「勇者さん、勇者さん」
「ん、飯か?」
くいくいと袖を引っ張られて、俺は洗濯物を畳む手を止めて相手の方を見た。
なぜかやたらと俺の部屋に入り浸る魔界の女王は、俺の言葉にこくこくと頷いて、
「はい、そろそろお腹が空きました」
「わかったわかった。もう少し待ってろ」
この間まで敵対していた種族の大ボスが食事をねだって来るという状況に何度目か分からないおかしさを感じながら、俺は洗濯物を片付け終える。
そのままの流れでキッチンへと向かうと、魔王は上機嫌に耳を揺らした。
「えへへ、お願いしますね」
「…………」
「? どうしたんですか、私の顔になにかついてます?」
「いや、本当に魔王なのかと思ってな……」
「もー。また疑ってるんですか? 何度も言ってるじゃないですか、私が魔界を総べる女王、魔族最強の女ですよ……あいあむなんばーわん、ですっ」
「だってお前、ぜんっぜん魔王っぽくないしなぁ」
そもそも、魔界の王という存在を俺は男だと思っていた。
強大な魔族たちを総べる最強の存在と言われて、女だと思うものは少ないだろう。
それもいざ出会ってみれば驚くほど可憐で、話してみるとどこか抜けているけれど為政者としてはむしろその辺の人間よりずっとまともなのだ。
驚くほど魔王っぽくない魔王は、俺の言葉に少しだけ考えるような素振りをして、
「でも、人間っぽくもないでしょう? 見てください、この尖った耳! なんと自由に動きます!」
まあ、人間の耳はそこまで長くないし、そんなにピコピコも動かないだろうが。
「キラリと光る八重歯! どんなに硬いお肉だってかみ切れます!」
確かに、人間の犬歯にしては鋭い。あと、歯並び良いなコイツ。
「さらさらの銀髪! 毎日お手入れしていますよ!」
いや、それは人間にもいる。お前くらい綺麗なのは見たこと無いが。
「そしてなにより、魔の紋章を宿した瞳! 魔王アイは魔法力!!」
その文言はよく分からないが、確かに人間の目にはそんな風に紋は浮かび上がらない。何度見ても、不思議な目だ。
「……ね? 人間には見えないでしょう?」
「そりゃ、ただの人間には見えないけどな……でも四肢があって、指が五本で……体つきはフツーに女だし……」
「お、女の子の身体を気安く評価しないでくださいよう」
「あ、ああ、すまん」
セクハラをするつもりは無かったのだが、確かにそう聞こえなくもない言葉だった。
自らの身体を抱いて(それはそれで胸が強調されるが)恥ずかしそうにしている魔王に、俺は素直に頭を下げる。
「いや、でも……魔王のイメージとは、なんか違うなぁって……ほら、もっとこう、ゴリゴリしてたり、ヤバそうなオーラ放ってたりとかさ……」
「人間が勝手に作った『脚色』で話されましても……」
「あー……そりゃそうか。俺もあるからな。『なんか思ってた勇者と違う』みたいに言われたこと」
「お互いに偶像っぽくされてるとこ、ありますよね」
「あるよな……あ、今日は肉多めのスープにするぞ。すぐできるし、良いな?」
「はい、楽しみにしてますよ。……あ、ちなみにこの瞳はですね。私の身体に流れている魔力があまりにも膨大なので、その影響で瞳の中に常に魔法の紋章が現われているのです。魔法を使う際に陣の代わりになりますから、大抵の魔法を無詠唱で唱えられます」
「魔王すげぇな!?」
見た目は美女でも、間違いなくその実力は魔王らしい。
戦えなくて残念なような、戦わなくて良かったような。複雑な気持ちで、俺は食材を切り分けて鍋に入れ、魔法で暖炉に火を点けた。
魔法も封じられていないあたりもう完全に捕虜ではないが、今更なので気にしない。
「しかし、お前なんで俺に飯作らせるんだ? お前、魔王なんだろ? 炊事してくれるやついないのか?」
「魔界でも指折りのシェフを何人か、お抱えにしてますよ?」
「じゃ、俺の飯なんて食わなくてもいいだろ」
魔界の食材をよく分からないまま雑に調理してる俺より、遙かに美味い食事が出てくるはずだ。
俺の言葉に、魔王は何度か神妙な顔で頷いて、
「それはそうなんですが……気持ち悪いんですよね」
「なにが?」
「いえ、料理人の魔族たちが……」
「飯じゃなくて相手の好き嫌いかよ」
