「本日の視察は、こちらになります」
「……温泉ですか」
魔王城から、南部にかなり行ったところ。
鉱山地帯の近くにある温泉宿に、私はメイドちゃんと足を運んでいた。
「はい。先日開業したばかりで、既に鉱山で職務をしているものたちに大人気なので、ぜひ魔王様をお招きしてお墨付きを頂きたいと」
「朝から飛竜で連れ出されるからなにかと思いましたが、そういうことだったんですね」
飛竜は魔界に広く生息している、小型の竜種だ。知性は高くこちらの言葉は理解するけれど、飛竜自体は喋れないこともあって魔界での扱いは『動物』になる。
小型と言っても私やメイドちゃんのような人類サイズのものなら、数人を運ぶくらいはお手の物。今日はそれに乗って、ひとっ飛びで鉱山地帯までやってきていた。
「というかメイドちゃん、いつの間に飛竜の騎乗なんて覚えたんですか? ライセンス取るの、かなり厳しいはずなんですが」
「私、一流の従者ですから」
軽い調子で言葉を返し、優雅に頭を下げてくる。
隠れた努力を大っぴらに語らない奥ゆかしさは彼女の美徳だと思うけれど、同時にもう少し褒めてあげたくもなる。
「ふふ、メイドちゃんは良い子ですね」
「っ……ありがとうございます」
誰も居ないので気兼ねなく褒めてあげると、少しだけ頬を緩めてくれるのが可愛い。そのあとすぐに、きゅ、とお仕事モードのすまし顔に戻るところも含めて。
彼女のことは、昔から知っている。たまには出会ったばかりの子供の頃のように甘えて欲しいとも思うけれど、彼女はもう立派な大人だ。
手を伸ばして撫でるようなことはさすがにせず、私はお湯に手を浸ける。
「ん……ちょっと熱めなんですね」
「鉱山で作業したもの向けですから、汗と汚れを充分に流せるように温度は高めとのことです。水風呂もありますよ」
「鉱山の近くに温泉が湧いてくれたのは重畳ですね……魔界の水源は限られていますけど、こういう場も心の豊かさには必要ですから、どんどんやって欲しいところです」
「本日は視察ということで、魔王様には入り心地など調べていただけたらと」
「……メイドちゃん、上手いこといって私を休ませようとしてません?」
「見解の相違ですね」
しれっとした顔で言われるけど、メイドちゃんの心遣いが分からないほど鈍感な主人ではないつもりだ。
「むう……まあ今日は移動中に書類片付けちゃいましたし、少し浸かってお城に戻って午後からかかれば、残りの仕事も片付くでしょうか」
「はい。なにせ、私が予定を管理しているのですから、抜かりはありません」
「外堀をちゃんと埋めてから、こういう息抜きをさせに来るあたり、メイドちゃんは上手ですね……」
「四千五百年以上、魔王様にお仕えしていますから」
その通りなのでなにも言い返せず、私は素直に衣服を脱ぐことにする。
周囲に人がいないことからして、今日は完全に貸し切りなのだろうから、遠慮をすることはない。
脱いだ服はすぐにメイドちゃんが下げてくれるので、私はそれに素直に甘えて、かけ湯から頂くことにした。
「ふにゃ、あったか……」
湯船よりも少しぬるめの、熱を慣らすための温度。
やや粘りのある泉質のお湯が、肩から背中へと流れていく。
「はー……ちょっと粘っこいお湯なんですね」
「主に腰や肩まわりの疲労回復に、美肌効果もあるそうです」
「ああ、そのあたりは座り仕事が多いので凝ってますし、美肌も女の子としてはありがたいですねえ」
五千歳を超えているとはいえ、私も女。肌に良いと聞けば嬉しくもなる。
メイドちゃんしかいないこともあって、ふんふんと鼻歌をこぼしながらお湯に浸かると、熱がじんわりと浸みてきた。
「ん……にゃぁぁ……」
「お湯加減は如何ですか、魔王様」
「はい、とっても良い感じで……ちょっと熱いですが、それがまた、肩とか腰にじわじわきますね……あ、折角ですしメイドちゃんも入りませんか?」
「いえ、私はここで。従者ですし、護衛の意味もありますから」
「むー……貸し切りなんですから、良いじゃないですか。なんなら昔みたいに、頭とか洗ってあげちゃいますよ?」
「……もう私も子供ではありませんから」
「えぇ~……でももう、メイドちゃんってば魔王城でもぜんぜん一緒に入ってくれないじゃないですか。たまには一緒に入りましょうよ。私いつも寂しいんですから」
「それは……ご命令ですか?」
「いいえ、コレは、おねがいです。……ダメ、ですか?」
