、勇者さんはずっと頑張って、我が儘のひとつも言わなかったって、お母さんから聞いてますよ」
「母さん、俺の個人情報もうちょっと大事にしてくれ……」
というかなんで、勇者の母親と魔王が仲いいんだ。
大方、昨日俺の面会に来た母さんが、そのまま魔王とお茶でもして帰ったのだろう。
そしてそのときに、俺の昔話でも聞いたに違いない。
どうしたもんか、と思いつつ、俺は誤解が無いように言葉を選んで口を開く。
「あのな、魔王。俺は別に、勇者の役割が辛かったと思ったことはねえよ。まあ、確かに望んでなったもんでもないけどな」
「…………」
「でも、それで言えなかった我が儘がある、なんて思っちゃいない。だから、お前が気にすることじゃない」
「……分かっていますよ。でも……それでも、ですよ」
「……それでも?」
「ふつうの人は背負わなくてもいい重荷を背負って、ずっと戦ってきて……ようやくそれがなくなったんですから。少しくらい、甘えることを覚えてもいいと思うんです」
こちらを見上げる魔王の瞳は、真剣そのものだった。
俺が辛くないと言ったことも認めてくれて、それでも、と言ってくれる。
……ありがたい存在だな。
俺に、勇者のように振る舞わなくて良いと、あるいは、勇者ではなくただのひとりの人間のように扱ってくれる相手。
母親以外にそういう存在がいてくれることを、ひどくありがたく感じる。
「……分かったよ。お前がそこまで言うなら、俺ももう少し肩の力を抜く。それでいいか?」
「本当ですか? 約束ですよ? もう前みたいに、自分が死んでみんなを助けようとか考えちゃめーですよ?」
「俺が悪いのは分かるけど、その話やたら引っ張るよな、お前……」
「……今ゆーしゃさんに同じこと言われたら、私ぜったい泣いちゃいますから、めっ、です」
「分かってる分かってる。もう言わないっての……」
初対面で、『俺が死ぬから人類のことちょっと許して欲しい』みたいな願いを言って怒られたので、この件に関しては弱い。
やりづらいものを感じながら頷くと、魔王はようやく納得したのか、ぺたん、とその場に座って、
「では、勇者さん、こっちにどうぞ」
「こっちにって……?」
「甘えると言えば膝枕だってメイドちゃんから聞きましたから、今日は私が勇者さんに膝枕してあげます!」
メイドちゃんとやら、偏った知識を与え過ぎてやしないだろうか。
ドヤ顔で自分の膝をぺしぺしと叩く魔王に、俺は頭を掻いた。
「お前、それぜったい嘘を教えられてると思うぞ……」
「え? でもメイドちゃん、『魔王様に膝枕されて喜ばない人はいません』って言ってましたよ?」
「それはメイドちゃんってやつの主観だろ……」
「え……じゃあ私はどうやって勇者さんを甘やかせばいいんですか……?」
「いや、この世の終わりみたいな顔されてもな……というか膝枕(それ)以外ノープランだったのかよ」
「うぅ、だってメイドちゃんがこれでイチコロだって言うので……」
それはちょっと意味が違わないだろうか。
まだ会ったことの無い相手なのでなんとも言えないが、どうもなにか妙な意図がある気がする。
……とはいえ、コイツの気持ちは本気なんだよな。
突然やってきて甘やかしてあげたい、なんて言い出したのも、恐らくは母さんから俺の昔の話を聞いて、母さんの代わりに自分が、とか考えたのだろう。責任感の強いコイツらしい。
空回り気味なのはともかく、その気持ちは嬉しいし、無下にしたくないとも思う。
「……分かった、分かったよ」
結局、折れるように俺は頷いた。
肩の力を抜くと約束したのだ。友達からの心遣いを素直に受け入れるくらいは、いいだろう。
なにより俺が受け入れるだけで、嬉しそうにこくこくと頷く魔王を、邪険にはできない。
「……で、寝れば良いのか?」
「はい、どうぞどうぞ♪」
本当に良いのかという気持ちはありつつも、俺は魔王の膝に頭を乗せた。
景色が凄いことになりそうなので、きちんと目は閉じておく。
頭の後ろに当たる感触は、柔らかかった。というか、スカートが短いのでほとんど生の肌だった。
「…………」
「ふふふ、どうですか? 魔王の膝枕なんて、そうそう使えませんよ?」
「まあ、贅沢な感じはするよな……」
柔らかくて良い匂いがする、とはさすがに言いづらく、俺は目を閉じたままで心臓の鼓動をなるべく抑え、曖昧に頷いておいた。
「えへへへぇ……」
「……なんか楽しそうだな」
「だって、素直に甘えてくれて嬉しいですし。勇者さん、こうして欲しいとかぜんぜん言わないから心配でしたし」
「……そうか」
髪の毛に触れられる感覚に、俺は身を任せた。
本来であれば戦わなければならなかったであろう相手から受ける、膝枕と頭撫で。
