「……今日も無事終わりましたー!」

 部屋に戻った私は、すぐに公務の仮面を脱いだ。
 作り笑顔を貼り付けてお仕事をするというのは、とても疲れることだ。

「お疲れ様です、魔王様」
「メイドちゃんも、お疲れ様です」

 側仕えのメイドちゃんに言葉を投げると、彼女はうやうやしく一礼して、私の服を脱がしてくれる。
 最初はちょっと気恥ずかしかったことだけど、四千五百年以上もそうされているうちにすっかり慣れてしまった。

「いつもありがとうございます、メイドちゃん」
「ふふ、どういたしまして」

 慣れてしまっても、感謝を示すことは忘れない。
 メイドちゃんは微笑んで、私の服を寝間着へと替えてくれる。いつも通りに、私が自分で着替えるよりもずっと手際よく。

「魔王様、お疲れではないでしょうか。本日は疲労回復に効果がある良い茶葉が入りましたので、よろしければお淹れしますが……」
「あ、それなら私が淹れましょうか?」
「ダメです」

 即答だった。

「うー、なんでですかー。私、お茶だけはメイドちゃんより上手に淹れられますよう?」
「悔しいですが、事実ですね。魔王様は笛の演奏とお茶に関しては素晴らしいお手前でいらっしゃいます。他はお仕事以外超ポンコツですが」
「あれあれ、あんまり褒められてる気がしませんね……?」

 確かに洗濯物とかお片付けとか、一切出来ませんけども。
 
「ですが、事実として魔王様が私よりもお上手だとしても、従者が魔王様にお茶くみなどさせるわけには参りませんから」

 言いながら、メイドちゃんはてきぱきとお茶の用意をはじめてしまう。
 フリルスカートがふわふわと動くのを見ている間に、温度に満たされたカップが私の前にサーブされてきた。

「どうぞ、魔王様」
「……ありがとうございます」

 今更、自分がやりたかったなどと文句を言うのも野暮だと思ったので素直に受け取って、私はお茶を一口。
 爽やかな香りと、優しい甘み。ほどよい温かさは味を柔らかく舌に乗せ、自然と喉の奥へと落ちる。

「……美味しいです」
「魔王様には敵いませんが、私も一流を自負しておりますので」

 お茶淹れが私の方が上手なのが少し悔しいらしく、メイドちゃんはやや不服そうにしながらも自分の分のカップに口をつけた。
 メイドちゃんは私にとって、従者でもあり、友人でもある希有な存在だ。
 こうしてゆったりとした時間を彼女と過ごすのは、多忙な私にとって数少ない気が抜ける瞬間でもある。

「はふー……」
「再度になりますがお疲れ様です、魔王様」
「ふふ、メイドちゃんの前では気取らなくて良いから楽ですね」
「最近は、勇者様の前でもそうなのではないのですか?」
「いえ、勇者さんの前ではその、もうちょっと格好つけたかったりとかするので……」
「……ふふ、そうですか」

 メイドちゃんはクールに微笑んで、お茶をもう一口。
 寝る前なのでお茶菓子はなく、ただ本当にお茶を飲むだけのひととき。
 こういう時間のお陰で、私は日々の疲れを忘れることが出来る。また明日も頑張ろうと、そう思えるくらいには。

「さて、明日もいろいろと頑張らないといけないですね」
「……魔王様。ちょっと働きすぎでは?」
「まあ確かに忙しいですね……でもまだ、人界を治めて短いですから。はじめのうちにちゃんとしておかないと、あとあと困りますからね」
「……言いたいことは分かります、魔王様の代わりがいないことも。ですが……個人的にはやはり、たまには休んでいただきたいのです。人界を治めて以降、一日も休暇がありませんから」
「あはは……」

 返答に困った私は、つい、曖昧に笑って誤魔化してしまった。
 人と魔族の融和はまだ遠い。休んでも良い日なんてありはしない。

 ……少しでも早く、勇者さんを外に出してあげたいですし。
 
 人の寿命は、私と比べてあまりにも短く、儚い。
 私が今まで生きてきた時間の十分の一すらも、彼は息をしていられない。
 いつか彼を日の当たる場所へ、という私の望みは、明確なタイムリミットが存在するのだ。