「だってあの人たち、私の好きな食材を、私の好きな味付けで調理するんですよ!? 火入れも味の濃さも何もかもが完璧で、私が苦手なものは一切出さない! それで、『魔王様、お味はいかがでしょう』って、美味しい以外どう言えって言うんですか!?」
「……確かに、それは気持ち悪いかもな。なんか一方的に、自分のことを全部把握されてる感じがする」
よく知らない相手に自分の好みを把握されている、というのは確かに、想像するとちょっと恐ろしいような気もする。
同意されたことが嬉しいのか、魔王は紫色の瞳をらんらんと輝かせ、何度も頷きながらこちらに身を乗り出してきた。近い、近い。キッチンに入るな、火元と胸元が近い。
「でしょう? しかも私に取り入る気満々というのがまた……疲れるんですよね。ご飯食べるだけで、なんで疲れなきゃいけないんですか。しかも毎食毎食一人でモソモソ寂しく食べてますし。ゴマするくらいなら話し相手になってくれた方が好感度あがるのに!」
「あー、その、なんだ……魔王も大変だな」
適当に相づちを打ちながら、俺は魔王の胸元からそっと目線を外した。
「立場ってものがありますからね……だから、勇者さんのご飯が好きなんですよ。味はまちまちで、素朴で、たまに私の嫌いなものが出てきて、でも、一緒に食べてくれて……なんて言うか、『温度』を感じるんですよね」
「……そうか」
あたたかい食事だと、一緒に食べるのが嬉しいと言われれば、悪い気はしない。例え相手が魔王で、かつての敵だとしても。
照れくささを誤魔化すようにして、俺は鍋をかき混ぜた。
「……まあ、その、そろそろ出来るぞ、座ってろ」
「はーい。……あ、これ私の嫌いなやつ入ってる」
「そうか、俺は知らねぇから食うぞ」
ただでさえよく分からないものを調理しているのだ。よく分からない女の好き嫌いなんて、分かるはずも無い。
「どーぞ。私も避けて食べますから」
嫌いなものが入っていても文句を言うことなく、むしろどういうわけか上機嫌で魔王は笑った。
そうして、本日もぼんやりと、なんとなく、一日が過ぎていった。
「ん、飯か?」
くいくいと袖を引っ張られて、俺は洗濯物を畳む手を止めて相手の方を見た。
なぜかやたらと俺の部屋に入り浸る魔界の女王は、俺の言葉にこくこくと頷いて、
「はい、そろそろお腹が空きました」
「わかったわかった。もう少し待ってろ」
この間まで敵対していた種族の大ボスが食事をねだって来るという状況に何度目か分からないおかしさを感じながら、俺は洗濯物を片付け終える。
そのままの流れでキッチンへと向かうと、魔王は上機嫌に耳を揺らした。
「えへへ、お願いしますね」
「…………」
「? どうしたんですか、私の顔になにかついてます?」
「いや、本当に魔王なのかと思ってな……」
「もー。また疑ってるんですか? 何度も言ってるじゃないですか、私が魔界を総べる女王、魔族最強の女ですよ……あいあむなんばーわん、ですっ」
「だってお前、ぜんっぜん魔王っぽくないしなぁ」
そもそも、魔界の王という存在を俺は男だと思っていた。
強大な魔族たちを総べる最強の存在と言われて、女だと思うものは少ないだろう。
それもいざ出会ってみれば驚くほど可憐で、話してみるとどこか抜けているけれど為政者としてはむしろその辺の人間よりずっとまともなのだ。
驚くほど魔王っぽくない魔王は、俺の言葉に少しだけ考えるような素振りをして、
「でも、人間っぽくもないでしょう? 見てください、この尖った耳! なんと自由に動きます!」
まあ、人間の耳はそこまで長くないし、そんなにピコピコも動かないだろうが。
「キラリと光る八重歯! どんなに硬いお肉だってかみ切れます!」
確かに、人間の犬歯にしては鋭い。あと、歯並び良いなコイツ。
「さらさらの銀髪! 毎日お手入れしていますよ!」
いや、それは人間にもいる。お前くらい綺麗なのは見たこと無いが。
「そしてなにより、魔の紋章を宿した瞳! 魔王アイは魔法力!!」
その文言はよく分からないが、確かに人間の目にはそんな風に紋は浮かび上がらない。何度見ても、不思議な目だ。
「……ね? 人間には見えないでしょう?」
