「どうぞ、お茶です」
「ありがとね、魔王ちゃん」
「いえいえ。お客様をおもてなしするのは当然のことです。勇者さんのお母さんなら、尚のことですよ」
笑顔で応答すると、対面に座っている相手も笑顔でカップに口をつけてくれた。
……こうして見ると、本当に勇者さんそっくりですねー。
今、私が部屋に招き、お茶を共にしている相手は、勇者さんのお母さんだ。
はじめての面会に来たときに、帰ろうとしていたお母さんを引き留めてお茶をして以来、彼女はいつも息子さんに会ったあとで、私とも会ってくれる。
彼と同じクセ毛で、同じ目の形。色だけが息子さんと違って赤色で、瞳の色はお父さんに似たんだろうかと思う。
「そういえば、この間はありがとうございました。ようかん……でしたっけ。勇者さんと美味しくいただきました」
「あら、魔王ちゃんだけで食べてくれても良かったのに」
「いえ、私が勇者さんと食べたかったですし……」
「そう。まああたしも、そうなるんじゃないかなって思って持ってきたのもあるんだけどね。あの子、意外と甘い物好きだから」
お母さんの笑顔は、どこかサッパリしていて、優しい。
言葉の端々にはこちらだけでなく、勇者さんのことを想う気持ちがにじみ出ていて、良い母親、というのが私の個人的な評価だ。
笑った顔や目元が勇者さんにそっくりということもあり、話しているとつい、顔がほころんでしまう。
「しかし、あたしなんかが魔王とお茶を飲むって言うのは、なんとも不思議な気分だね」
「そんな。大切な息子さんをお預かりしているのですから、気軽に来てくださって良いですし、息子さんにこういうものをあげてほしいとかこういうのが好きとかあればいくらでも言ってくれて良いんですよ?」
「魔王ちゃん、もしかしてあたしより息子を甘やかしてないかい……?」
「そ、そんなことはないですよ、たぶん、きっと、おそらく……」
「ほんとに? まああの子は自分の希望とかあんまり言わない子だからね……」
「そう、そうなんですよう! もっと頼ってくれて良いのに、勇者さんってばぜんっぜんそうしてくれないんです! 調味料のこともすぐ教えてくれませんでしたし、この間だってもっと早く言ってくれれば『聖剣』の返却は無理でも木剣くらいすぐ用意するのに……!」
「魔王ちゃんほんとにうちの子甘やかしてない? だいじょうぶ?」
甘やかしてません。だいじょうぶです。すごくだいじょうぶ。
とはいえ、少しばかりヒートアップした自覚があったので、私は自分の分のお茶に口をつけて心を落ち着けることにした。
ほう、と溜め息を吐くと、勇者さんのお母さんは目を細めて、
「まあ、本当を言うとあたしは安心してるよ。うちの息子が捕虜になったって聞いたときは、正直……覚悟もした」
「……ええ、分かります。お母さんが勇者さんを想っているのも、私に会うときに……どれくらいの覚悟を、決めてきてくれていたのかも」
はじめて、彼女をこのお茶会に招いたとき。
お母さんは平静を装って私と話してくれたけど、その手が微かに震えていたことを、私はよく覚えている。
きっと、私の気持ちひとつで勇者さんのこれからが決まってしまうと、不安だったからだろう。
「正直驚いたけどね。子供のころから悪い奴だって伝え聞いていた魔王が、こんなにも人情味があるっていうか……魔王っぽくなくて」
「うわぁ、評価が勇者さんとまったく同じです……」
つい苦笑いが出てしまうけれど、それは気が抜けている証拠でもある。
勇者さんのお母さんも、はじめの頃にあった恐怖心はもうないようで、私を近所の子供でも扱うようにして接してくれている。
お互いに打ち解けたからこそ出来る空気感は、勇者さんと話しているときに感じているものに近い。
「わはは。まあ不思議な体験をさせて貰ってるよ。自分の子供が勇者だったり、その宿敵……だった子と、こうやってお茶させて貰ったりね」
「えと……先日聞きましたけど、勇者さんのお父さんは……」
「うん。あの子が生まれる前に、仕事中の事故でね。まあちょっと頑固だけど、いい人だったよ。……あの子の真面目で優しいとこは、あの人に似たねえ」
しみじみと語るお母さんの表情は、暗くはない。
きっと既に涙を流し尽くして、愛しさと想い出だけが残っているのだろう。
私は恋をしたことも、愛を育んだ経験もないけれど、誰かを失うことは知っているから、少しだけ理解できる。
「…………」
「ふふ、この間もそうだけど、魔王ちゃん今、かなりホッとしたね」
