「勇者さん、おっはー」
「……なんだそれ」
謎のポーズで入室した魔王を、俺は微妙な顔で迎え入れた。
魔王は少しの間固まった後で、可愛らしく首を傾げて、
「知らないんですか? 今、人界ですごく流行ってる挨拶らしいですよ」
「お前、俺が幽閉されてるって忘れてないか?」
流行廃りを追える立場じゃないだろ。
冷静に突っ込んでやると、魔王は傾げた首を元に戻した。
「お母さんから聞いてるかと……私も勇者さんのお母さんに教わりましたし」
「お前なんで勇者の母親と仲良くなってるんだよ」
さらりと衝撃的な事実を告げられた。
「お母さん、勇者さんの面会終わったあと、いつも私の部屋でお茶していってくれるんですよ」
「母さん、俺の知らない間に、そんな懐まで潜り込んでたのかよ」
「お母さんいい人ですね。いつもニコニコしてて」
「そうか。俺は今ヒヤヒヤしたぞ」
「もう、あんな良い人が手紙出さないわけないじゃないですか。ダメですよ、疑ったりなんかして……めっ」
「魔王に説教された……」
「説教されるようなこと言う勇者さんが悪いんですー」
「そうなんだろうが、この納得いかない感じはなんだろうな……」
相変わらず勇者(おれ)よりはるかに正論を言う魔王だった。
「ところで、お前って親は居るのか?」
「私、ですか? 私は魔族の中でもちょっと特殊な生まれなので、親はいませんね」
「特殊?」
「はい。魔界の自然界で、勝手に発生した……人類語で言うと、精霊、というのが近いかと思います。魔界でも珍しい種族ですよ」
「自然発生型の魔族で、特定の親は居ないってことか」
「はい。まあ、子供産んだりとかそういうのはできるらしいんですが……私に親はいませんね」
「ふーん……」
「しいていえばこの魔界そのものが産みの親と言えるでしょうか。元はただのエネルギー体というか、そういう感じです」
人間とは、まったく違う生まれ方だ。
そもそも魔族というのは、人類が魔界の住人全体を指して呼ぶ名前で、正確な区分ではない。
リザードマンやワーウルフ、人魚やゴーレム。魔族、と一言でくくるにはあまりにも多種多様な姿をしたものたちが、魔界には生きている。
「いろいろ居るんだな、魔族も」
「ええ、お陰で統治のしがいがありますよ。このポーズはこういう意味、みたいな種族ルールもありますし」
「ああ、俺も昔、人界の端の方に住んでる古い部族に会いに行ったときに握手を求めたらそれが向こうの部族だと決闘の合図だったこととかあったな……」
「人類にもそういうのはあるんですねえ……」
魔王は機嫌良さそうに俺の話を聞いて、何度も頷く。
椅子に腰掛けて完全に寛いだ様子の相手を眺めて、俺は口を開いた。
「……なんかこの状況が不自然だってのを、たまに忘れそうになるな」
「なんのお話ですか?」
「お前は魔界の女王で、俺は勇者だぞ?」
何度目になるかは分からないことを、俺は改めて口にする。
俺は勇者で、彼女は魔王。お互いに数ヶ月前までは敵対していた。
人類の希望と魔界の女王。そのふたりがのんびり談笑しているなんてのは、少し前まではあり得ない状況だったのだ。
「もう、まだそんなこと気にしてるんですか? そんなこともう、些細なことじゃないですか。戦いは終わったんですから、もっと未来に目を向けましょう。魔族と人類の未来に」
「……しかも俺より言うことが勇者っぽいしな」
未だに微妙に理不尽なものを感じながら、俺は魔王にお茶を淹れてやる。
魔王は礼儀正しくお辞儀をしてから、ティーカップに口をつけた。
「ん……勇者だなんてとんでもない。私はただの、為政者ですって」
「為政者っていえば、俺のこと売った国王は今なにしてんのかな……謝罪の手紙とか、一切こねぇんだけど」
