「はあ~……今日も終わりましたね」

 最後の謁見が終わり、メイドちゃんと私だけになった。
 玉座に座ったままで、私はぐ、と身体を伸ばす。
 他の部下がいたら見せられない姿だけど、メイドちゃんは別だ。気を許している相手だし、私が本来は結構ラフに過ごしたいタイプだというのを分かってくれている。

「お疲れ様です、魔王様」

 恭しくお辞儀をするメイドちゃんは、四千五百年以上も私に仕えてくれている、側近の中で私が最も信頼を置いている従者だ。
 戦闘も家事も、スケジュール管理まで難なくこなす彼女のお陰で、私の日々の業務は上手く回っている。

 夜魔族の特徴である角と褐色の肌が麗しいメイドちゃんに、私はゆるく微笑んで、
 
「いえ、メイドちゃんの方こそ、お疲れ様です。ずっとそこで立っていると、疲れるでしょう?」
「ここからですと、魔王様の格好良いところがよく見えますから。いつも気がつけば終業です。疲労などありませんよ」
「メイドちゃんはちょっと私を持ち上げすぎじゃないですかねー……?」
「ふふ。ゴマすりではなく、本心ですよ?」
「むぅ……分かってますよう」

 分かっているから、彼女の言葉は心地良いのだ。褒めてくれる言葉も、否定の言葉も、疑いなくこちらに浸みてくる。
 彼女を側に置いた切っ掛けは四千五百年以上も前だけど、本当に立派に育ってくれたと思う。あのとき、迷わず助けて良かった。

「とはいえ、実際は少しくらいは疲れるでしょう? 今日は夕食は私ひとりで摂りますから、先にあがっていいですよ」
「え……!?」
「え?」

 あれ、なんか従者がこの世の終わりみたいな顔してるんですけど?

「そ、そんな……私に、魔王様がご飯を食べるところを見せていただけないと言うんですか……!?」
「え、ちょっと意味が分からない」
「ご飯を頬張る魔王様のお顔が見られないなんて……一日の疲れが取れません……!!」
「さっき疲れてないって言ってませんでした!?」
「いえ、ふつうに考えて立ちっぱなしは疲れますよ。夜魔族は、角が重たいですし」
「ええ……きゅ、急に真顔で正論言う……」

 いえ、私も強がりというか、実際は少し疲れてるだろうとは思ってましたけども。
 理不尽なものを感じつつ、私は首を傾げた。

「あの、私がご飯を食べるシーンを見るの、そんなに重要ですか……?」
「はい。魔王様がひとりで寂しそうな顔をして食べているところを見ると、とてもぞくぞくして元気が出ます」
「どういう種類のサドっ気!?」
「しかも最近は食堂でお食事を摂る度に、『ああ、勇者さんのご飯が食べたいなあ』という顔をなさるのがまた良いのです」
「分からない……四千五百年仕えてくれた従者の性癖が分からない……」

 メイドちゃんはいたってクールに、真顔で頭がおかしいことを言ってくる。
 昔からちょくちょくあったけど、最近はひどくなってきた気がするのはなぜだろうか。

「というか私がひとりでご飯食べるの寂しいって思ってるの知ってるなら、たまには一緒に食べてくれても良いと思うんですが……」
「いえ、対外的に考えて従者が主と同じテーブルで食事を採るのはよろしくありませんし」
「そうですけどぉ……!」

 なんでこの子、ちょくちょく頭おかしいのにド正論言えるんですか!?

「それに、今ここで戻ったら魔王様の入浴にも付き添えなくなりますから」
「それだって側で見てるだけじゃないですか……」
「側で見てるだけで充分なんですよ。明日の糧なんです」
「ええ……?」

 まったく意味が分からないけれど、早く休ませるのは逆効果になるらしい。
 そこまで強行な態度を取られてはこちらとしてはなにも言えなくなるので、私は諦めることにした。

「ま、まあ、メイドちゃんがいいなら良いですけど……話し相手になってくれて助かりますし……」
「ええ。私が良いと思うので、良いのです。どうか本日も、就寝までお側にいさせてください」
「分かりました……はぁ、疲れた……」
「そうですね、本日はほとんど休憩が取れませんでしたから」
「いえ、今のはツッコミ疲れなんですが……や、まあ、確かにお仕事も疲れましたけども」

 魔王としての業務は正直、結構忙しい。
 なにせ、確認しないといけないことが山積みだ。油断するとうっかり書類の中に悪いことを書いていたりするので流し読みで判を押すわけに行かないし、謁見に来るものたちも考えていることは様々。
 誰かが貶められないよう、誰かひとりだけが甘い汁を吸うことがないよう、公平であらねばならない。

