「そういえばずっと思ってたことがひとつあってな」
「あ、はい。なんでしょうか」

 昼食を終え、少し落ち着いた頃。
 満腹、という感じで吐息していた魔王に、俺は声をかけた。

「この城、ふつうに水が出てくるし、湯も出るの凄いよな」
「あ、そうなんですよ。城内に水を流すための管を通していて、あとはツマミを捻るだけで出るようにしてあるんです」
「……湯はどうやって出してるんだ?」
「ええと……地下の熱を使っています。魔界の地面はある程度まで掘ると凄くあったかいので、管をそこまで埋めておいて、一度そこに水を通すことであったかいのを出していますね」
「はぁ~……魔界ってそういう技術すげぇんだな……人界にはないぞ、こういうの」
「多腕系の種族が、工作が凄く得意なんですよね。あとは穴掘りが得意な魔族が掘って、水棲系の魔族に水脈の管理をしてもらって……って感じですね」
「すっげぇ適材適所だな……」
「ふふ、当然ですよ。せっかく個性があるんですから、使わないと損します。出来ないことはできるものが補って、できることはしっかり役立ててもらう。これが国における、民の活かし方です」

 えっへん、と魔王は誇らしげに胸を張った。
 強調された胸元から意識的に視線を外しつつ、俺は頷いて、

「正直最初はよく分からずにこれ弄って、いきなりお湯が出てくるもんだからすっげぇビックリしたよ」
「あー……そうですよね、元の世界になかったのだとしたら、混乱しますよね」
「いやでもすげぇなコレ、マジですげぇと思う」

 先ほどから自分の語彙が『すげぇ』しかなくなっているが、本当に凄いのだから仕方が無い。
 人界の水事情は、共同の水くみ場から毎日組んできて使うという感じだ。
 場合によってはその水くみ場まで遠かったりするし、水源によってはあまり清潔なものは望めない。

 俺のように魔法が使えれば、まだ気軽に煮沸消毒なり、浄水なりをすることができるし、もっといえば水そのものを生成することだってできなくはないが、そういうのは一握りだ。
 飲み水の不衛生さから疫病がはやるなどということも、人界では珍しくはなかったので、魔界の水事情を聞いた俺は感心するしかない。

「しかも、水を通す管って地面に埋めるんだろ? だったら地道に伸ばしていけば、雨とかの影響を受けずに、かなり遠くまで綺麗な飲み水を運ぶことも出来るよな」
「…………」
「? どうした、魔王」
「あ、いえ……実際にそれで城下町や一部の地域には生活用水を通してますし、それを人界でもやろうと計画していましたので、言い当てられて驚きました」
「あ、そうだったのか」
「はい。魔界はそもそも水源が少なすぎたり、地震が多い地域などもあって設置が難しいんですが、人界の自然環境は魔界よりずっと安定してますし、水源も豊富です。だからこちらの技術を持ち込むことで、より安全な飲み水の確保が実現できるんじゃないかって」
「ほー……生活が便利になるのは良いことだよな」

 遠くの水くみ場まで足を運ばなくても良くなるし、温水がいつでも出てくるなんて最高だ。
 特に、薪がなくとも風呂には入れるのは大きい。実際、俺も部屋に風呂がついていて、しかもすぐに温かい湯船が用意できることに感動したのだ。

「なんつーか……ありがとうな、魔王」
「ふぇっ、な、なんですか、いきなり」
「いや、人界のことまで気にかけて、便利にしようとしてくれて、ありがてえなって思って」

 人類は、魔族に負けた。
 しかも、何千年と続いた戦争の末の敗北だ。
 正直なところ、俺は人類の負けが決まったとき、これから人類は滅ぼされてしまうのではないかとさえ思った。

 だが、敵だった魔族の王である彼女は俺が思っているよりもずっと優しくて、良い君主だった。
 人類を奴隷にせず、新たな民として受け入れるために奔走し、生活水準を引き上げようとさえしてくれている。

「……正直、最初はかなり不安だったんだ。負けた人類が、どうなるのかって」
「……ええ、分かっていますよ。だからこそ、勇者さんははじめて私の顔を見たときに、あんなことを言ったんでしょうから」
「……覚えてるのかよ」
「ふふ。だっていきなり、『俺の首ひとつでどれくらい許して貰える?』ですからね。驚いちゃいましたし、忘れられないです」
「……俺にとっては、あのときはそれが最良かと思ったんだよ」

 王都が陥落し、もはや人類は負けたのだと悟ったとき。
 俺は初対面の魔王に、真っ先に聞いたのだ。俺の命で、いくらか人類に目こぼしをくれないかと。

「俺は勇者で、人類の守護者だからな。……例えそれが、ギリギリ最悪じゃないって状況でも、人類をひとりでも生かそうって思ったんだ」

 たった少しでも人類という種が残せるなら、俺の命でそうして貰えるなら。
 それが、人類を救えなかった勇者に出来る、最期のことだと思ったのだ。

「ま、実際にはお前はそういうこと全然考えて無くて、俺ひとり空回った感じだけどな」
「……そんなだから」
「……そんなだから?」
「いえ、なんでもありません。勇者さんらしくて良いです。でも……二度と、あんなことは言わないでくださいね」

 こちらに向けられた魔王の視線は、笑っているのに、どこか寂しそうだった。

「……言わねえよ。もうお前がどういうやつなのか、知ってるからな」
「それなら良かったです。もし言ったら怒っちゃいますからね? 自分の命を大事にしないと、めっ、ですよ」
「お前、毎回俺より遥かに勇者らしいこと言うよな……」

 魔王に正論で叱られた勇者、というのはきっと歴代で俺ひとりだろう。
 微妙な気持ちになりつつも、俺の口元にはなぜか笑みが浮かんでいた。

「なに言ってるんですか。勇者さんも、立派な人ですよ」
「そうかぁ? 結局、人類を勝利に導けなかったのに?」
「勝ち負けは関係ないんです。勇者さんはすっごく立派で、偉い人です。ただ……もう少しだけ、自分を大切にして欲しいなって。お母さんだって、すっごく心配してるんですよ?」
「う、母さんのことは持ち出すなよ……」

 どうも俺の母親と付き合うようになってから、ますます魔王に言いくるめられることが増えた気がする。もしかして母さん、いつの間にか俺の敵に回っているんだろうか。

「……私だって、勇者さんに死んで欲しくないって思ってるんですから」

 見上げてくる紫の瞳は、あまりにも真剣で、真摯で。
 魔王が言って良いことか、なんて茶化す気すら起きないくらい、真っ直ぐで。

「……そ、そうか」

 気恥ずかしく、むず痒いものを感じて、俺はぎこちなく頷いた。

「はい。いっぱい長生きして、いっぱい私にご飯を作ってくださいね、勇者さん♪」
「……俺の飯で良ければ、な」

 屈託なく笑う魔王に、俺は照れ隠し気味に言葉を返すのだった。