「勇者さーん」
「おう、魔王か」
「はい、魔王です」

 いつも通りに笑顔で入ってきた相手は、自然な動きで椅子へと腰掛けた。
 勝手知ったるという感じの魔王に、俺もいつも通りにお茶を出して、

「朝からなんて、珍しいな」
「ふふふ……」

 魔王は意味ありげに笑うと、お茶を一口飲んで、ほう、と溜め息を吐いた。
 多少魔王っぽく振る舞ったところで、細かい所作がいちいちカワイイんだよな、コイツ。

「なんと、私今日は非番なんですよー!」

 ニッコリ笑顔の魔王は、どう見ても子供の頃に聞いていた悪の親玉に見えなかった。

「マジか。珍しい、というか初めて聞いたぞ」
「年に一日あるかないかくらいですからね。私のお休み」
「……大変だな、魔王」
「国のトップですから。今日はその、た、たまたま、本当にたまたま書類とか視察とかが全然なくて……物事の隙間って感じです」

 本人が言うように、彼女は国の長。
 まったく休みがないというのも、ある程度は仕方が無いことだとは思う。彼女が動かなければ、国が回らないのだから。
 だからこそ、貴重な休みを楽しんで欲しい。俺は自然と笑顔で頷いた。

「そうか。折角の休みなんだから、楽しんでこいよ」
「……え?」
「え?」

 あれ、なんかおかしなこと言ったか?

「もう、勇者さんってばなに言ってるんですか。今日は朝から晩まで勇者さんと一緒に遊んで、ご飯つくってもらうんですからね」
「……休日にまで俺の相手しなくても良いんだぞ」
「……わ、私が、勇者さんに会いたかったんです」
「……そ、そうか」

 ハッキリと一緒にいたい、と言われるとさすがに照れてしまう。
 貴重な休みなのに良いのかという気持ちもあるが、本人がそうしたいというのを止める理由も無い。
 むしろ最近は魔王がいない方が落ち着かないくらいなので、俺として嬉しいとさえ思ってしまう。

「えっと……ご迷惑、でした?」
「……いいや。そんなことねぇよ」

 感情を押しとどめ、努めて無表情で返す。
 魔王はへにゃ、と顔をだらしなく崩して、耳をぴこぴこと動かした。

「えへへ、良かったぁ……さて、それじゃ着替えてきますね!」
「ん? 着替え?」
「私服にですよ。前に持ってくるって言ったじゃないですか」
「ああ、そんなこともあったな……」

 前に服の話題になったときに、今度私服を持ってくるって話になったっけ。
 制服以外の姿を見たことがないので、少し興味はある。

「今日はお休みですからね。私も私服で勇者さんと過ごします」
「……まぁ、いつものその格好だと、休みって気分にはならないか」
「そういうことです。脱衣場、お借りしますね?」
「借りるもなにも、ここお前の城なんだけどな」

 どちらかというと、借りているのは俺の方なのだが。

「そうですけど、ここは勇者さんのために用意した生活スペースですから……あ、覗いちゃダメですよう?」
「覗かねぇよ」
「……ど、どうしてもって言うなら、生足くらいなら……」
「だから覗かねぇって。朝飯作っててやるから、着替えてこい」
「……なんかそれはそれでショックです」
「どうしろってんだよ」

 女心が難しいのは魔界も同じのようで、魔王は少し微妙な顔をしながら脱衣所へと消えていく。
 残された俺は自己申告した通りに、朝飯を作ることにした。
 普段は魔王が朝に来ることがないので急遽ふたり分を作ることになるが、支給されている食料に余裕はあるので問題は無い。
 予定通りの献立を、ふたり分にするだけの話だ。

 人界のものより少しだけ大ぶりな卵を割り、謎の肉で出来たベーコンらしきものをフライパンで焼く。
 その間によく分からない葉物をちぎったサラダも用意して、昨日焼いたパンの余りを皿に盛った。