「っ……し、仕方ありませんね」
本気でおねがいをすると、メイドちゃんは大抵のことは聞いてくれる。
……普段から働かせちゃってますしね。
疲労回復に効果があるというのなら、彼女にこそ浸かって欲しい。
彼女は私の一番の側近で、私が多忙と言うことは彼女は私以上に多忙と言うことなのだから。
メイドちゃんはいつもの従者服を脱いで、かけ湯を済ませてから私の隣へと身を沈める。
瑞々しい褐色の肌がお湯を弾く姿を見ながら、私は笑顔。
「えへへ、久しぶりにメイドちゃんとお風呂~♪」
「……本来なら主人と湯を頂くなど、従者としては良くないのですが」
「その主人が許してるんだから良いじゃないですか」
「対外的な問題です。……今日は魔王様が言うとおりに貸し切りですので、特別ですよ」
「はーい。じゃあメイドちゃん、折角ですし今日は私が頭洗ってもあげましょうか?」
「いえ、それは遠慮します。……さすがに、子供扱いが過ぎると恥ずかしいですから」
「えー……まあ一緒にお風呂入ってくれたので、良いですけど」
本当はもっとフランクに付き合いたいのだけど、メイドちゃんは対外的な部分に気を遣ってそこまでは踏み入ってこない。
それでもこうして完全にふたりきりのときは、『おねがい』も聞いてくれるし、変に私を持ち上げたりはせず、真っ当にお付き合いしてくれる。
私にとって、彼女はとっても有り難い存在だ。
「……それにしてもメイドちゃん、大きくなりましたね」
「そう、でしょうか?」
「はい。出会ったときはあんなに小さかったのに、いつの間にか私より背が高くなって、いろんなお仕事ができるようになって……すっごく立派になりました」
「……私は、ただ、あなたの側に立つのに相応しくなりたいと思っただけです」
「そう言って貰えると嬉しいですね。……四千五百年、頼りないところばかり、見せちゃっている気がしますけど」
「そんなことはありません」
「……ありがとうございます」
すぐに否定の言葉が紡がれて、少しだけびっくりした。
でもそれは、彼女が私のことを強く想ってくれているということで、嬉しくもなる。
「魔王様は立派な方です。出会ったときからずっと……あなたは尊敬するべき、私の王です。だからこそ……あなたの側にいられるよう、努力したのですから」
「……ええ、分かっていますよ。だからメイドちゃんのことを、褒めたくなるんです」
まだ力が小さく、弱かった頃のメイドちゃん。
あの時代の魔界では当然、ただ奪われる側だった彼女を、私は救った。
それが切っ掛けで彼女は私を慕ってくれて、こうしてずっと側仕えをしてくれている。今では私の間違いを正すことすらも、してくれる。
「今まで王様としてやってきて、後悔したり、失敗したなって思うことも多いですけど……メイドちゃんを助けたことは、ずっと正解だったと思ってますよ」
「……ありがとう、ございます」
緩く手を伸ばすと、逃げられなかった。
そのまま髪に指を通すと、あの頃のままの彼女がそこにいる気がする。
何千年と一緒にいて、彼女の方が背が高くなって、お世話をして貰うことも増えて、お互いに子供ではなくなって、対外的なことを気にしないといけなくなっても。
私にとって、メイドちゃんはいつまでも、可愛い年下の女の子なのだ。
「えへへ、なんだかこうして撫でてあげるの久しぶりですね」
「……むずがゆい気持ちです」
「ふふ、メイドちゃん照れてます?」
「……少しお湯が熱いだけです。そういうことに、しておいてください」
「じゃあ、もう少しあてられていてください。上がったらまた、元通りの距離感にしますから」
「……それも、おねがいですか?」
「はい、おねがいです。……たまには我が儘言っても、許してくれますよね?」
「……魔王様には、敵いません」
「えへへ。だって私、魔界で最強ですから♪」
照れくさそうに身を縮める従者のことが可愛くて。
私は少しの間、お湯に浸かりながら彼女のことを撫でていたのだった。
☆★☆
「はふー、良いお湯でした……」
「お風呂上がりのほかほか無防備せくしー魔王様……これも永久保存でいつか勇者様に……念写念写……」
「? メイドちゃん、なにか言いました?」
「いいえ、なにも、まったく、一言も。あ、魔王様、こちら新商品の果汁入りミルクになります。さわやかで人気ですよ」
「わーい、飲みますー♪」
