「おやすみなさいませ、魔王様」
「はい、メイドちゃん。また明日」

 頭を下げ、私は部屋の扉を閉める。

 ……本日も、業務が終わりました。

 魔王様の側近を勤める私にとって、魔王様の就寝は終業を意味する。
 もちろん、明日のスケジュールの確認など、すべきことはまだあるのだが、そんなものは些事でしかない。
 魔王様が今日も無事に業務を終えた。その時点で私の仕事は完璧に達成されているのだから。

 頭の中で明日やるべきことを並べて整理しつつ、私は自室へと戻ることにする。
 魔王様の配下の内、側近は城に直接住むことが許されている。もちろん、家から通うのも自由だ。
 私の場合は持ち家というものに憧れがなく、なにかあったときに何時でも主の元へと飛んでいけるように、城の中に居を構えている。

「お疲れ様です、メイドさん!」
「ええ、皆様も。どうかごゆっくりおやすみください」
「あ、メイドさんお仕事あがりですか」
「はい。そちらはこれから夜勤で警備ですね。宜しくお願いします」

 城内に勤めている他の魔族たちと軽く挨拶を交わし、私は自らの部屋へとたどり着く。

「…………」

 少しだけ周囲を確認してからドアを開けるのは、隙間から部屋の中を見られるのを、あまり好まないからだ。
 私はそっと後ろ手に扉を閉め、ようやく仕事モードになっている自分の気を緩めることを己に許した。

「はぁ~……今日も魔王様、魔界一かわいかった……」

 心の底から感想を述べて、私は溜め息を吐く。
 瞳を閉じれば、本日の魔王様の見所が鮮明に再生される。
 別に特別な魔法や道具を使うのでは無い。それくらい、魔王様ガチ勢の私には朝飯前なのだ。

「朝食の時に『これが勇者さんのご飯だったらなあ』という感じに溜め息を吐く魔王様、公務の時のキリッとした魔王様、途中でちょっと足が痺れたけど我慢して真面目な顔で会談をする魔王様、いつもより公務が早く終わりそうでウキウキの魔王様、そしてなにより、勇者様に会いに行くときの恋する乙女の魔王様……!!」

 あの方に仕えて四千五百年。
 一瞬とて飽きたことなどなかったけれど、最近の魔王様は新鮮だ。
 なにせ、五千年以上も生きてきてはじめて恋を知ったのだから。

「ああっ……じれったい、早くひっつけたい……でもじっくり距離詰めたりもしてほしいっ……!!」

 私は仕事着のままで、机の上に置いてある魔王様ぬいぐるみを手に取って抱きしめた。

「はぁ……魔王様……」

 溜め息を吐いて周囲を見渡せば、私の部屋はいつも通り。
 壁には魔王様のポスター。天井にも魔王様のポスター。あちこちに魔王様ぬいぐるみや、似顔絵、果ては魔王様のご尊顔がプリントされたマグカップといった、魔王様グッズに溢れている。

 恐らくは本人が見たら顔を真っ赤にしてやめてくださいと懇願するであろうグッズの数々は、私を含めた多数の有志が所属する魔王様ファンクラブが出している公式アイテムだ。本人には非公式だけど。

「仕事が終わっても魔王様に囲まれていられるなんて、私は幸せものですね」

 いつも通りの部屋に満足し、私はお風呂に入る前に軽く部屋の掃除をする。自分の身体を綺麗にするより、魔王様グッズの上に埃が積もっている方が私にとっては一大事なのだ。

「……こんなところですね。それでは、お風呂に入りましょうか」

 すべてのグッズの状態をチェックしてから、私は衣服を無造作に脱いで浴室へと向かった。

「ふんふん……♪」

 鼻歌をこぼしながら、魔王様が使っているのと同じ石鹸で身を清め、湯船に浮かべたお風呂用で水に浮かぶ魔王様フィギュアと共に身体を温める。
 魔界の地熱は高く、いつでもお湯がでる環境なのは、数少ないこの地の利点だ。仕事上がりが遅くとも、すぐに温かい湯殿で疲れを取ることが出来るのだから。

 お風呂から上がった私は、魔王様が普段着ているものと同じで色違いのパジャマを着て、ベッド近くの小テーブルに置いてあるカタログをぱらぱらとめくる。
 読んでいるのは『月刊魔王様』というファンクラブの冊子で、毎月の魔王様のご活躍や、グッズの通信販売などが行える。最新号を隅から隅まで、毎日繰り返し眺めるのが私の夜の日課だ。

「あ、新作のグッズが……魔王様のお側で働いて稼いだお金を、魔王様のグッズを買うことで魔王様に還元する……ふふ、至福ですね……」

 ちなみにこのファンクラブは私がはじめたものだ。私が多忙なので、運営は他の側近に任せてしまっているが、彼女もまた私の同士なので問題は無い。
 ファンクラブの収益は運営と新グッズの開発に当てられ、余った分はこっそりと国庫へと還元されている。

 疲労回復を考えると、就寝までの自由時間はあと少し。
 私は適当に購入して部屋に備蓄していた出来合の食事を、魔法で適当にあたため、適当に口の中に放り込んで、思案する。

「最近の魔王様は、本当にいいお顔をするようになりました」

 魔王様は、ずっと険しい顔をしていた。
 私を含めた一部の側近の前では緩んだお姿を見せてくれることはあったけれど、それはほんの少しだけ。
 魔界という世界を治め、人界からの侵攻を退けるという大事を、数千年という時間、あのお方は続けて来た。

 そんな主が、最近はやわらかな表情をすることが増えた。
 戦争が終わったからというのも、理由のひとつとしてはあるだろう。しかし、一番の理由は、

「……勇者様のお陰ですね」

 彼と出会い、あの方は変わった。
 はじめはなし崩しで押しつけられて困った顔をしていた魔王様が、今ではスキップでもしそうな勢いで彼の部屋に行き、私に報告してくれるのだ。

「四千五百年……私がどれだけ心を尽くして仕えても、引き出せなかったものです」

 正直なところ、少しだけ嫉妬はある。
 でもそれ以上に、喜ばしいと思う。
 魔界という弱肉強食の過酷な環境に生まれながら、誰かのために身を捧げることをはじめて体現し、ついには世界統一を成し遂げた、誇らしき私の王。
 そんな魔王様がはじめて、自分だけの欲を得たのだ。それも、好いた男と一緒にいたいなどという、素朴で、ちっぽけで、当たり前で、優しいワガママを。

「……守らなくてはいけません」

 恋が実るかはふたり次第で、当人同士でしか解決し得ない問題もある。
 だけど応援するくらいは、許されるはずだから。

「ふふ……四千五百年も仕えて、まだ新しいお仕事が……それも主人の恋を応援するなんていう、素敵な仕事ができるなんて」

 私は本当に、幸せ者の従者です。
 満足を噛みしめて、私は緩やかに、夜を過ごすのだった。


☆★☆

「おはようございます、魔王様。本日もなるべく早くお仕事が終わるプランにしてきました」
「あ、ありがとうございます。メイドちゃんはスケジュール管理がうまくて、助かります」
「魔王様、早く勇者様に会いたいでしょうから」
「え、えう……そ、それは」
「ふふ……大丈夫ですよ、分かっておりますから。……あ、式の日取りは早めに決めましょうね?」
「そ、そんな予定っ、あ、ありませんったらっ」
「そうですね……ええ、今は、まだ」
「い、いまって……う、ううっ、い、良いから早く着替えさせてください! 今日もお仕事は山積みですよ!」
「……かしこまりました、魔王様」