「……魔王様、誤魔化すのが下手すぎます」
「う……え、えへへ……や、でもこの間も温泉に入りましたし……や、休んでます、よ?」
「あれは名目上は視察です。きちんとしたおやすみとは言えません、実際魔王様、帰ってからすぐ大真面目に温泉の感想をまとめて、今後の営業展開まで考えはじめたではありませんか」
「う、うぐ……だ、だって商売が繁盛するのは良いことですし……」
「じぃ……」
「う……ご、ごめんなしゃい……」

 メイドちゃんには敵わない。普段はあまり向けてこない、じろりとした目に、私はばつが悪いものを感じてしまう。
 こちらの気持ちを見透かして、だからこそ、彼女は文句は言いつつも私を止めることはしない。

 ……甘えてしまってますよね。

 支えてくれている相手がいるから、多少無理しても大丈夫だと思う自分がいる。
 そのことに対して謝罪すると彼女が怒ることはもう知っているので、私はただ、お茶を飲むことにした。

「……魔王様」
「あ、はい。なんでしょうか、メイドちゃん」

 どう声をかけようか迷っていると、相手の方から言葉が投げられてきた。

「……明日はお休みにしましょう」
「へ……?」
「いえ、丁度スケジュールが空いておりますので」
「いやいや、そんなはずは……思いつく限りでも、人界に輸出する食料の精査とか、人界の人たちからの嘆願書に目を通したりとか、いろいろあるじゃないですか」
「それは魔王様が前倒しでしようとしていることで、実際の現場としてはまだ余裕があるはずです」
「う……」
「嘆願書が届くのは夕方ですし、食料に関してもお互いに戦争が終わったことで、片方の世界が食糧危機になっているというわけでもないので、慌ててやることではないはずです」
「……そう、ですけど」
「その他のことも、私が把握している限りは急ぎのものはありません。私を含め、信頼できる貴下のものに任せられる部分も多くあります」
「で、でも、これは私の我が儘で……だから、私がやらないと」

 もう、魔族にも人類にも傷ついて欲しくない。
 勇者さんを安心させてあげたい。
 そして彼を、一日でも早く自由にさせてあげたい。
 それらはどれも、私の個人的な我が儘だ。

 メイドちゃんを含めた少数の側近は私を支持してくれているけれど、未だに多くの魔族が人類を滅ぼすべきだと考えている。それほどまでに、人界との戦争は長かったし、溝は深い。
 人界のものたちだって、まだまだ不安と恐怖、そして恨みを持っている人が多いことだろう。
 だからこそ、私が一番矢面に立って頑張らなければ。

「勇者様を想ってのことは、重々承知しております。だからこそ、です」
「だからこそ、って……」
「あなたが働きすぎで倒れてしまっては元も子もありません。大事に取り組むからこそ、休息もしっかりとお取りください。そして……私たちにも、頼ってください」
「……でも、そうなるとメイドちゃんたちが表だって動くことになって、批判を受けます。場合によっては、暗殺の手が伸びたりすることだって……」
「私たちは、望んであなたを助けようとしているのです」
「あ……」

 真っ直ぐな目に宿るのは心配と、少しの怒りだった。
 付き合いが長いからこそ、こういうとき、彼女がなにを想っているのかよく分かる。

「私たちは、あなたのやることを支持して一緒にいるのです。……私たちにとっては、巻き込まれない方が寂しいのですよ、魔王様」
「……ごめんなさい、メイドちゃん」
「分かってくだされば、良いのです。出過ぎたことを言って、申し訳ありません」
「いいえ。……そうやってハッキリと間違いを指摘してくれる方が、有り難いですよ」

 メイドちゃんは恭しく一礼して、こちらの言葉を待つ姿勢になった。

 ……甘えてしまうべき、なんですね。

 彼女は私を真剣に心配して、休めと言ってくれている。そしてそのために、取り計らってくれるのだろう。
 そこまでお膳立てをさせられては、断れるはずもない。

「……分かりました。明日は一日、おやすみにします」
「はい。それでは魔王様、明日の勝負服などをお選びしましょう」
「へ、勝負服?」
「ええ。……だって明日は朝から一日、勇者様のお部屋で過ごすのでしょう?」
「はえ!?」

