「はふーさっぱりしました。……で、今度は私が勇者さんを待つターンですね」

 勇者さんは私が出てくると、なぜか早足でお風呂場に行ってしまった。もしかすると、私と少しでも長く遊びたいと思ってくれているのかもしれない。

「えへへ……勇者さんと、一日いっしょ……♪」

 にへら、と自分の顔が緩んでいる自覚はあるけれど、今くらいは許されると思った。
 私はお風呂に入っている間にすっかり冷えたお茶を飲んで、湯上がりの身体を少し落ち着ける。

「……そういえば勇者さんって、おヘソの下に星形のアザがあるんでしたよね」

 ふと思い出したことを、つい口からこぼしてしまった。
 人界における勇者の印は、星形のアザだという。歴代の勇者がすべて、そのアザを持っているとしたら――

「――もしかして、なんらかの魔法による強化、とか?」

 だとすると、人界の『勇者』という存在は人為的に造られたということになる。
 もちろん、その理由は人類側の勝利のためと言うことになるだろう。

「生まれたばかりの子供に、魔法をかけて兵器として……なんて、さすがに非人道的な事は無いと、思いたいですが……」

 確かめるべきだろうか。
 そう思うけれど、そのためには少なくともアザを調べなくてはいけない。
 調べると言うことは、じっくり見ないといけないということだ。
 そして勇者さんは今、お風呂に入っているので間違いなく裸だ。

「そうですよね、勇者さんの裸を一度見ないと……って、はだか!? あ、いや、それはもちろん、今はお風呂なんだから当然じゃないですか、なにを慌ててるんですか私、あはははー……」

 扉二枚先には、勇者さんが裸でお風呂に入っている。
 そんな当たり前のことに、動揺する必要なんてないだろうに。我ながら、ちょっとおかしいと思う。

「へ、変なこと考えずに、別のこと考えましょう」

 自分を落ち着かせる意味で口に出して、私は深く椅子に腰掛けた。
 頭を切り替えるために、何度が深く呼吸を繰り返す。やがて気持ちが落ち着いてくると、今度は静寂がやけに気になってしまう。

「……私、部屋にひとりなんですよね」

 部屋の主がお風呂に入っているのだから、当然だった。

「しばらく勇者さん、出てこないんですよね」

 彼が長風呂かどうかは分からないけれど、少なくともさっきお風呂に行ったばかりなので、もう暫くは出てこないだろうと思う。

「…………」

 勇者さんがいないのをいいことに、私は部屋を改めてじっくりと見回した。
 私が彼のために用意した生活空間。魔界という環境を少しでも苦だと感じないように、調度品のたぐいはなるべく人界から取り寄せた。
 いつの間にか家具のレイアウトが最初とは少し変わっていたりして、彼が生活する上で自分に合うように調整した部分が見て取れる。

 そんな中で、ひときわ私の目を引くものがあった。

「あ、お洗濯物……」

 几帳面に畳まれて部屋の隅に置かれた、洗い立ての私服。
 勇者さんの希望通りのシンプルなもので揃えた一式は、彼の几帳面な性格を表すかのようにぴっしりと折りたたまれている。
 私はそれを、無意識に手に取って、

「ん……勇者さんの、におい……」

 ふわりと鼻先に触れたのは、もうすっかり慣れてしまった彼の香り。
 袖を通していたわけでもないのに、どこかひだまりの中のような、優しくて、安心する匂いがする。
 瞳を閉じれば、まるで彼に抱きしめられているかのような、不思議な感覚。

「ん、すう……」

 私はそのまま、深く息を吸い込んで――

「――はっ!」

 そこで、ようやく我に返った。

「も、もー! これじゃ私、まるっきり変態じゃないですか!」

 わたわたと洗濯物を元の位置に戻し、自分の位置も元通りに椅子の上に戻す。

「うー、ううー……な、なんて恥ずかしいことを……勇者さんが出てきたら、言い訳できないじゃないですか、今の……」

 自分の行いを顧みて、私は椅子に突っ伏した。

「……誘惑が多いから、いけないんです」

 今日の私はお休みで、お仕事のことは考えなくても良い。
 そんな状態で、勇者さんのものばかりあるこの部屋で、ひとりになるなんて。
 どうしたって、あなたのことを考えてしまうに決まっている。

「早く出てきて、私の相手してくれたら、こんな風にならなくていいのに……」

 きっと彼は、そんな私の気持ちなんて知らずに、湯船に浸かっているのだろう。

「早く出てきて……私だけ見てくれたら、いいのに……」

 私が、勇者さんがお風呂から出てくるまでの、たった少しの時間も我慢できないような我が儘な女だって知ったら、彼はどう思うのだろう。
 分からない。でも、少なくとも知られたくはないと思った。


「切ないですよう、ゆーしゃさん……」

 これ以上は、この部屋のなにを見ても毒のような気がする。
 私は思考を完全に切るために、少しだけ目を閉じていることにした。
 彼が出てくるまでには、いつも通りの私に戻らなくちゃ。