「ん……ふっ!!」
都合、千回目。
木剣が空を切る音が心地よく響き、今日の鍛錬が終わる。
「やっぱりこの長さと重量感があると違うな。包丁よりずっと良い」
木剣は、鋼や鉄で出来た剣より遥かに軽い。
しかし俺が現役時代に使っていた剣は幾重にも魔法が施された特別な聖剣で、木剣と同等軽さを持ちながら鋼よりも遥かに切れ味が鋭いものだったので、この重さは手に馴染むのだ。
その愛用の聖剣も、今は捕虜の身なので魔王に預けてしまっているのだが。
「よし、今日の鍛錬終わりっと。風呂でも入るか」
それほど汗はかいていないが、やはり気にはなる。
少なくともベッドで横になったり、料理をする気にはなれない程度には。
ベッドに木剣を立てかけて、俺は浴室へと向かうことにした。
「……しかし魔界の技術ほんとすげえな」
どぼどぼと音を立てて風呂釜に溜まっていくお湯を見て、俺は改めて頷く。
魔法もいらず、労力もなく、ただ指でツマミを捻るだけでお湯が出る技術。魔王はこれを、いずれ人界にも導入すると語っていた。
「人界の人間だけでこれをやるとしたら、どれくらいかかるかね……まず地下の熱が溜まってるとこを探して、丈夫で水が通るような管を大量に造って、掘って埋めて……掘って埋めるは俺が魔法でできるだろうけど、それ以外は無理だな」
つい考え事をしてしまうのは、ひとりでいた時間が長いが故の悪いくせだ。
そして分かっていても考え事をやめるのは、結構難しい。唸っている間に、風呂釜は湯で満たされた。
溢れる前に湯を止めて、俺は心地よい温度の湯に肩までをつける。汗を流すだけなので、石鹸までは必要ないだろう。
「……そう考えると俺なんかより、こういう生活に役立つ設備を考えた魔王や、造った配下の魔族たちの方がすげえな」
ひとりでできることなんて、たかが知れている。この独房に来てから、俺は強く思うようになった。
実際、俺は人類で最強戦力だが、俺は『ひとりしかいなかった』。
最前線で戦っているうちに、王都を落されて敗北という情けない終わりになったのは結局の所、最前線の戦闘に耐えられるのが俺だけだったが故だ。
「……ひとりじゃ、できることに限界があるんだよな」
今だって、俺は魔王の厚意に甘えて、こんなに良い暮らしをさせて貰えている。
本来ならば魔族からも人間からも批難され、斬首されてもおかしくないような立場でありながら、生きながらえている。
たかが木剣ひとつすら、魔王に与えて貰わなければならないような立場が、今の俺だ。
「……剣や、力だけじゃ、できないこともある」
戦っていた頃は、それで良かった。
目の前に現われた奴と戦って、勝つ。ただそれだけで、役割を果たせていた。
もしも自分より強い奴が現われて負けるか、魔王を倒すまで、ただ戦い続けていれば、俺の役目は充分だった。
「できないことをできるものが補って、できることは活かす、か……」
先日、魔王が言ってくれたことを思い出す。
できることでできないことを補い、できることは頑張って貰うのが人の活かし方だと、彼女は語ってくれた。
「……今の俺に、なにができる?」
浮かんできた疑問に応える相手はおらず、つまり自分で答えを出さなければいけない問題だ。
身体がじんわりとあたたまり、しかし思考は冷えていく。考えは応えをえず、あたたかさを熱いと感じた頃合いで、俺は湯船をあがった。
「難しいな。戦うより、ずっと」
もはや戦う必要がなくなったと言いながらも鍛錬をやめられないのは、不安も理由のひとつだ。
なにもできず、なにも成せず、この上今まで積んできた鍛錬の成果、戦いのカンまで失ってしまったら。
もしかしたらもう、自分にはなにも残っていないんじゃないかという、焦り。
「……情けねえなぁ」
浴室の鏡に映る自分の顔があまりにも情けなくて、俺は自嘲した。