 だけど、状況次第ではどちらかひとつしか選べないときも、もちろんある。
 そういった判断を下すのは何時だって重くて、大変だ。

「……主に気疲れですよね、これは」
「国の長ですから、当然あることかと。……代わって差し上げられたら、良いのですが」
「いえ。これは誰かに任せられない……ううん。任せたくない、ことですから」

 この世界を統治し、弱きも強きも関係なく暮らせるようにする。
 それは私が魔界という場所に生まれ、抱いた野望だ。
 当たり前のように殺し合い、悲しみが生まれるこの世界の日常を、変えたいと思ってしまった。
 五千年以上が経過した今でも、過ぎた願いを持ってしまったと思うけれど。

「……これは、私の夢です」

 私は私の夢を、誇りに思っている。

「だからこそ、私がやり続けなくてはいけません」
 
 私が抱いた夢は、叶え続けなければ意味が無い。
 ひとときの平和なんかではなく、今居る人々にも、その次に生まれてくる人々にも、またその次に生まれてくる人々にも、安寧がなくては本当の平和とはいえない。
 その過程でどうしたって取りこぼしてしまう痛みすらも、私が望んだ結果なのだから。

 誰かに渡すなんてこと、ぜったいにできない。

「存じております。だからこそ……私は私に出来ることで、貴女をお支え致します」
「……ありがとうございます、メイドちゃん」
「勇者様とのことも、応援しておりますよ」
「ふぇっ……ど、どうしてそこで勇者さんが出てくるんですか!?」

 急に勇者さんのことを言われて、私は玉座からずり落ちそうになってしまった。
 慌てて立ち上がってメイドちゃんに振り向くと、彼女はいつも通りクールに微笑んで、

「いえ、最近の魔王様は、勇者様にもご執心ですから」
「ごしゅっ……そ、そんなことはっ……」
「いいえ。気がつくと心ここにあらずで、何事か考えていらっしゃいますし、溜め息も増えました。……勇者様のことが、お好きなのでしょう?」
「っ、そ、それはっ、き、嫌いじゃないですっ、けど……」

 彼のことを、つい考えてしまうのは本当だ。
 一緒にいるとちょっとしたことでも目で追ってしまうし、なにか悩んでいたら聞いてあげたいと思う。
 会えない日は寂しくて、会えた日は嬉しい。もっと一緒にいたいし、想うだけで胸があたたかくなったり、苦しくなったりする。

「……分かりませんよ。こ、恋なんて、したことありませんから」

 この気持ちは、間違いなく好きだと思う。
 だけどそれが、恋愛という意味なのかは、分からない。
 
「……我が主ながら、五千年も恋愛処女なのはちょっとどうかと思います」
「う、うー! だって仕方ないじゃないですか、そういうこと考える暇もなかったですし!」
「では、今からでも、じっくり考えてみては如何です? 私から見ればもう答えなんて出ているも同然ですが」
「じっくり、って……私は、勇者さんと……」

 どうなりたいのだろう。
 今の関係は凄く心地よくて、安心できて、あの人の事は絶対に憎からず思っていることは本当だけど。
 それ以上を、私は望んでいるのだろうか。

「……もしこれ以上を望むとしたら、それはワガママじゃ……ないでしょうか……」
「……魔王様。この世界は、貴女のお陰で平和です」
「きゅ、急になんですか、メイドちゃん」
「魔王様が、この世界を変えました。大事な人が当たり前に失われ、血で血を洗い、食うにも飲むにも困るような場所だった、この世界を」

 メイドちゃんは真っ直ぐにこちらを見て、言葉を続ける。

「強いも弱いも関係なく、誰かと一緒にいられるという当たり前を、この世界にもたらしたのは貴女です。その貴女が……そんな当たり前という幸いを得ることを、誰がワガママだと言いましょうか。たとえ誰かがそう言ったとしても、私は絶対に言いませんし、魔王様のお気持ちを支持します」
「……メイドちゃん」
「ですから安心して、答えを出して……お気持ちのままに、なさってください」
「……ありがとう、ございます」

 従者の言葉に頷いて、私はゆっくりと立ち上がる。

「まだよく分かりません。でも……勇者さんとは、向き合っていたいとは、思っています」
「では、ちゃんとした答えを出すためにも、明日は早くお仕事を終わらせましょう」
「……はい。明日も補佐をお願いしますね、メイドちゃん」
「お任せください」

 明日こそ、彼に会えることを期待して。
 私はメイドちゃんを伴って、食堂へと向かうのだった。