「……主人が魔界一ちょろ可愛い……」
「……温泉ですか」
魔王城から、南部にかなり行ったところ。
鉱山地帯の近くにある温泉宿に、私はメイドちゃんと足を運んでいた。
「はい。先日開業したばかりで、既に鉱山で職務をしているものたちに大人気なので、ぜひ魔王様をお招きしてお墨付きを頂きたいと」
「朝から飛竜で連れ出されるからなにかと思いましたが、そういうことだったんですね」
飛竜は魔界に広く生息している、小型の竜種だ。知性は高くこちらの言葉は理解するけれど、飛竜自体は喋れないこともあって魔界での扱いは『動物』になる。
小型と言っても私やメイドちゃんのような人類サイズのものなら、数人を運ぶくらいはお手の物。今日はそれに乗って、ひとっ飛びで鉱山地帯までやってきていた。
「というかメイドちゃん、いつの間に飛竜の騎乗なんて覚えたんですか? ライセンス取るの、かなり厳しいはずなんですが」
「私、一流の従者ですから」
軽い調子で言葉を返し、優雅に頭を下げてくる。
隠れた努力を大っぴらに語らない奥ゆかしさは彼女の美徳だと思うけれど、同時にもう少し褒めてあげたくもなる。
「ふふ、メイドちゃんは良い子ですね」
「っ……ありがとうございます」
誰も居ないので気兼ねなく褒めてあげると、少しだけ頬を緩めてくれるのが可愛い。そのあとすぐに、きゅ、とお仕事モードのすまし顔に戻るところも含めて。
彼女のことは、昔から知っている。たまには出会ったばかりの子供の頃のように甘えて欲しいとも思うけれど、彼女はもう立派な大人だ。
手を伸ばして撫でるようなことはさすがにせず、私はお湯に手を浸ける。
「ん……ちょっと熱めなんですね」
「鉱山で作業したもの向けですから、汗と汚れを充分に流せるように温度は高めとのことです。水風呂もありますよ」
「鉱山の近くに温泉が湧いてくれたのは重畳ですね……魔界の水源は限られていますけど、こういう場も心の豊かさには必要ですから、どんどんやって欲しいところです」
「本日は視察ということで、魔王様には入り心地など調べていただけたらと」
「……メイドちゃん、上手いこといって私を休ませようとしてません?」
「見解の相違ですね」
しれっとした顔で言われるけど、メイドちゃんの心遣いが分からないほど鈍感な主人ではないつもりだ。
「むう……まあ今日は移動中に書類片付けちゃいましたし、少し浸かってお城に戻って午後からかかれば、残りの仕事も片付くでしょうか」
「はい。なにせ、私が予定を管理しているのですから、抜かりはありません」
「外堀をちゃんと埋めてから、こういう息抜きをさせに来るあたり、メイドちゃんは上手ですね……」
「四千五百年以上、魔王様にお仕えしていますから」
その通りなのでなにも言い返せず、私は素直に衣服を脱ぐことにする。
周囲に人がいないことからして、今日は完全に貸し切りなのだろうから、遠慮をすることはない。
脱いだ服はすぐにメイドちゃんが下げてくれるので、私はそれに素直に甘えて、かけ湯から頂くことにした。
「ふにゃ、あったか……」
湯船よりも少しぬるめの、熱を慣らすための温度。
やや粘りのある泉質のお湯が、肩から背中へと流れていく。
「はー……ちょっと粘っこいお湯なんですね」
「主に腰や肩まわりの疲労回復に、美肌効果もあるそうです」
「ああ、そのあたりは座り仕事が多いので凝ってますし、美肌も女の子としてはありがたいですねえ」
五千歳を超えているとはいえ、私も女。肌に良いと聞けば嬉しくもなる。
メイドちゃんしかいないこともあって、ふんふんと鼻歌をこぼしながらお湯に浸かると、熱がじんわりと浸みてきた。
「ん……にゃぁぁ……」
「お湯加減は如何ですか、魔王様」
「はい、とっても良い感じで……ちょっと熱いですが、それがまた、肩とか腰にじわじわきますね……あ、折角ですしメイドちゃんも入りませんか?」
「いえ、私はここで。従者ですし、護衛の意味もありますから」
「むー……貸し切りなんですから、良いじゃないですか。なんなら昔みたいに、頭とか洗ってあげちゃいますよ?」
「……もう私も子供ではありませんから」
「えぇ~……でももう、メイドちゃんってば魔王城でもぜんぜん一緒に入ってくれないじゃないですか。たまには一緒に入りましょうよ。私いつも寂しいんですから」
「それは……ご命令ですか?」
「いいえ、コレは、おねがいです。……ダメ、ですか?」