「さ、最初に送って捨てられてたかもしれないじゃないですか……。ええと、あの人なら隠居して貰いましたよ。今は人里からすこし離れたところで、オレンジ育ててます」
「定年退職した会社員かよ」
思った以上に余生を楽しそうに過ごしてるようだった。俺のことを売ったくせに。
「いえ、引き続き人間界の方を担当してもらっても良かったんですが……」
「なにか問題があったのか?」
「……ちょっとこっちへの配慮が露骨で、疲れてしまって」
「ああ……ゴマすりか」
そういえばこいつ、露骨なヨイショは苦手なんだったな。
魔王は俺の言葉に頷いて、視線を彷徨わせた。たぶん、なんか柔らかい言葉を探しているのだろう。
「ええっとぉ……ですから、やんわりとした手段で隠居していただいて。今は、違う人にお任せしてます」
「なるほどな」
「……といっても、魔王(わたし)が決め事を通達するより、人間から人間に通達するほうがスムーズにいくかなって言う理由で取立てたので、その人もお飾りはお飾りなんですが」
「……お前も気を遣う立場だな」
「人間が魔物と歩むにも、魔物が人間と歩むにも、まだまだ時間が必要です。ただそれだけのお話ですよ」
そう言いながらも耳が垂れ下がっているのは、少しだけそのことを寂しいと思っている証拠だ。
時間がかかることだと分かっていながらも、早く歩み寄りたい。そしてそのために自分にできることはないかと、コイツは日々、頭を悩ませているのだ。
……俺もコイツのことを、随分と分かるようになっちまったな。
明らかに情が湧いてしまっているのを、悪いことだとは思わない。
魔王の言うとおり、既に戦争は終わっている。俺たちが戦う理由も無ければ、憎み合わなければならないなんてことも、きっと無い。
「……飯、どうする?」
「食べていきます」
魔王の仕事を過度に褒めることなく、俺はただ、いつも通りに振る舞う事にした。
きっとコイツにとっては、その方が嬉しいだろうから。
「……なんだそれ」
謎のポーズで入室した魔王を、俺は微妙な顔で迎え入れた。
魔王は少しの間固まった後で、可愛らしく首を傾げて、
「知らないんですか? 今、人界ですごく流行ってる挨拶らしいですよ」
「お前、俺が幽閉されてるって忘れてないか?」
流行廃りを追える立場じゃないだろ。
冷静に突っ込んでやると、魔王は傾げた首を元に戻した。
「お母さんから聞いてるかと……私も勇者さんのお母さんに教わりましたし」
「お前なんで勇者の母親と仲良くなってるんだよ」
さらりと衝撃的な事実を告げられた。
「お母さん、勇者さんの面会終わったあと、いつも私の部屋でお茶していってくれるんですよ」
「母さん、俺の知らない間に、そんな懐まで潜り込んでたのかよ」
「お母さんいい人ですね。いつもニコニコしてて」
「そうか。俺は今ヒヤヒヤしたぞ」
「もう、あんな良い人が手紙出さないわけないじゃないですか。ダメですよ、疑ったりなんかして……めっ」
「魔王に説教された……」
「説教されるようなこと言う勇者さんが悪いんですー」
「そうなんだろうが、この納得いかない感じはなんだろうな……」
相変わらず勇者(おれ)よりはるかに正論を言う魔王だった。
「ところで、お前って親は居るのか?」
「私、ですか? 私は魔族の中でもちょっと特殊な生まれなので、親はいませんね」
「特殊?」
「はい。魔界の自然界で、勝手に発生した……人類語で言うと、精霊、というのが近いかと思います。魔界でも珍しい種族ですよ」
「自然発生型の魔族で、特定の親は居ないってことか」
「はい。まあ、子供産んだりとかそういうのはできるらしいんですが……私に親はいませんね」
「ふーん……」
「しいていえばこの魔界そのものが産みの親と言えるでしょうか。元はただのエネルギー体というか、そういう感じです」
人間とは、まったく違う生まれ方だ。