「着替えてきました!」

 卵が半熟になる頃に、魔王は脱衣場から戻って来た。
 俺は料理を皿に移してながら、相手の方を見て、

「おう、おかえり」
「どうですか、これ!」
「どうって……」

 魔王はその場でくるくると回って見せる。
 彼女が着ている私服は、仕事着と比べるとかなり露出が少なかった。目のやり場で言うと、いつもよりは困らない。
 カラーリングは全体的には黒基調。フリルがあちこちにちりばめられて、どことなく幼さが助長されるような雰囲気だ。
 スカートも長く、回る動きに合わせてふわりと浮かぶ姿は、魔王の見目と相まって幻想的にも感じられた。

「……えらくフリフリだな」
「そうなんですよ! とってもラブリーでしょう!? コレ、魔界で今、超人気なんです!」
「……意外と少女趣味なのか?」
「ふえっ……に、似合いません、でした?」
「いや、似合ってるぞ。可愛いじゃないか」
「か、かわっ……え、えへへ、良かったぁ……」

 顔を曇らせたかと思えば、こちらが素直な感想を口にするだけで、ゆるんだ笑顔になる。相変わらず、表情がコロコロ変わるやつだった。
 感情に合わせて垂れたり動いたりする耳を目で追いながら、俺は料理をテーブルに並べる。

「そんな慌てるところか?」
「慌てますよ! 勇者さんに見せようと思って、睡眠時間を削って一生懸命選んだんですから!」
「お、おう、そうか……」

 今度は眉を立てて、こちらにぐいっと近寄ってきた。
 ただでさえ良い顔がさらに近くなり、独特な紋様が刻まれた紫色の瞳がこちらをじぃっと見上げてくる。
 いつものように胸元が危なくないのに、俺はなんとなく目を逸らしてしまった。

「ほんと、変に思われなくて良かった……あ、実はこれ最近になって、人界にも輸入してるんですよ。『ゴスロリ』って名前で」
「ごすろり、ね……」

 よく分からないが、女はフリルが好きというのは一定理解できるので、人界でも流行るのかも知れない。
 ファッションはあまり明るくないので曖昧に頷くと、魔王は可愛らしく小首をかしげて、

「……似合います?」
「似合ってるって。さっきも言っただろ」
「えへへ……もっともっと!」
「もっとって……」
「…………」

 ええい、きらきらした目でこっちを見るな。

「……似合ってる。かわいいぞ」

 女を褒めるなんて、まったく経験の無いことだ。
 必然的に語彙はなくなり、さっき言ったのとまったく同じ言葉を繰り返す形になってしまう。

「はい!」

 だというのに、コイツは嬉しそうに満面の笑顔で、耳を犬の尻尾のようにぶんぶか振っていた。

「……なんだろう、なんか調子狂う」
「えー。なんでですかー」
「いや……なんでだろうな」
「ふふ。変な勇者さん。ところで、ご飯はまだですか?」
「あ、ああ。もう準備できてるぞ」
「えへへ、やったぁ、朝から勇者さんとご飯だぁ……♪」

 なぜかいつもより更に上機嫌に、魔王は席へと着く。
 カトラリーを持ち、目線だけで『はやくはやく』と訴えてくる様子は、どこか主人を待つ犬のようですらあった。

 朝から魔王がいるという事実に、やや落ち着かないままで俺も席につく。

「いただきまーす!」
「……いただきます」

 元気よく手を合わせて食事に手を着ける彼女を見て、俺もゆっくりと食べ始めるのだった。
 相変わらず魔王は朝から食欲旺盛で、俺と同じだけの量をぱくぱくと平らげてしまう。

「……ごちそうさまでした!」
「おう」

 満足げな様子の魔王に、俺はミルクのおかわりを注いでやる。

「あ、ありがとうございます。……勇者さんと朝御飯って始めてでしたね」
「まあ、そうだな」
「勇者さん、朝はミルク飲むんですね」
「なんのミルクかは知らないから、なんだかよく分からないミルクだけどな」