冷たい水を頭からかぶり、冷えた思考がこれ以上ひどくならないように切り替える。
「いつアイツが来るか分からないんだ。辛気くせぇ顔して出迎えるなよ、俺」
きっとこんな顔を見られたら、アイツはひどく慌てるだろう。
なにがあったのか問うて、可能な限り解決しようとしてくれるのだろう。
戦うしか出来ず、その戦いが必要の無い世の中ではなにもできない俺を、守ろうとしてくれるのだろう。
「……悔しいな」
なにもできないことも。
彼女に頼るしかないことも。
なにより、そんな彼女に俺が返してやれることがなにもないことも。
なにもかもが、悔しいと思う。
身体を拭いて、新しい服に着替えて、少しだけ呼吸を整える。
答えは相変わらず見えず、それでも、俺はこうして生きている。
「……魔王が来たときに、なにを作ってやるかでも考えておくかな」
きっとその方が、ずっと健全だろう。
食材のストックを確認するために、俺は脱衣所を出る。
「今できることを、やるしかないんだよな」
どれだけ歯がゆく思っても、できないことはどうしようもない。
それよりは、自分に今やれることを精一杯やった方が良い。
「ま、それが料理ってのはかなり勇者っぽくないが……ああ、でも……」
ふと思い浮かんだのは、俺の作った飯を食べて、満面の笑みを浮かべる、魔王らしくない魔王。
「……悪くないな。らしくないのは、お互い様だし」
あんな笑顔を、剣を振るうことなく見られるというのなら。
勇者らしくない今の自分を、少しは悪くないと思える。
「……料理の研究でもするかなあ」
頭をかいて、俺は食材の山の前で唸る。
俺は既に役目を終えて、時間の余っている身だ。
アイツが喜んでくれるなら、こんなことで頭を悩ませるのも良いかもしれない。
少なくともそれは、誰かの命を奪うことを考えるよりも、ずっと健全な悩みだと思えた。
「……♪」
いつの間にか、無駄な悩みは消えて。
俺は自然と、上機嫌になっているのだった。
都合、千回目。
木剣が空を切る音が心地よく響き、今日の鍛錬が終わる。
「やっぱりこの長さと重量感があると違うな。包丁よりずっと良い」
木剣は、鋼や鉄で出来た剣より遥かに軽い。
しかし俺が現役時代に使っていた剣は幾重にも魔法が施された特別な聖剣で、木剣と同等軽さを持ちながら鋼よりも遥かに切れ味が鋭いものだったので、この重さは手に馴染むのだ。
その愛用の聖剣も、今は捕虜の身なので魔王に預けてしまっているのだが。
「よし、今日の鍛錬終わりっと。風呂でも入るか」
それほど汗はかいていないが、やはり気にはなる。
少なくともベッドで横になったり、料理をする気にはなれない程度には。
ベッドに木剣を立てかけて、俺は浴室へと向かうことにした。
「……しかし魔界の技術ほんとすげえな」
どぼどぼと音を立てて風呂釜に溜まっていくお湯を見て、俺は改めて頷く。
魔法もいらず、労力もなく、ただ指でツマミを捻るだけでお湯が出る技術。魔王はこれを、いずれ人界にも導入すると語っていた。
「人界の人間だけでこれをやるとしたら、どれくらいかかるかね……まず地下の熱が溜まってるとこを探して、丈夫で水が通るような管を大量に造って、掘って埋めて……掘って埋めるは俺が魔法でできるだろうけど、それ以外は無理だな」
つい考え事をしてしまうのは、ひとりでいた時間が長いが故の悪いくせだ。
そして分かっていても考え事をやめるのは、結構難しい。唸っている間に、風呂釜は湯で満たされた。
溢れる前に湯を止めて、俺は心地よい温度の湯に肩までをつける。汗を流すだけなので、石鹸までは必要ないだろう。
「……そう考えると俺なんかより、こういう生活に役立つ設備を考えた魔王や、造った配下の魔族たちの方がすげえな」
ひとりでできることなんて、たかが知れている。この独房に来てから、俺は強く思うようになった。
実際、俺は人類で最強戦力だが、俺は『ひとりしかいなかった』。
