「こんにっちわー」
「ん、今日は来たんだな」
「はい。ちょうどお仕事が良い感じに一段落しましたから」

 もはや勝手知ったるという感じで、魔王が椅子へと腰掛ける。
 俺の方はちょうど掃除が終わったところだったので、魔王にお茶を出してやることにした。

「ほい、お茶」
「いつもありがとうございます。ん……ぷはー。労働のあとの一杯って感じがしますね」
「それだとどっちかっていうとアルコールになるんだが……というか、魔界って酒のたぐいってあるのか……?」
「あ、ありますよ。トロルとかに好きな人が多いです」
「トロルって言うとあれか、身体が大きくて、緑色の」
「はい。たしか、人界ではトロルって呼ばれてるんですよね」

 人界と魔界では言葉が違うので、トロルも魔界の言葉での呼び名がちゃんとあるのだろう。

「トロルとか、オークとか……あの辺りの種族がお酒好きだし、造るのも上手ですよ。非戦闘員のトロルやオークはだいたい、お酒造るか、その材料になる穀物や果実を育てるかしてます」
「ふーん、魔界の酒か……人界のとはだいぶ違いそうだな」

 環境も違えば、栽培されているものも違うだろう。出来る酒は、人界で造られているものとはだいぶ違った味になるのかもしれない。
 
「勇者さん、お酒好きなんですか?」
「んー、好んでは飲まねえな。酔って寝てるときに奇襲とかされても困るし」
「意識が常在戦場過ぎやしませんか……?」
「いや、この間まで俺の立場そういう感じだからな……?」

 というか、常在戦場なんて難しい言葉よく知ってるな。
 コイツ、既に俺より人類の言葉使うの上手いんじゃないだろうか。

「まあ、確かに勇者さんは私と違って各地を転々としてたみたいですからね」
「ああ、あんまり落ち着ける時間って無かったな。だから酒も少し、まあ付き合い程度だよ。あとは儀式の前にしきたりとして飲むとか」
「なるほど……人界のお酒は美味しいのが多いので、勿体ないですね」
「え、魔王って酒飲めるのか?」
「一応言っておきますけど、私もう五千歳超えてますからね……? 人界基準でも魔界基準でも、飲酒可能な年齢はとっくに超えています」

 そうだった、コイツ五千歳超えてるんだった。
 見目は俺より年下くらいに見える上に、話していてもどこか子供っぽい部分があったりもするのでうっかり忘れそうになるが、魔王は俺より遥かに年上なのだった。

「人界のことを知る一環として、お酒も一通り種類は飲んでみたんですよ。魔界のものと比べて酔いづらいというか、『弱い』ものが多いんですが、味は飲みやすいのが多くて好みでしたよ」
「ほー……」

 逆に言えば、魔界の酒は酒気が強いというか、キツいのが多いということか。

「この辺りから、少しずつ整備してお互いに輸入、輸出できたらと思ってるんですよ。お酒を飲んで気分が良くなる、というのは魔族も人類も同じみたいですから」
「ああ、共通の話題で歩み寄らせる、ってことか」
「ええ。最初はやっぱり、違うところよりも気が合うところが見えた方が良いかなって思いますから」

 人類と魔族の融和。
 口で言うのは簡単だが実現するには相当に難題であることを、魔王は様々なアプローチで行おうとしている。酒もそのひとつ、ということらしい。

「ゆくゆくは人魔で交流会とかしたいのですけど、今はたぶん交流会というか、交流血会になりそうですからね……」
「まあ気軽な顔合わせとかは無理だよな……」

 今、魔族と人類が顔を合わせても、ぶつかるのは間違いなくグラスではなく、殺意だろう。

「少しずつでも歩み寄れれば良いのですけど……ちょっと溝が深すぎますからね」
「……まあ、それはしょうが無いだろ。お互い、失ったモノが多すぎるからな」

 家族、恋人、友人。あるいは、自分自身の身体や心や、大切な場所。
 そういったものを、俺たちはお互いに戦争ですり減らした。
 歩み寄れと言われたって、難しいだろう。

「ええ。分かっています。たぶん、永遠に溝を埋められない人も居る。私だって……大事な人やモノを失った方に、それを忘れて仲良くしろなんて、言えません」

 魔王もそのことは、十分に承知している、
 消えることができない傷も、無くならない痛みも、戻らない幸せもあることを分かった上で、彼女はそれでも人類を切り捨てないと言ってくれた。

「それでも、です。それでも、分かり合うことを放棄してしまったら……きっとこれから先も、悲しいだけですから。明日じゃなくても、何年後でも、何十年後でも……少しでも、歩み寄れたらって思っています」
「……諦めないんだな、お前は」
「えへへ、諦めが悪いことには自信がありますよ。なにせ五千年以上前から、魔界全部を統治するためにいろいろな種族の橋渡しをやりましたからね! 確執、恨み、批判は慣れっこです!」

 紫の瞳を弓にする魔王に、悲壮感はない。
 大変だと言うことを理解しながらも、それを自分がやりたいことだからと真っ直ぐに口にする姿は、素直に綺麗だと思えた。

「せっかくなので勇者さんに魔界のお酒を飲んで貰いたいところですが、そういう嗜好品を支給するのはまだちょっと難しそうですね……いや、料理用のお酒に紛れ込ませちゃえばいける……?」
「別に構わないけどな。聞いた感じ強い酒が多いみたいだから、慣れてない俺が飲むとべろべろになるかもしれん」

 泥酔の経験は無いが、何度か見たことはある。
 ぐったりしたり歩けなくなったりゲロ吐いてみたり、次の日も頭痛を訴えたり。さすがにああいう状態になるのは遠慮したい。

「……酔っ払って前後不覚になる勇者さん、ちょっと見てみたい……」
「俺はあんまり見せたくないな、かっこ悪いし」

 酒を飲むことに興味が無いわけではないが、さすがに醜態を見られたいとは思えなかった。

「……まあでも、もう平和な世の中だからな。節度さえ守れれば、そういう楽しみ方をしてみるのも、面白いかもな」
「……それじゃいつか、もっと勇者さんの監視を緩くして良くなったら、お酒持ってきますね」
「もう既に充分ゆるっゆるだけどなあ、俺の扱い……ま、そのときはつまみのひとつでも作ってやるよ」

 外に出られないとはいえ、俺の待遇は充分に良い。
 それでも、そこから先を考えているのは彼女らしいし、ありがたいとも思えて。

「で、今日は飯は?」
「もちろん、食べていきます!」
「……了解」

 元気よく手を上げる魔王を見て、俺は自然と笑顔になるのだった。