「え?」
「前にあの人がもう故人だって話をしたときも、『もし勇者さんのお父さんが死んだのが魔族との戦争のせいだったらどうしよう』、って顔してたから」
「……そのときはきっと、たぶん何度も何度も謝って……向けられた憎しみを、受け入れるしか出来ません。たとえそれが……勇者さんのお父さんじゃなくても、です」
私は国の長だ。
自分の民を守るために人類と戦うと決めた判断を、間違いだとは思っていない。
けれど、その結果として失われた命は、すべて尊くて、取り返しがつかないものだ。
……きっと断絶は、まだ、長く続きます。
お互いがお互いを殺し合い、長い年月が経った。
そんなことはもう昔の話だなんて言葉を大っぴらに使えるのは、何代も何代も重ねた先のことだ。
代を重ねても降り積もっていく憎しみもあるだろうし、私が選んだ融和という道の出口は、ずっとずっと遠い。
「……それでも。私は人界の皆さんを滅ぼすのではなく、受け入れたいと思ったのです。かつて……魔界で、この世界でしたのと、同じように」
「……うちの息子、魔王ちゃん見たときすっごい複雑だっただろうねえ。言うことが自分より勇者っぽいって言いそう」
「あ、それ何回か言われました」
やっぱり、とお母さんは笑ってカップの中身を空にする。
確認を取ることなくお茶のおかわりを注ぎながら、私は更に言葉を紡いだ。
「でも、私はただの為政者ですよ。勇者さんは、すごく勇者らしい……立派な人だと、思います」
「……そうかい?」
「はい。勇者さんは、凄く真面目で、人類を想って、必死で戦って……今だってその気になれば暴れることだってできるのに、それが人類の為にならないからって、この城で大人しくしてくれていて……」
勇者さんの態度を見ていれば、分かる。
あの人は自分の使命が果たせなかった負い目を、今も感じている。
自分がゆっくりとした時間を過ごすことを、今だって完全に許していない。救えなかったものたちに、申し訳ないとすら思っているはずだ。
だってあの人は、未だに鍛錬をやめていないのだから。
「きっと私の考え方が違っていたら……どれだけ不利でも、あの人は私と戦ったはずです。勇者さんは……間違いなく、人類の救い手でした」
私が人類を滅ぼすべきだと断じていたら、勇者さんは断固として戦ったはずだ。
レベルの差や、状況なんて関係なく、彼は人類を守るために。真っ正面から私と対峙しただろう。
「それに勇者さんは、お母さん想いです。戦争が終わってここに来たあとも、ずっとお母さん宛ての手紙を書き続けていたんですから」
「……ああ、そうだね。届かなかったみたいだけど……あの子があたしのことを想ってくれていることは、その事実だけで充分に分かるよ」
「はい。その節は、本当に申し訳ありません。今度こそ……勇者さんとお母さんの繋がりを断ち切ってしまうような真似は、させませんから」
「……ありがとう、魔王ちゃん。なんだろう、勇者って立場だけで文句を言われたり、期待されたりするんじゃなくて……ちゃんとあの子を見て、評価して、大事にしてくれるのは……うん、嬉しいもんだね、母親として」
力を抜いた笑みも、やっぱり勇者さんそっくりだった。
……きっとこの人も、たくさん苦労したはずです。
勇者の母親、それも伴侶を失った女性だ。
女手ひとつで子供を育てる大変さも、勇者の母という重圧も、私には想像するしか出来ない。
けれど、たったひとつだけ。この人が息子さんを愛して、誇りに想い、心配していることは、分かるから。
「これから先は、勇者さんの命の心配はしなくても大丈夫です。まだ自由にはさせてあげられませんけど……いつかきっと、そうできるように頑張ります」
「……ありがとう、魔王ちゃん」
息子さんのことを想って細められる瞳のことを、綺麗だと思いながら、
私はお茶会の時間を、楽しむことにした。
☆★☆
「そ、それで、ですね。あの、出来たらまた、勇者さんが子供の頃のお話とか聞かせてほしいなぁって……」
「魔王ちゃん、本当にあの子の昔の話聞くの好きだねえ……うーん……じゃあ今日は、五歳の誕生日のときの話でもしようかな」
「勇者さんのお誕生日……そ、それはその、日付から興味があります! お、お祝いとかしてあげたいですし!」
「……これあたし、孫楽しみにしてていいやつなのかなー……?」
「? なにか言いましたか、お母さん?」
「いーやなんにも。ええとね、あの日は朝からあの子が……」