「っ……し、仕方ありませんね」
本気でおねがいをすると、メイドちゃんは大抵のことは聞いてくれる。
……普段から働かせちゃってますしね。
疲労回復に効果があるというのなら、彼女にこそ浸かって欲しい。
彼女は私の一番の側近で、私が多忙と言うことは彼女は私以上に多忙と言うことなのだから。
メイドちゃんはいつもの従者服を脱いで、かけ湯を済ませてから私の隣へと身を沈める。
瑞々しい褐色の肌がお湯を弾く姿を見ながら、私は笑顔。
「えへへ、久しぶりにメイドちゃんとお風呂~♪」
「……本来なら主人と湯を頂くなど、従者としては良くないのですが」
「その主人が許してるんだから良いじゃないですか」
「対外的な問題です。……今日は魔王様が言うとおりに貸し切りですので、特別ですよ」
「はーい。じゃあメイドちゃん、折角ですし今日は私が頭洗ってもあげましょうか?」
「いえ、それは遠慮します。……さすがに、子供扱いが過ぎると恥ずかしいですから」
「えー……まあ一緒にお風呂入ってくれたので、良いですけど」
本当はもっとフランクに付き合いたいのだけど、メイドちゃんは対外的な部分に気を遣ってそこまでは踏み入ってこない。
それでもこうして完全にふたりきりのときは、『おねがい』も聞いてくれるし、変に私を持ち上げたりはせず、真っ当にお付き合いしてくれる。
私にとって、彼女はとっても有り難い存在だ。
「……それにしてもメイドちゃん、大きくなりましたね」
「そう、でしょうか?」
「はい。出会ったときはあんなに小さかったのに、いつの間にか私より背が高くなって、いろんなお仕事ができるようになって……すっごく立派になりました」
「……私は、ただ、あなたの側に立つのに相応しくなりたいと思っただけです」
「そう言って貰えると嬉しいですね。……四千五百年、頼りないところばかり、見せちゃっている気がしますけど」
「そんなことはありません」
「……ありがとうございます」
すぐに否定の言葉が紡がれて、少しだけびっくりした。
でもそれは、彼女が私のことを強く想ってくれているということで、嬉しくもなる。
「魔王様は立派な方です。出会ったときからずっと……あなたは尊敬するべき、私の王です。だからこそ……あなたの側にいられるよう、努力したのですから」
「……ええ、分かっていますよ。だからメイドちゃんのことを、褒めたくなるんです」
まだ力が小さく、弱かった頃のメイドちゃん。
あの時代の魔界では当然、ただ奪われる側だった彼女を、私は救った。
それが切っ掛けで彼女は私を慕ってくれて、こうしてずっと側仕えをしてくれている。今では私の間違いを正すことすらも、してくれる。
「今まで王様としてやってきて、後悔したり、失敗したなって思うことも多いですけど……メイドちゃんを助けたことは、ずっと正解だったと思ってますよ」
「……ありがとう、ございます」
緩く手を伸ばすと、逃げられなかった。
そのまま髪に指を通すと、あの頃のままの彼女がそこにいる気がする。
何千年と一緒にいて、彼女の方が背が高くなって、お世話をして貰うことも増えて、お互いに子供ではなくなって、対外的なことを気にしないといけなくなっても。
私にとって、メイドちゃんはいつまでも、可愛い年下の女の子なのだ。
「えへへ、なんだかこうして撫でてあげるの久しぶりですね」
「……むずがゆい気持ちです」
「ふふ、メイドちゃん照れてます?」
「……少しお湯が熱いだけです。そういうことに、しておいてください」
「じゃあ、もう少しあてられていてください。上がったらまた、元通りの距離感にしますから」
「……それも、おねがいですか?」
「はい、おねがいです。……たまには我が儘言っても、許してくれますよね?」
「……魔王様には、敵いません」
「えへへ。だって私、魔界で最強ですから♪」
照れくさそうに身を縮める従者のことが可愛くて。
私は少しの間、お湯に浸かりながら彼女のことを撫でていたのだった。
☆★☆
「はふー、良いお湯でした……」
「お風呂上がりのほかほか無防備せくしー魔王様……これも永久保存でいつか勇者様に……念写念写……」
「? メイドちゃん、なにか言いました?」
「いいえ、なにも、まったく、一言も。あ、魔王様、こちら新商品の果汁入りミルクになります。さわやかで人気ですよ」
「わーい、飲みますー♪」
「……主人が魔界一ちょろ可愛い……」