「勇者さん、今日のご飯はなんですか?」

 もはやいつも通りになった魔王の訪問。
 突っ込む気も最近は失せてきたので、俺は素直に答えることにした。

「よく分からない肉のオーブン焼き。オーブンにはもう入れてあるから、できるまで待つだけだぞ。付け合わせももうできてるし」

 見た目的に鶏肉っぽいと思うのだが、やはり何の肉なのかはよく分からない。
 この間ふつうに焼いて食べてみたら鶏肉にしては油が強く、フライパンよりはオーブンで焼いた方が余分な油が落ちるのでは無いかと思い、今回はその試作だ。
 脂っ気の強さを和らげるための香草もいくつか添えているが、それもよく分からない、なんだか良い匂いのする草、という感じだ。支給される以上、幻覚作用とかはない、はずである。

「それじゃ勇者さん、待ち時間に魔界チェスしましょう!」
「……なんだその、魔界チェスって」

 なぜかどこからともなく、テーブルに大きなボードとコマが現われた。
 どこから出したんだ、と思うが、相手は魔王なのだ。たぶんなにか、魔法でも使ったのだろう。

「魔界のテーブルゲームですよ。人間界のチェスに似てるんです」
「ふーん……」
「ホントはもっと違う名前なんですけど、発音できませんからね」
「発音できない、って……どんな名前なんだそれは」
「えっと……□▼◆◆◎▲●▽……です」
「……は?」

 耳に聞こえてきた言葉を、俺は認識できなかった。
 口にするどころか、文章にするのも不可能な、不思議な響き。あえて言葉にしようとすると、舌がもつれてしまいそうな、自分の聴覚がおかしくなってしまったのではないだろうかと不安になるような言葉。

「だから、□▼◆◆◎▲●▽……ですってば」
「……全然聞き取れなかった。ほにゃ、りき……なんだって?」
「それはそうでしょう。魔界語ですからね」
「魔界語!?」
「はい。魔界の標準言語ですよう」
「そんなもんあるのかよ……」
「人間界とは文化も人も違いますからね。当然言葉も違います。あと、今勇者さんに聞こえたのも正しくはありませんよ。魔界語は、人間が聞き取れないくらいの周波数の音も使うので……ですから勇者さんに解りやすいように、魔界チェスって言ったんです」

 説明されると確かに納得はできる。
 人類と魔族。この二種族はそれぞれ、違う世界で暮らしていた。
 人界と魔界、ふたつの世界は『門』によって繋がっており、お互いにそれを通じて相手の世界へと戦争を仕掛けていたのだ。
 種族どころか世界が違うなら、言語は違っていて当然というのは、言われてみるとむしろ当たり前だと思えた。

 「そうなのか……って、じゃあお前がフツーに喋ってるのって……人間の言葉、勉強したのか?」
「そうですよ。言葉が通じないと降伏勧告どころか、意志疎通が出来ませんからね……前も言ったじゃないですか、言葉の壁があるって」
「そういう意味も込みだったのか……流暢すぎて、魔界でも人型のやつはこの言語なのかと勝手に勘違いしてたわ」
「勉強は得意なんですよ。人間語も、喋るだけなら三時間でマスターしましたし」

 えへん、と魔王は胸を張る。揺れた。目を逸らした。

「……げ、言語を三時間で覚えるって相当なもんだぞ」
「カタコトでしたけどね。今では結構すらすら話せてるので、たぶん勇者さんに失礼はないと思います」
「失礼もなにも、魔界語なんて言葉があることも気づいてなかったくらいだ。……あ」
「どうしました?」
「いや、今まで戦った魔族がいろんな鳴き声というか、奇声出してたのって、実は魔界語で『死ね』とか言ってたのかなって思って」
「たぶんそうですね。通じてないから意味ないですけど」

 言葉が通じるって大事だなと、しみじみ思いながらオーブンに目をやると、のぞき窓の向こうではなんだかよく分からない肉が良い感じに焼けてきていた。

「……お、そろそろ出来るぞ」
「そうですか。じゃあ魔界チェスはご飯食べてからにしましょう」
「ちゃんとルールから教えてくれよ」
「お任せください」

 似ていると言っても、魔界の遊び道具。
 もしかすると言語と同じように、人間のチェスとは全然違うかも知れない。

「……まあ、ちょっと楽しみかもな」
「なにか言いましたか、勇者さん?」
「なんでもねえよ。ほら、用意してやるからそこに座ってろ」
「えへへ、はーい」

 上機嫌に耳を揺らして笑顔の魔王に、俺は今日も食事を提供することにした。
 せっかく遊び道具を持ってきてくれたのだから、肉は多めに取り分けてやろう。

「しかしお前も魔王の公務も山積みだろうに、わざわざ俺に気を使って、大変だな」
「まあ忙しいは忙しいですけど、これは私が好きでやってることですから」
「そうか。まあ、それでもそのお陰で、こうして捕虜だっていうのにいい待遇で暮らせてるからな……その、なんだ。おつかれさん、魔王」
「……えへへ、ありがとうございます、勇者さん」

 へにゃ、と耳を下げて笑う魔王に、どこか照れくささを感じながら、俺は大盛りの皿を彼女の前に置いた。