「はうー、ご馳走様でした」

 お腹いっぱい、幸せいっぱい。
 満足して手を合わせると、対面の勇者さんは笑って、

「ああ、お粗末さん。片付けてくるから、待ってろ」
「ありがとうございます」

 出されたお茶に素直に口をつけているうちに、勇者さんは手早く食器を集めて流し場へ。

 ……うーん、本当はお手伝いとかしたいんですけどねー。

 そういう気持ちはあれど、確実に私が手を出すと勇者さんの手間が増える。
 そもそも勇者さんがひとりでやった方が早いだろうし、最悪の場合、私ではお皿を割ったりしてしまう。
 余計な邪魔にならないように私は素直に椅子に座り、食休みの時間を過ごした。

「ただいまっと」
「お疲れ様です、勇者さん」
「ああ、ありがとな」

 戻って来た勇者さんは椅子に腰掛けて、自分の分のお茶に手をつけた。
 食後のゆるやかな時間の流れを心地よく感じていると、勇者さんの方から言葉がやってくる。

「……その、今日の飯どうだった?」
「あ、美味しかったですよ。なんだか最近の勇者さん、前よりお料理が上手になりましたね」

 最近、勇者さんは料理の感想を求めてくることが増えた。
 前はそういうことはなかったので、どこか心境の変化でもあったのだろう。

 ……まあ、勇者さん凝り性っぽいですしね。

 ここの生活に慣れてきて、料理の味が気になってきたとか、そういう理由だと思う。
 彼は元々細やかな性格らしいので、たぶんそれが出てきているのだろう。

「美味かったなら良かった。まあ、さすがに魔王のお抱えには腕は負けるんだろうけどな」
「……前にも言いましたけど、私は勇者さんが作って、いっしょに食べてくれるご飯が好きですから。それに、美味しくなったのは本当のことですよ?」

 私のお抱え料理人たちは、勇者さんよりもずっと長い時間、料理という職務に向き合ってきた。
 扱っている食材も機材も最高峰で、魔界の料理を知り尽くしている。純粋な知識や腕で、勇者さんが勝っているとはお世辞にも言えない。

「彼らのご飯も美味しいし、私のことを考えてくれているのは分かっています。でも……私が今、一番安心するといいますか……いっしょに食べたいって思うのは、勇者さんのご飯ですよ」
「……ありがとな」
「いえいえ、こちらこそ、いつもありがとうございます♪」

 お礼を言って、私は改めてお茶を一口。

 ……こうして落ち着いた時間を過ごせるのも、良いことですしね。

 ひとりでもそもそとご飯を食べるよりも、ずっと良い時間だと思う。

「……にしてもお前本当に言葉上手いな」
「あ、人類語ですか。へへー、勉強しましたからね!」

 対話をするために、まず必要なのは意思の疎通。
 どれだけこちらが歩み寄りたいと思っても、言葉が通じなければそれは難しい。
 ということで、私は人類との融和のために、人類の言葉を勉強した。
 今ではすっかり、意識せずとも勇者さんとの会話ができている。

「戦争している間柄ということもあって、手に入る資料が少なくて結構苦労しましたけど、頑張りました」
「まあ、それはそうだろうな……」
「基本、対峙すると向けられる言葉って罵詈雑言ですからね……だから本でも文書でも、可能な限り集めて貰って勉強を」

 放棄された砦に残っていた作戦の書類とか、或いは個人の持ち物だったであろう小説とか、手紙とか。
 そういった資料を少しずつ集めて、解読して、私は人類語を学んだ。

「ただ、一度とっかかりが見つかれば文書の解読は難しくはないんですが、実際の発音とかと照らし合わせるのには結構苦労しました……」
「ああ、まあ、そうだよな。どういう意味の文字かは分かっても、実際に口にするとどういう感じなのかは難しいか」
「ええ。なのでその辺りは側近の人たちに人界に潜り込んで貰って、サンプルを集めたりとかしましたね。音を記録する魔法とか、いろいろと試行錯誤して」
「いや、結構手間かかってるな。前に話すだけならすぐ出来たとか言ってたから、もう少し簡単なのかと……」
「データが揃えば後は照らし合わせていくだけですから、そこは三時間くらいで終わったんですよ」

 ピースが揃ったパズルをはめ込むだけなら、そう難しくはない。
 そのピースを揃えるまでが、少しばかり手間な案件だったというだけで。

「正直最初から普通に話せてたから気にしてなかったんだが……よく考えたら世界が違うんだから、言葉も違って当たり前なんだよな」
「文脈とかも違いますし、そもそも人類語はすべて魔族が聞こえる音域なんですが、魔界語はちょっとズレているので、人類が完全に聞き取るのは不可能なんですよね」
「……それ今後、個人レベルの意思疎通はどうするんだ。新しい言語作るのか、それとも人類語で統一するのか?」

 勇者さんの疑問はもっともだ。
 お互いに歩み寄るためには、意思の疎通が必要不可欠。つまりお互いに相手の言っていることが分からないと、難しい。
 
「ちょっと迷ったんですが……また言語を作るというのはさすがに面倒ですし、人類語を公用語にするのも魔族側からの反発が凄いと思うんです。なので今は、魔法で解決しようとしてますね」
「魔法で……?」
「はい。お互いが聞いた言葉を、知っている言葉に変換する魔法を開発中です」
「……それ、魔法が使えないやつはどうするんだ?」
「魔界で採れる特殊な鉱石を加工すれば、魔法を封じ込めておくことができまして……魔法が使えないものでも、それを使えば翻訳魔法の恩恵を受けることができます」
「ああ、魔石か……」
「あ、ご存じでしたか? そうです、人界では魔石と呼ばれていますね。かつてはもっぱら大規模な破壊魔法を封じ込めて戦争用に使っていたんですが……今後はそういう、生活に便利な魔法を閉じ込めたものを作っていきたいなって。火起こしとか、水を浄化したりとか」
 
 人類という種は、魔法を使えないものが多いと聞いた。
 恐らく、人界は魔界と比べて大気中の魔力が薄いのが理由だろう。生まれてくる生き物は全体的に、魔力に乏しい。魔界では知性の薄い野生動物でさえ、魔法を扱うものもいる。

「生活が便利になれば、心にも余裕が生まれますから、平和の一助になります。それに……ちょっと、そういうのが魔族のお陰って思って貰えたらなって、下心みたいなのもあったりして」
「……良いんじゃないか。仲良くなりたい相手にプレゼントを贈るようなもんだろうし。俺としても……前も言ったが、そうやって人類のことまで考えてくれるのはありがたいしな」
「えへへ、はいっ」

 言語や社会基盤の整備は私の課題の中でもかなり大変な部分で、随分と頭を悩ませているけれど。
 勇者さんに応援されると、頑張ろうという気持ちが湧いてくるのだった。