子供扱いのようで気恥ずかしいけれど、どこか心地良いのも本当のことで。
「……勇者さん、髪の毛けっこうふわふわですね」
「そうか? よく分からないが」
「えへへ、ちょっと楽しいです」
「人の毛で遊ぶなよな……」
「良いじゃないですかぁ、せっかく手近にあるんですから」
なにがそんなに楽しいのか、魔王は俺の髪を触って遊んでいるらしい。
気恥ずかしさから目を開けられない状態で、俺はしばらくの間、されるがままになるしかないのだった。
「……なあ、今ちょっと腹の音鳴らさなかったか?」
「な、鳴らしてませんよう! ていうか、どこの音聞いてるんですか!?」
「いや、別に聞こうとしてたわけじゃなくて、頭ひっつけてるから聞こえてくるんだって……もう少ししたら、飯にするか?」
「そ、そうですね、別にまだお腹は空いてませんけど、勇者さんがそう言うならそうしましょうか!」
腹の音を聞かれたのが恥ずかしかったらしく、魔王はわたわたと頷いた。
顔を真っ赤にしつつも膝枕をやめるつもりは無いようで、俺はしばらくの間、居心地がいいんだか悪いんだか分からない時間をすごした。
……めちゃくちゃ良い匂いがするとか、言えるわけないよな。
「……はぁ?」
部屋に入って開口一番にそんなことを言われて、俺は雑巾を持ったまま固まった。
思考のフリーズは一瞬で、俺はすぐに雑巾をバケツの中に放り込んで手を洗いつつ、
「……なんだ藪から棒に。いや、藪から棒って分かるのかしらねえけど」
「突然って意味の人類語のコトワザですよね、知ってます。……勇者さんは、もっと甘えるべきじゃないかなって思ったんです!」
なんでだよ。
二度、意味不明なことを言われたことに疑問を深めて、俺は掃除用具を片付けながら言葉を作る。
「甘えるもなにも、この状況がもう甘えみたいなところあるだろ。本来ならよくて処刑、悪くて人類根絶のところを、住み心地のいい独房とは名ばかりの個室で毎日スローライフしてるんだから。今日だって、のんびり床ふきしてたぞ」
「むぅぅ、そういうことじゃないんですよぉ!」
なにが気に入らないのか、魔王はぷんすことした様子で、机をぺちぺち叩いた。
なんだその仕草。魔王がそんな可愛いことしていいと思ってんのか。
「勇者さんはもっと我が儘を言っても良いと思うんです。だってぜんぜん、要望とか言ってくれませんし! もっとコレが欲しいアレが欲しいああしてくれって言っていいのに! 寧ろ言ってほしいのに!」
「いや、一応魔界にとっては最大の戦犯というか、一番の敵の俺が待遇改善とか言い出すのどうかと思うし、そもそも魔王が充分やってくれてるだろ?」
「むー……」
困ったな。どういうわけか、魔王は納得していないらしい。
……わりと本心から、困ってないんだけどなあ。
甘えると言われても、どうしていいか分からない。
今の俺の待遇は充分すぎるほど良いものだと嘘偽りなく思うし、これ以上を望むことはない。
目の前にいる、少女のような見目からは想像もつかないほど立派な王様が、俺のことを大事に扱ってくれているからだ。
というか、ふつうの捕虜ならまずあり得ない状況だろう。
なにせ面会はできる、文通はできる、部屋は広くて自由に使える、定期的に美人の魔王が来て、会話や遊びに付き合ってくれる。
これでここが『独房』なんて、他人に言っても信じて貰えない自信がある。
「今で充分というか、今でさえ、勇者時代より待遇はいいくらいだぞ。戦わなくて良いし、毎日あったかいベッドで寝てるしな」
「……でも、勇者さんはずっと頑張って、我が儘のひとつも言わなかったって、お母さんから聞いてますよ」
「母さん、俺の個人情報もうちょっと大事にしてくれ……」
というかなんで、勇者の母親と魔王が仲いいんだ。
大方、昨日俺の面会に来た母さんが、そのまま魔王とお茶でもして帰ったのだろう。
そしてそのときに、俺の昔話でも聞いたに違いない。
どうしたもんか、と思いつつ、俺は誤解が無いように言葉を選んで口を開く。
「あのな、魔王。俺は別に、勇者の役割が辛かったと思ったことはねえよ。まあ、確かに望んでなったもんでもないけどな」
「…………」
「でも、それで言えなかった我が儘がある、なんて思っちゃいない。だから、お前が気にすることじゃない」
「……分かっていますよ。でも……それでも、ですよ」
「……それでも?」
「ふつうの人は背負わなくてもいい重荷を背負って、ずっと戦ってきて……ようやくそれがなくなったんですから。少しくらい、甘えることを覚えてもいいと思うんです」
こちらを見上げる魔王の瞳は、真剣そのものだった。
俺が辛くないと言ったことも認めてくれて、それでも、と言ってくれる。
……ありがたい存在だな。