「そりゃ、ただの人間には見えないけどな……でも四肢があって、指が五本で……体つきはフツーに女だし……」
「お、女の子の身体を気安く評価しないでくださいよう」
「あ、ああ、すまん」
セクハラをするつもりは無かったのだが、確かにそう聞こえなくもない言葉だった。
自らの身体を抱いて(それはそれで胸が強調されるが)恥ずかしそうにしている魔王に、俺は素直に頭を下げる。
「いや、でも……魔王のイメージとは、なんか違うなぁって……ほら、もっとこう、ゴリゴリしてたり、ヤバそうなオーラ放ってたりとかさ……」
「人間が勝手に作った『脚色』で話されましても……」
「あー……そりゃそうか。俺もあるからな。『なんか思ってた勇者と違う』みたいに言われたこと」
「お互いに偶像っぽくされてるとこ、ありますよね」
「あるよな……あ、今日は肉多めのスープにするぞ。すぐできるし、良いな?」
「はい、楽しみにしてますよ。……あ、ちなみにこの瞳はですね。私の身体に流れている魔力があまりにも膨大なので、その影響で瞳の中に常に魔法の紋章が現われているのです。魔法を使う際に陣の代わりになりますから、大抵の魔法を無詠唱で唱えられます」
「魔王すげぇな!?」
見た目は美女でも、間違いなくその実力は魔王らしい。
戦えなくて残念なような、戦わなくて良かったような。複雑な気持ちで、俺は食材を切り分けて鍋に入れ、魔法で暖炉に火を点けた。
魔法も封じられていないあたりもう完全に捕虜ではないが、今更なので気にしない。
「しかし、お前なんで俺に飯作らせるんだ? お前、魔王なんだろ? 炊事してくれるやついないのか?」
「魔界でも指折りのシェフを何人か、お抱えにしてますよ?」
「じゃ、俺の飯なんて食わなくてもいいだろ」
魔界の食材をよく分からないまま雑に調理してる俺より、遙かに美味い食事が出てくるはずだ。
俺の言葉に、魔王は何度か神妙な顔で頷いて、
「それはそうなんですが……気持ち悪いんですよね」
「なにが?」
「いえ、料理人の魔族たちが……」
「飯じゃなくて相手の好き嫌いかよ」
「だってあの人たち、私の好きな食材を、私の好きな味付けで調理するんですよ!? 火入れも味の濃さも何もかもが完璧で、私が苦手なものは一切出さない! それで、『魔王様、お味はいかがでしょう』って、美味しい以外どう言えって言うんですか!?」
「……確かに、それは気持ち悪いかもな。なんか一方的に、自分のことを全部把握されてる感じがする」
よく知らない相手に自分の好みを把握されている、というのは確かに、想像するとちょっと恐ろしいような気もする。
同意されたことが嬉しいのか、魔王は紫色の瞳をらんらんと輝かせ、何度も頷きながらこちらに身を乗り出してきた。近い、近い。キッチンに入るな、火元と胸元が近い。
「でしょう? しかも私に取り入る気満々というのがまた……疲れるんですよね。ご飯食べるだけで、なんで疲れなきゃいけないんですか。しかも毎食毎食一人でモソモソ寂しく食べてますし。ゴマするくらいなら話し相手になってくれた方が好感度あがるのに!」
「あー、その、なんだ……魔王も大変だな」
適当に相づちを打ちながら、俺は魔王の胸元からそっと目線を外した。
「立場ってものがありますからね……だから、勇者さんのご飯が好きなんですよ。味はまちまちで、素朴で、たまに私の嫌いなものが出てきて、でも、一緒に食べてくれて……なんて言うか、『温度』を感じるんですよね」
「……そうか」
あたたかい食事だと、一緒に食べるのが嬉しいと言われれば、悪い気はしない。例え相手が魔王で、かつての敵だとしても。
照れくささを誤魔化すようにして、俺は鍋をかき混ぜた。
「……まあ、その、そろそろ出来るぞ、座ってろ」
「はーい。……あ、これ私の嫌いなやつ入ってる」
「そうか、俺は知らねぇから食うぞ」
ただでさえよく分からないものを調理しているのだ。よく分からない女の好き嫌いなんて、分かるはずも無い。
「どーぞ。私も避けて食べますから」
嫌いなものが入っていても文句を言うことなく、むしろどういうわけか上機嫌で魔王は笑った。
そうして、本日もぼんやりと、なんとなく、一日が過ぎていった。