最前線で戦っているうちに、王都を落されて敗北という情けない終わりになったのは結局の所、最前線の戦闘に耐えられるのが俺だけだったが故だ。
「……ひとりじゃ、できることに限界があるんだよな」
今だって、俺は魔王の厚意に甘えて、こんなに良い暮らしをさせて貰えている。
本来ならば魔族からも人間からも批難され、斬首されてもおかしくないような立場でありながら、生きながらえている。
たかが木剣ひとつすら、魔王に与えて貰わなければならないような立場が、今の俺だ。
「……剣や、力だけじゃ、できないこともある」
戦っていた頃は、それで良かった。
目の前に現われた奴と戦って、勝つ。ただそれだけで、役割を果たせていた。
もしも自分より強い奴が現われて負けるか、魔王を倒すまで、ただ戦い続けていれば、俺の役目は充分だった。
「できないことをできるものが補って、できることは活かす、か……」
先日、魔王が言ってくれたことを思い出す。
できることでできないことを補い、できることは頑張って貰うのが人の活かし方だと、彼女は語ってくれた。
「……今の俺に、なにができる?」
浮かんできた疑問に応える相手はおらず、つまり自分で答えを出さなければいけない問題だ。
身体がじんわりとあたたまり、しかし思考は冷えていく。考えは応えをえず、あたたかさを熱いと感じた頃合いで、俺は湯船をあがった。
「難しいな。戦うより、ずっと」
もはや戦う必要がなくなったと言いながらも鍛錬をやめられないのは、不安も理由のひとつだ。
なにもできず、なにも成せず、この上今まで積んできた鍛錬の成果、戦いのカンまで失ってしまったら。
もしかしたらもう、自分にはなにも残っていないんじゃないかという、焦り。
「……情けねえなぁ」
浴室の鏡に映る自分の顔があまりにも情けなくて、俺は自嘲した。
冷たい水を頭からかぶり、冷えた思考がこれ以上ひどくならないように切り替える。
「いつアイツが来るか分からないんだ。辛気くせぇ顔して出迎えるなよ、俺」
きっとこんな顔を見られたら、アイツはひどく慌てるだろう。
なにがあったのか問うて、可能な限り解決しようとしてくれるのだろう。
戦うしか出来ず、その戦いが必要の無い世の中ではなにもできない俺を、守ろうとしてくれるのだろう。
「……悔しいな」
なにもできないことも。
彼女に頼るしかないことも。
なにより、そんな彼女に俺が返してやれることがなにもないことも。
なにもかもが、悔しいと思う。
身体を拭いて、新しい服に着替えて、少しだけ呼吸を整える。
答えは相変わらず見えず、それでも、俺はこうして生きている。
「……魔王が来たときに、なにを作ってやるかでも考えておくかな」
きっとその方が、ずっと健全だろう。
食材のストックを確認するために、俺は脱衣所を出る。
「今できることを、やるしかないんだよな」
どれだけ歯がゆく思っても、できないことはどうしようもない。
それよりは、自分に今やれることを精一杯やった方が良い。
「ま、それが料理ってのはかなり勇者っぽくないが……ああ、でも……」
ふと思い浮かんだのは、俺の作った飯を食べて、満面の笑みを浮かべる、魔王らしくない魔王。
「……悪くないな。らしくないのは、お互い様だし」
あんな笑顔を、剣を振るうことなく見られるというのなら。
勇者らしくない今の自分を、少しは悪くないと思える。
「……料理の研究でもするかなあ」
頭をかいて、俺は食材の山の前で唸る。
俺は既に役目を終えて、時間の余っている身だ。
アイツが喜んでくれるなら、こんなことで頭を悩ませるのも良いかもしれない。
少なくともそれは、誰かの命を奪うことを考えるよりも、ずっと健全な悩みだと思えた。
「……♪」
いつの間にか、無駄な悩みは消えて。
俺は自然と、上機嫌になっているのだった。