「ありがとね、魔王ちゃん」
「いえいえ。お客様をおもてなしするのは当然のことです。勇者さんのお母さんなら、尚のことですよ」
笑顔で応答すると、対面に座っている相手も笑顔でカップに口をつけてくれた。
……こうして見ると、本当に勇者さんそっくりですねー。
今、私が部屋に招き、お茶を共にしている相手は、勇者さんのお母さんだ。
はじめての面会に来たときに、帰ろうとしていたお母さんを引き留めてお茶をして以来、彼女はいつも息子さんに会ったあとで、私とも会ってくれる。
彼と同じクセ毛で、同じ目の形。色だけが息子さんと違って赤色で、瞳の色はお父さんに似たんだろうかと思う。
「そういえば、この間はありがとうございました。ようかん……でしたっけ。勇者さんと美味しくいただきました」
「あら、魔王ちゃんだけで食べてくれても良かったのに」
「いえ、私が勇者さんと食べたかったですし……」
「そう。まああたしも、そうなるんじゃないかなって思って持ってきたのもあるんだけどね。あの子、意外と甘い物好きだから」
お母さんの笑顔は、どこかサッパリしていて、優しい。
言葉の端々にはこちらだけでなく、勇者さんのことを想う気持ちがにじみ出ていて、良い母親、というのが私の個人的な評価だ。
笑った顔や目元が勇者さんにそっくりということもあり、話しているとつい、顔がほころんでしまう。
「しかし、あたしなんかが魔王とお茶を飲むって言うのは、なんとも不思議な気分だね」
「そんな。大切な息子さんをお預かりしているのですから、気軽に来てくださって良いですし、息子さんにこういうものをあげてほしいとかこういうのが好きとかあればいくらでも言ってくれて良いんですよ?」
「魔王ちゃん、もしかしてあたしより息子を甘やかしてないかい……?」
「そ、そんなことはないですよ、たぶん、きっと、おそらく……」
「ほんとに? まああの子は自分の希望とかあんまり言わない子だからね……」
「そう、そうなんですよう! もっと頼ってくれて良いのに、勇者さんってばぜんっぜんそうしてくれないんです! 調味料のこともすぐ教えてくれませんでしたし、この間だってもっと早く言ってくれれば『聖剣』の返却は無理でも木剣くらいすぐ用意するのに……!」
「魔王ちゃんほんとにうちの子甘やかしてない? だいじょうぶ?」
甘やかしてません。だいじょうぶです。すごくだいじょうぶ。
とはいえ、少しばかりヒートアップした自覚があったので、私は自分の分のお茶に口をつけて心を落ち着けることにした。
ほう、と溜め息を吐くと、勇者さんのお母さんは目を細めて、
「まあ、本当を言うとあたしは安心してるよ。うちの息子が捕虜になったって聞いたときは、正直……覚悟もした」
「……ええ、分かります。お母さんが勇者さんを想っているのも、私に会うときに……どれくらいの覚悟を、決めてきてくれていたのかも」
はじめて、彼女をこのお茶会に招いたとき。
お母さんは平静を装って私と話してくれたけど、その手が微かに震えていたことを、私はよく覚えている。
きっと、私の気持ちひとつで勇者さんのこれからが決まってしまうと、不安だったからだろう。
「正直驚いたけどね。子供のころから悪い奴だって伝え聞いていた魔王が、こんなにも人情味があるっていうか……魔王っぽくなくて」
「うわぁ、評価が勇者さんとまったく同じです……」
つい苦笑いが出てしまうけれど、それは気が抜けている証拠でもある。
勇者さんのお母さんも、はじめの頃にあった恐怖心はもうないようで、私を近所の子供でも扱うようにして接してくれている。
お互いに打ち解けたからこそ出来る空気感は、勇者さんと話しているときに感じているものに近い。
「わはは。まあ不思議な体験をさせて貰ってるよ。自分の子供が勇者だったり、その宿敵……だった子と、こうやってお茶させて貰ったりね」
「えと……先日聞きましたけど、勇者さんのお父さんは……」
「うん。あの子が生まれる前に、仕事中の事故でね。まあちょっと頑固だけど、いい人だったよ。……あの子の真面目で優しいとこは、あの人に似たねえ」
しみじみと語るお母さんの表情は、暗くはない。
きっと既に涙を流し尽くして、愛しさと想い出だけが残っているのだろう。
私は恋をしたことも、愛を育んだ経験もないけれど、誰かを失うことは知っているから、少しだけ理解できる。
「…………」
「ふふ、この間もそうだけど、魔王ちゃん今、かなりホッとしたね」