 人界で飲む、牛から搾ったものよりも少し濃い感じの味がする。
 少々クセはあるが、慣れてみると悪くないものだった。

「んー。この味は羊系の魔族ですね」
「羊だったか……」
「正確には、人界の羊っぽい特徴を持った魔族ですね。人類語ではワーシープって呼んでるんでしたっけ」
「ああ、あのもこもこで角が生えたやつだろ」
「はい。人間界の羊と違って二足歩行だし、平均身長は二メートルで、斧や鎌といった武器が得意ですが、魔法を扱うのは苦手ですね」
「…………」

 あの毛皮、意外と硬くて斬りづらいんだよな。
 現役の勇者だった頃に戦ったことを思い出して、俺は少しだけ遠い目をした。

「……あ、ごめんなさい。出所を聞いて、飲みづらくなりました?」
「いや、俺はそういうの気にならないぞ」

 ひとり旅をしていた頃には、食べ物に贅沢を言っていられない時も多くあった。
 世で言うところのゲテモノ、というやつも結構食しているので、俺はあまり、食材の見目や出所にはこだわらない主義だった。

「そうですか。良かったです。羊系魔物は妊娠初期から大量に母乳が出る種族なんですよ。それでその母乳を売って、出産費用や育児費用の足しにしているそうですよ」
「そうか……魔族もいろんなことして生活してるんだな」

 俺たち人間の方は一口に魔族と呼んでしまっているが、魔界の住人はかなり多種多様な姿、特技を持っている。
 実際、人の姿に近い魔王と、二メートルを超えるもこもこを並べて同じ種族、というのは結構無理がある。
 しかし人類にとっては別の世界からやってくる敵、という部分が共通していたので、十把一絡げに『魔族』と呼んでいた。今思うと、かなり雑だった。

「前にも似たようなこと言いましたが、種族ごとに得意なことがあって、それを適材適所にしてる感じですね。動物などは家畜やペットとして扱いますが、一定の知能や感情があって意思疎通が可能なられば、どんな形をしていても民として扱っていますので、いろんな住人がいますよ」
「成る程なぁ……すげぇな、魔界。人界よりよっぽど平等かもしれん」

 一方で人界の方は魔界という外敵に対抗するために生まれた統一国家こそ存在するものの、実際の内情は、あまり良いとは言えなかった。
 貧富の格差は激しく、地方民族への迫害などもあったし、孤児や疫病など、問題は少なくなかったように思う。

「えへへー、凄いでしょう、魔界。……それにしても、こうして朝から勇者さんとゆっくり居られるなんて、なんだか嬉しいです」
「そうか」
「……勇者さんはどうですか?」
「どうって?」
「だって、私だけ嬉しかったら、それって一方的な空回りじゃないですか。やっぱり迷惑だったりとかしないかなって、思いますし。……勇者さんはその、朝から私がいて、どうです?」
「……退屈はしないな」

 嬉しい、と素直に口にしそうになってしまい、俺は直前で言葉をぼかした。
 なんとなく、素直に言うのが恥ずかしいと思ってしまったのだ。

「むー。そーれーだーけー?」
「いや……えーと……」
「むぅー……」

 魔王は俺の返事がお気に召さなかったようで、頬を膨らませて、こちらをじっと見つめてくる。
 目を合わせていると吸い込まれてしまいそうな、紫色の、真っ直ぐな瞳。良いのか悪いのかハッキリしろと言いたげで、だけど、少しだけ不安の色が滲んだ目。
 結局、俺は最後にはその視線に負けてしまった。

「……嬉しいよ。お前がいないと、少し静かで、寂しいからな」
「……えへへ」

 魔王は険しい顔を一気にほどいて、ゆるゆるの笑顔をこちらに向けた。

「……なんだよ」
「なんでもないです。ほらほら勇者さん、早く洗い物片付けてください! 遊びましょう! 新しい玩具も持ってきましたから!」
「……分かった、分かったから、そんなに急かすなって」

 なぜか上機嫌な魔王に急かされて、俺は洗い物を片付けるのだった。