 なぜか決定事項のように言われてしまって、素っ頓狂な声が出てしまった。
 半ばくらいまでお茶の入ったカップを取り落としそうになり、私は慌てて首を振る。

「な、なに言ってるんですか!? 朝から一日中、それも私服でお邪魔するなんて、そんなことしませんよ!? そ、そんな、そんなっ……」
「……本当にお家デートみたいですね?」
「っ……!」

 頭の中に浮かんでいた言葉を先に言われてしまい、私は言葉に詰まる。
 勇者さんとお家デート。少し想像するだけで、心臓が強く脈打ってしまう。
 頬に熱が来ることを自覚しながら、私はさらにぶんぶんと首を振って、

「わ、私の予定をメイドちゃんが決めないでくださいよう!」
「あら、では魔王様、唐突に降って湧いた休暇を良い感じに消化するプランはおありなのですか?」
「そ、それはっ……あ、う……な、ない、ですけど……」
「それに、魔王様がお忍びでお出かけをして暗殺されかけたり、こっそり視察などにいかれては大変です。それでは休暇の意味がありませんから」
「う、うぐっ……」

 やっぱり仕事が気になってこっそり現場の視察に行ったりするのは、ちょっと否定できないですけども。
 私のことをよく知っているメイドちゃんは、こちらが言葉に詰まるのを見てクールに微笑んで、

「ほら、やっぱり。ですから、ここは勇者様と過ごすべきかと。あそこなら他の魔族は立ち入りませんので、彼のお部屋で、ゆっくりとおやすみをしてください」
「ゆ、勇者さんの部屋で、お、おおお、おやすみって……」
「……泊まっても良いんですよ?」
「とまっ、とっ、泊まったりなんてしません、そんなはしたない!!」
「あら、もし泊まったら、はしたないことをするおつもりなのですか?」
「っ……あ、あぅっ、はううぅ!」
「ぷっ……魔王様、語彙が……」
「だ、誰のせいだと思ってるんですかぁ!?」
「でも魔王様。明日勇者様のお部屋に行けば、私服を見せられますよ」
「……それがなんなんですか」

 羞恥と怒りが収まらないので、私はやや素っ気ない返事をしつつ、お茶を飲み干した。
 空いたカップを置くと、メイドちゃんは笑顔でフリルを揺らして、

「いつも公務服でおじゃましているわけですから、勇者様ははじめて私服を着た魔王様を見て、可愛いと思ってくれるはずです」
「……勇者さんが、私を、可愛いって……」
「はい。勇者様に、可愛いと思っていただきたくありませんか?」
「……もらい、たい……です……」

 似合っているとか、可愛いって、思って欲しい。
 なんなら、言葉としてそれを聞きたい。
 公私のうち、『公』の私だけでなく、『私』の私も見て欲しい。

「普段通りではない魔王様をお見せする機会ですよ。それに朝からなら、たくさん彼と過ごせます。今の魔王様にとって、それが一番心が安らぐ『良いお休み』なのではないですか?」
「あ、うっ、うう、それ、は……でも、朝から殿方のおうちに押しかけるなんてっ……」
「……行きたくありません?」
「い、行きたいですっ! あ……」
「決まり、ですね」

 メイドちゃんは鼻歌交じりでクローゼットを開けて、私服を吟味し始める。
 私はとうとうなにも言えなくなってしまい、小さくなって待つのだった。

「……ところで本当にお泊まりしてきます? 周囲への言い訳など、考えておきますが」
「お、おとまりはっ、し、しませんっ、さすがにっ」
「……ふふ、承知致しました」

 こうして、なぜか私のお休みと、その日の予定が決定してしまった。
 勇者さんに悪いのではと思うと同時に、朝から彼に会えることを楽しみにしてしまっている自分がいることもどうしようもなく否定できなくて、頬が熱い。
 メイドちゃんがいくらかの服を見繕ってくれるまでの間、私は既に空になってしまったカップを、ただ見つめていた。