「え?」
「前にあの人がもう故人だって話をしたときも、『もし勇者さんのお父さんが死んだのが魔族との戦争のせいだったらどうしよう』、って顔してたから」
「……そのときはきっと、たぶん何度も何度も謝って……向けられた憎しみを、受け入れるしか出来ません。たとえそれが……勇者さんのお父さんじゃなくても、です」
私は国の長だ。
自分の民を守るために人類と戦うと決めた判断を、間違いだとは思っていない。
けれど、その結果として失われた命は、すべて尊くて、取り返しがつかないものだ。
……きっと断絶は、まだ、長く続きます。
お互いがお互いを殺し合い、長い年月が経った。
そんなことはもう昔の話だなんて言葉を大っぴらに使えるのは、何代も何代も重ねた先のことだ。
代を重ねても降り積もっていく憎しみもあるだろうし、私が選んだ融和という道の出口は、ずっとずっと遠い。
「……それでも。私は人界の皆さんを滅ぼすのではなく、受け入れたいと思ったのです。かつて……魔界で、この世界でしたのと、同じように」
「……うちの息子、魔王ちゃん見たときすっごい複雑だっただろうねえ。言うことが自分より勇者っぽいって言いそう」
「あ、それ何回か言われました」
やっぱり、とお母さんは笑ってカップの中身を空にする。
確認を取ることなくお茶のおかわりを注ぎながら、私は更に言葉を紡いだ。
「でも、私はただの為政者ですよ。勇者さんは、すごく勇者らしい……立派な人だと、思います」
「……そうかい?」
「はい。勇者さんは、凄く真面目で、人類を想って、必死で戦って……今だってその気になれば暴れることだってできるのに、それが人類の為にならないからって、この城で大人しくしてくれていて……」
勇者さんの態度を見ていれば、分かる。
あの人は自分の使命が果たせなかった負い目を、今も感じている。
自分がゆっくりとした時間を過ごすことを、今だって完全に許していない。救えなかったものたちに、申し訳ないとすら思っているはずだ。
だってあの人は、未だに鍛錬をやめていないのだから。
「きっと私の考え方が違っていたら……どれだけ不利でも、あの人は私と戦ったはずです。勇者さんは……間違いなく、人類の救い手でした」
私が人類を滅ぼすべきだと断じていたら、勇者さんは断固として戦ったはずだ。
レベルの差や、状況なんて関係なく、彼は人類を守るために。真っ正面から私と対峙しただろう。
「それに勇者さんは、お母さん想いです。戦争が終わってここに来たあとも、ずっとお母さん宛ての手紙を書き続けていたんですから」
「……ああ、そうだね。届かなかったみたいだけど……あの子があたしのことを想ってくれていることは、その事実だけで充分に分かるよ」
「はい。その節は、本当に申し訳ありません。今度こそ……勇者さんとお母さんの繋がりを断ち切ってしまうような真似は、させませんから」
「……ありがとう、魔王ちゃん。なんだろう、勇者って立場だけで文句を言われたり、期待されたりするんじゃなくて……ちゃんとあの子を見て、評価して、大事にしてくれるのは……うん、嬉しいもんだね、母親として」
力を抜いた笑みも、やっぱり勇者さんそっくりだった。
……きっとこの人も、たくさん苦労したはずです。
勇者の母親、それも伴侶を失った女性だ。
女手ひとつで子供を育てる大変さも、勇者の母という重圧も、私には想像するしか出来ない。
けれど、たったひとつだけ。この人が息子さんを愛して、誇りに想い、心配していることは、分かるから。
「これから先は、勇者さんの命の心配はしなくても大丈夫です。まだ自由にはさせてあげられませんけど……いつかきっと、そうできるように頑張ります」
「……ありがとう、魔王ちゃん」
息子さんのことを想って細められる瞳のことを、綺麗だと思いながら、
私はお茶会の時間を、楽しむことにした。
☆★☆
「そ、それで、ですね。あの、出来たらまた、勇者さんが子供の頃のお話とか聞かせてほしいなぁって……」
「魔王ちゃん、本当にあの子の昔の話聞くの好きだねえ……うーん……じゃあ今日は、五歳の誕生日のときの話でもしようかな」
「勇者さんのお誕生日……そ、それはその、日付から興味があります! お、お祝いとかしてあげたいですし!」
「……これあたし、孫楽しみにしてていいやつなのかなー……?」
「? なにか言いましたか、お母さん?」
「いーやなんにも。ええとね、あの日は朝からあの子が……」