「勇者さん、こんばんわー」
「お、来たのか、魔王」
「あ、はい。ちょっと遅い時間ですけど……ええと、大丈夫、ですか?」
「構わねえよ、どうせ暇なんだから。ほら、座れ」

 促すと、相手ははにかんでいつもの位置に腰掛けた。
 魔界の女王にして、元宿敵である魔王。彼女が捕虜である俺の部屋にやたらとおしかけてくるようになって、それなりの時間が経つ。
 先の休日の一件以来、魔王は少し遅い時間でも顔を出してくれるようになった。
 時には夕食の時間を過ぎていたりもするが、そのときは軽くお茶をして帰って行く。

「あ、あの、勇者さん、今日のご飯って……」
「ああ。昨日、また明日も来るって言ってたからちゃんとふたり分用意してあるぞ。すぐ用意するから座ってろ」
「あ……ありがとうございます。すいません、思ってたより遅くなっちゃって……」
「気にすんなよ、すぐ出せるようにしてあったからな」

 昼のうちに準備したスープに、焼いておいたパン。
 あとは香草を擦り込んでおいた魚をさっと焼けば、充分に豪勢な夕食だ。

「ほい、お待たせ」
「……勇者さん、手際が良くなりましたね」
「ここの生活にも、お前がいることにも慣れたからな」

 最近ではもう、彼女が部屋に来ることを考えて最初から多めに作っている。
 余ってしまえば次の日の朝にでも食べてしまえば良いし、支給されている量もいつの間にか増えていた。
 つまりコイツも、既に俺の部屋に来ることを前提に食料を発注しているのだろう。
 特に文句は無いし、それでいいと思う。

「ん~……えへへ、勇者さんのご飯、相変わらず美味しいです」
「美味そうに食べるよな、お前……」
「はい、だって美味しいですからね!」

 魔界でも指折りだという料理人をお抱えにしているらしい割には、なんでも美味い美味いと言って食べるやつだった。

「……そういえばお前、嫌いな食べ物あったけか。確か前に、なんか避けて食べてたような」
「む……魔界ナスのことですか」
「ああ、ナス……そういや、ナスに似てるのがあったな、ちょっとでっかいけど味もナスっぽいのが……」
「勇者さんに伝わるように魔界ナスって言っただけで、実際には魔界語での呼び名があるんですけどね……その、あれはちょっと……いやすごく苦手でして」

 魔界には魔界の言語があり、魔王は俺と話すときはわざわざ人類語を使ってくれているのだった。

「こう……ぐじゅっとしてて、香りがキツいのがちょっと……」
「まあ言いたいことは分かるな。俺は好きだけど」

 独特の食感と、香りをしているので、その辺が苦手なのだろう。
 納得していると、魔王は人類よりも長い耳をぴこぴこと動かしながら首を傾げて、
 
「勇者さんは、嫌いな食べ物ってあるんですか?」 
「ん? 俺は、別にないな。旅してると、選り好みできない時も多かったし。なんならその辺に生えてる草とかキノコとか、最悪毒でも回復魔法でなんとかすりゃいいかって思って食べてた」
「理由が強すぎますが、嫌いな食べ物がないのは偉いですね……」
「どっかに呼ばれたときとかでも、出されたものを残さず綺麗に食べると、相手も喜んでくれるしな」

 勇者として、危険な地に何日も滞在することもあれば、町などでは歓待されることも多かった。
 美味いモノ、微妙なモノ、食えるかどうか分からないモノ。いろんなモノを口にしたので、好き嫌いはない。
 だからこそ魔界の食材も、なんだかよく分からないと思いつつも使うことに抵抗は無かったのだ。
 手作りのパンをスープに浸してふやかしてから口の中に入れつつ、俺は話題を継続する。

「あぐ……じゃ、逆にお前の好きな食べ物ってなんなんだ?」
「んー……魔界のちょっと外れの方に生息している、鳥の卵ですね。あまり市場に出回らないレアものなんですが、すっごく美味しいんですよ」
「ほー……卵ね」
「はい。それに限らず、卵全般が好きですよ。あとは、チーズですかね……こう、とろっとしてて、塩気がありつつまろやかな感じが……」
「ふむ……」

 魔王、意外と濃い味が好きらしい。
 あるいは魔界の料理は全体的にそういう傾向なのだろうか。というか魔界にもあるんだな、チーズ。

「……なんか話してたらチーズとか卵料理が食べたくなってきました」

 今まさに飯を食べてる最中だというのに、もう次の食事のことを考えているあたり、相変わらずの腹ペコ魔王だった。
 いつも通りの相手に苦笑しつつ、俺は口を開く。
 
「ん、そうか。じゃあ今度来たらそうしてやるよ。チーズはないけど、卵は支給されてるしな」
「むぅ、次からは勇者さんへの支給品にチーズも追加しないといけませんね……あ、それじゃあ勇者さんの好きな食べ物ってなんですか?」
「んー……シチューかな……シチューって分かるか?」
「あ、はい。魔界には無い料理ですが、この前、人界の食文化を研究するのに頂きましたよ。美味しかったです」
「支給されてる食材でも出来そうな感じだから、今度作ってみるか……ああ、あとオムライスがすげぇ好き」
「おむ……?」

 きょとんとした顔で首を傾げて、魔王が疑問符をこぼす。
 なんだその仕草、可愛いかよ。
 
「ん、それも魔界には無いのか……こう、味付きの米を、卵焼きで包んだ料理でな」
「こめ……あ、あのふかふかした白い食べ物ですね!」
「……もしかして、魔界って米はないのか?」

 小麦粉に近いものはあったのでパンを焼いて主食にしていたので、特に疑問に思わなかったのだが、そういえば支給される食材の中で一度も米を見たことがない。
 こちらの疑問に魔王は長耳を揺らしながら、こくこくと頷いて、

「はい。あれは人界固有の食べ物ですね。人類の主食と聞いて魔界でも育てられないかとも思ったんですが……水源の問題があって、ちょっと難しそうです」
「ああ、魔界って水源があんまり無いんだったな……米はたしかに、水がたんまりいるからなあ」
「ええ、あってもほとんどが綺麗な水ではなくて、魔法とか設備で浄水して使ってる感じですから、量を用意する場合は結構大がかりになるんですよね……あと魔界の環境は厳しいので、作るとしても品種改良に時間がかかりそうです……」
「……そうなると、米が支給されることは今後も無いのか」

 ここに来てからはずっとパン食なので、米を食べたいと思うことが増えていたのだが、望みは薄そうだった。
 残念に思っていると、魔王は難しい顔をして、

「うーん……時間さえかければ設備は整えられますし、流通ルートも少しずつ整備しているので、ちょっとくらいなら人界から仕入れてこられるかもしれませんが……今すぐ、というのは難しいです」
「あんまり無理しなくても良いぞ。いつも俺のためにいろいろしてくれてるわけだし、我が儘を言いたいわけじゃないからな」
「……私だって、その、おむらいす、っていうの食べたいですし」
「……自分のためでもあるなら良いけどよ。それなら、持ってきてくれれば作ってやるよ」
「はい、楽しみにしてますね!」

 飯を食いながらもう次の飯の話をしていることをなんだかおかしく感じながら、俺は米が支給されるかもしれないことに少しだけわくわくしていた。
 そうして今日もまた、楽しいと感じられる時間はあっという間に過ぎていくのだった。