「お邪魔しまーす」
「お、魔王か」

 いつも通りに部屋に入ると、勇者さんがなにやら作業をしていた。

「なにしてるんですか、ゆーしゃさん」
「ん、ああ……袖がほつれてな。少し縫い物をしてるところだ」

 こちらに言葉を返しながらも彼の手は止まることなく、服の袖に針と糸を通していく。

「……勇者さん、縫い物できるんですね」
「材料があれば編み物も出来るぞ。寒冷地用のマフラーとか、自分で編んでた」
「え、すっごい器用……」
「ま、昔取った杵柄ってやつだな。……昔取った杵柄って言い回し、分かるか?」
「あ、知ってますよ。人類語のコトワザってやつで、『自分が過去に習得した技術が衰えずに使えること』ですよね」
「お前ことわざも知ってるのか……」
「ようは何らかの事柄を、良い感じの言葉に置き換えるって事でしょう? 魔界語にもありますし。『ドラゴンと仲良くなっても逆鱗には触るな』、とか」
「親しき仲にも礼儀あり、みたいな意味なんだろうな、それ……おし、出来た」

 雑談をしているうちに、勇者さんは縫い物を仕上げてしまう。
 出来上がった服は、袖がすっかりと修繕されて、プロが仕事したような仕上がりだった。

「ほんとに上手ですね……」
「勇者してる内に自然と上手くなってな」
「……装備品、困窮してたんですか?」
「逆だよ。俺が店に入るとどこの店主も一番良いのを持ってきて、しかも金を受け取ってくれなかったんだ。で、あんまりタダで物もらいたくなかったし、貰ったものは大事にしたくてなぁ」
「……ふふ、なんだか勇者さんらしいですね」
「おう。これだって魔王が用意してくれたものだからな。これくらいなら直せるから、そうしたかったんだよ」

 言ってくれれば、新しいのを用意しますのに。そんな言葉を言いかけてしまった自分が、私は少しだけ恥ずかしくなった。
 勇者さんは嫌味無く笑って、針と糸を片付けた。そのあとすぐに席を立ち、今度はお茶を淹れてきてくれる。

「ほい、お疲れさん。まだ晩飯には早いから、お茶で良いだろ」
「あ、はい……ん、この匂いは、ええと、あれですね。りょくちゃ、っていうやつ」
「模倣って言うか、ブレンドしてそれっぽくしただけだけどな。この間、羊羹食べたときに気に入ってたみたいだから、また淹れてみた」

 うーん、勇者さんってば本当に器用。
 お茶を淹れることに自信のある私だけど、さすがに茶葉をブレンドして新しく作ったりするのはまた別の技術だと思う。

「前々から思ってましたけど、勇者さんってかなり器用ですよね」
「ん~、そうか? ふつうだろ、これくらい」
「勇者さん、自分を過小評価するくせがありますよね……ふつうじゃなくて立派に長所ですよ。誇って良いと思います」
「……そ、そうか」

 あ、今ちょっと照れてる。
 少しだけ彼の表情が読めるようになってきた自分が嬉しくて、私は自然と笑みをこぼしてしまう。
 にまにましてしまっているのがバレないようにお茶のカップで口元を隠していると、勇者さんは頭を掻いて、

「なんかそうやって褒められるとちょっとむず痒いが……まあ、悪い気はしないな」
「……世が世なら、勇者さんは剣を握ったりせずに、違うお仕事をしていたかもしれませんね」
「それは考えても仕方ないことだからな。それに俺の裁縫やら料理やらは、勇者をしていて身についたもんだ。もし勇者じゃなかったら、それだって出来るとはいえなかったかもしれないだろ」
「……そうですね」

 議論することに意味は無い、彼はそう言いたいのだろう。
 私にとってもコレはただの雑談なので、否定はしない。
 ただ、少しだけ。ほんの少しだけ、考えてしまうのだ。
 もしも彼が、勇者なんて重責を得ずに生きていたら。
 私はもっと気兼ねなく、彼と過ごせたのだろうか。

 ……意味の無いことですよね、本当に。

 きっとその場合、私と彼の生は交わることすらなかったのだろう。
 それでも、このお茶を飲み終わるくらいまでは。
 私と彼が、責務など無くとも出会って、楽しく過ごしている世界もあったかも知れないと想っていたかった。

「……ふう。お茶、ご馳走様でした」
「おう。晩飯まで、腹は持ちそうか?」
「む、そこまで腹ペコではありませんよ。大丈夫ですって」
「それなら良いんだけどな」

 むぅ、とむくれると勇者さんは笑ってカップを下げてくれた。
 手伝った方が良いのかと思うけれど、恐らく私が手伝うと彼の手間を増やしてしまうので、素直に甘えておく。
 使ったカップをすぐに洗ってしまうあたり、彼の細やかな性格が出ていると思う。作業をしている勇者さんの顔を、私はつい、じっと見てしまう。

「ん、どうした? 俺の顔になんかついてるか?」
「あ、いえ。なんでもありませんよ」

 慌てて両手を振ると、勇者さんは特に気にしなかったようで、洗い物を終えて戻ってくる。

 ……なんか最近、ついつい見てしまうんですよね。

 自分でも見過ぎではないかと思うけれど、なぜだか目を離せない。
 彼がなにかをするたびに気になってしまうし、じっくりと見てしまう。
 謁見のときに相手がなにを考えるのか探るために見るのとは違って、ただ、この人のことを純粋に見ていたいと思ってしまう。

「じゃ、今日もなんかで遊ぶか」
「あ、はい。じゃあ今日は人生ゲームの方で」
「ん、了解」

 勇者さんは軽い調子で手を上げて、部屋の隅から魔界人生ゲーム凍土編を持ってきてくれる。
 お互いに席に着き、ふたりで準備を整えて、私たちはゆるやかな時間を過ごし始める。
 自分が進む数を決めるルーレットがくるくると回るのを眺めつつ、私は彼へと言葉を投げる。

「今度、また違うのを持ってきますね」
「ん、無理しなくても良いぞ? 何度やっても結構飽きないしな、こういうの」
「いえ、この間発売したビジネス編とか凍土編にはない独自ルールがあったりして、またちょっと面白いんですよね……せっかくなので、一緒にやりたいなって」
「そういうことなら、持ってきてくれれば喜んで遊ぶぞ。俺も娯楽が増えるのは嬉しいからな」
「はい。それじゃまた今度、遊びましょう」

 また今度と、そう言えることが素直に嬉しいと思う。

 ……魔王と勇者が、『また今度』、なんて。

 今までの勇者に、それはなかった。
 ひとたび相まみえれば、魔王と勇者にあるのはどちらかの死という終わりのみ。
 いつだってたった一度だった逢瀬は今、また今度と何度も言えるほどに重ねられている。
 この緩やかな時間が、なによりの平和のしるしのように思えて。

「……えへへ」

 私は自然と、頬を緩ませるのだった。
 
「ん、なんだ急に笑い出して」
「いえ。また今度、って良い人類語だなって思いまして。……あ、なんと今回もウェンディゴに就職ですよ、がお~」
「お、やるじゃん。今回は俺リザードなんだよな……」
「凍土編のリザードはすぐ冬眠でターンを休みますから、テンポ的にゴーレムよりハズレ職なんですよね……」

 なんでも無いことで笑い合って、疲れたら休憩して、ご飯を食べて。
 私たちは今日も、『また今度』と言って別れるまでの時間を過ごした。