そもそも魔族というのは、人類が魔界の住人全体を指して呼ぶ名前で、正確な区分ではない。
リザードマンやワーウルフ、人魚やゴーレム。魔族、と一言でくくるにはあまりにも多種多様な姿をしたものたちが、魔界には生きている。
「いろいろ居るんだな、魔族も」
「ええ、お陰で統治のしがいがありますよ。このポーズはこういう意味、みたいな種族ルールもありますし」
「ああ、俺も昔、人界の端の方に住んでる古い部族に会いに行ったときに握手を求めたらそれが向こうの部族だと決闘の合図だったこととかあったな……」
「人類にもそういうのはあるんですねえ……」
魔王は機嫌良さそうに俺の話を聞いて、何度も頷く。
椅子に腰掛けて完全に寛いだ様子の相手を眺めて、俺は口を開いた。
「……なんかこの状況が不自然だってのを、たまに忘れそうになるな」
「なんのお話ですか?」
「お前は魔界の女王で、俺は勇者だぞ?」
何度目になるかは分からないことを、俺は改めて口にする。
俺は勇者で、彼女は魔王。お互いに数ヶ月前までは敵対していた。
人類の希望と魔界の女王。そのふたりがのんびり談笑しているなんてのは、少し前まではあり得ない状況だったのだ。
「もう、まだそんなこと気にしてるんですか? そんなこともう、些細なことじゃないですか。戦いは終わったんですから、もっと未来に目を向けましょう。魔族と人類の未来に」
「……しかも俺より言うことが勇者っぽいしな」
未だに微妙に理不尽なものを感じながら、俺は魔王にお茶を淹れてやる。
魔王は礼儀正しくお辞儀をしてから、ティーカップに口をつけた。
「ん……勇者だなんてとんでもない。私はただの、為政者ですって」
「為政者っていえば、俺のこと売った国王は今なにしてんのかな……謝罪の手紙とか、一切こねぇんだけど」
「さ、最初に送って捨てられてたかもしれないじゃないですか……。ええと、あの人なら隠居して貰いましたよ。今は人里からすこし離れたところで、オレンジ育ててます」
「定年退職した会社員かよ」
思った以上に余生を楽しそうに過ごしてるようだった。俺のことを売ったくせに。
「いえ、引き続き人間界の方を担当してもらっても良かったんですが……」
「なにか問題があったのか?」
「……ちょっとこっちへの配慮が露骨で、疲れてしまって」
「ああ……ゴマすりか」
そういえばこいつ、露骨なヨイショは苦手なんだったな。
魔王は俺の言葉に頷いて、視線を彷徨わせた。たぶん、なんか柔らかい言葉を探しているのだろう。
「ええっとぉ……ですから、やんわりとした手段で隠居していただいて。今は、違う人にお任せしてます」
「なるほどな」
「……といっても、魔王(わたし)が決め事を通達するより、人間から人間に通達するほうがスムーズにいくかなって言う理由で取立てたので、その人もお飾りはお飾りなんですが」
「……お前も気を遣う立場だな」
「人間が魔物と歩むにも、魔物が人間と歩むにも、まだまだ時間が必要です。ただそれだけのお話ですよ」
そう言いながらも耳が垂れ下がっているのは、少しだけそのことを寂しいと思っている証拠だ。
時間がかかることだと分かっていながらも、早く歩み寄りたい。そしてそのために自分にできることはないかと、コイツは日々、頭を悩ませているのだ。
……俺もコイツのことを、随分と分かるようになっちまったな。
明らかに情が湧いてしまっているのを、悪いことだとは思わない。
魔王の言うとおり、既に戦争は終わっている。俺たちが戦う理由も無ければ、憎み合わなければならないなんてことも、きっと無い。
「……飯、どうする?」
「食べていきます」
魔王の仕事を過度に褒めることなく、俺はただ、いつも通りに振る舞う事にした。
きっとコイツにとっては、その方が嬉しいだろうから。