俺に、勇者のように振る舞わなくて良いと、あるいは、勇者ではなくただのひとりの人間のように扱ってくれる相手。
母親以外にそういう存在がいてくれることを、ひどくありがたく感じる。
「……分かったよ。お前がそこまで言うなら、俺ももう少し肩の力を抜く。それでいいか?」
「本当ですか? 約束ですよ? もう前みたいに、自分が死んでみんなを助けようとか考えちゃめーですよ?」
「俺が悪いのは分かるけど、その話やたら引っ張るよな、お前……」
「……今ゆーしゃさんに同じこと言われたら、私ぜったい泣いちゃいますから、めっ、です」
「分かってる分かってる。もう言わないっての……」
初対面で、『俺が死ぬから人類のことちょっと許して欲しい』みたいな願いを言って怒られたので、この件に関しては弱い。
やりづらいものを感じながら頷くと、魔王はようやく納得したのか、ぺたん、とその場に座って、
「では、勇者さん、こっちにどうぞ」
「こっちにって……?」
「甘えると言えば膝枕だってメイドちゃんから聞きましたから、今日は私が勇者さんに膝枕してあげます!」
メイドちゃんとやら、偏った知識を与え過ぎてやしないだろうか。
ドヤ顔で自分の膝をぺしぺしと叩く魔王に、俺は頭を掻いた。
「お前、それぜったい嘘を教えられてると思うぞ……」
「え? でもメイドちゃん、『魔王様に膝枕されて喜ばない人はいません』って言ってましたよ?」
「それはメイドちゃんってやつの主観だろ……」
「え……じゃあ私はどうやって勇者さんを甘やかせばいいんですか……?」
「いや、この世の終わりみたいな顔されてもな……というか膝枕(それ)以外ノープランだったのかよ」
「うぅ、だってメイドちゃんがこれでイチコロだって言うので……」
それはちょっと意味が違わないだろうか。
まだ会ったことの無い相手なのでなんとも言えないが、どうもなにか妙な意図がある気がする。
……とはいえ、コイツの気持ちは本気なんだよな。
突然やってきて甘やかしてあげたい、なんて言い出したのも、恐らくは母さんから俺の昔の話を聞いて、母さんの代わりに自分が、とか考えたのだろう。責任感の強いコイツらしい。
空回り気味なのはともかく、その気持ちは嬉しいし、無下にしたくないとも思う。
「……分かった、分かったよ」
結局、折れるように俺は頷いた。
肩の力を抜くと約束したのだ。友達からの心遣いを素直に受け入れるくらいは、いいだろう。
なにより俺が受け入れるだけで、嬉しそうにこくこくと頷く魔王を、邪険にはできない。
「……で、寝れば良いのか?」
「はい、どうぞどうぞ♪」
本当に良いのかという気持ちはありつつも、俺は魔王の膝に頭を乗せた。
景色が凄いことになりそうなので、きちんと目は閉じておく。
頭の後ろに当たる感触は、柔らかかった。というか、スカートが短いのでほとんど生の肌だった。
「…………」
「ふふふ、どうですか? 魔王の膝枕なんて、そうそう使えませんよ?」
「まあ、贅沢な感じはするよな……」
柔らかくて良い匂いがする、とはさすがに言いづらく、俺は目を閉じたままで心臓の鼓動をなるべく抑え、曖昧に頷いておいた。
「えへへへぇ……」
「……なんか楽しそうだな」
「だって、素直に甘えてくれて嬉しいですし。勇者さん、こうして欲しいとかぜんぜん言わないから心配でしたし」
「……そうか」
髪の毛に触れられる感覚に、俺は身を任せた。
本来であれば戦わなければならなかったであろう相手から受ける、膝枕と頭撫で。
子供扱いのようで気恥ずかしいけれど、どこか心地良いのも本当のことで。
「……勇者さん、髪の毛けっこうふわふわですね」
「そうか? よく分からないが」
「えへへ、ちょっと楽しいです」
「人の毛で遊ぶなよな……」
「良いじゃないですかぁ、せっかく手近にあるんですから」
なにがそんなに楽しいのか、魔王は俺の髪を触って遊んでいるらしい。
気恥ずかしさから目を開けられない状態で、俺はしばらくの間、されるがままになるしかないのだった。
「……なあ、今ちょっと腹の音鳴らさなかったか?」
「な、鳴らしてませんよう! ていうか、どこの音聞いてるんですか!?」
「いや、別に聞こうとしてたわけじゃなくて、頭ひっつけてるから聞こえてくるんだって……もう少ししたら、飯にするか?」
「そ、そうですね、別にまだお腹は空いてませんけど、勇者さんがそう言うならそうしましょうか!」
腹の音を聞かれたのが恥ずかしかったらしく、魔王はわたわたと頷いた。
顔を真っ赤にしつつも膝枕をやめるつもりは無いようで、俺はしばらくの間、居心地がいいんだか悪いんだか分からない時間をすごした。
……めちゃくちゃ良い匂いがするとか、言えるわけないよな。