「勇者さんお腹空きました!」
「最近それ、挨拶みたいになってないか」
元から多めに作ってあった料理を魔王の分まで取り分けながら一応突っ込みを入れてみると、魔王は長い耳をぴこんぴこんと動かしながら小首を傾げて、
「……ええと、おはようございます?」
「いや、ちゃんとした挨拶をしてほしいわけじゃなくてな……というか、この間も言ったけど、お前魔王なんだろ? 捕虜とはいえ勇者にほいほい会いに来て、本当に良いのか?」
正直見目の話だけをすれば、目の前の相手はとても魔王には見えない。
長い耳は魔族の証ではあるが、(胸以外は)華奢で、少女のように警戒心が薄く、今だって距離が結構近い。
「ええと……確かに対外的には、勇者さんは魔族の捕虜です。ですが、私は勇者さんのことを人質とか生け贄とか思っていません。そもそも、そんなものいりませんって、ちゃんと断ったんですよ? なのに人間の国王が無理矢理に勇者さんを押し付けてきたんです」
「え、そうだったのか!?」
めちゃくちゃ初耳だった。俺、いつの間にか裏切られてた。
「はい。降伏勧告しに人間のお城に行ったら、『頼む! 勇者を差し出すから命だけは勘弁してくれ!!』って土下座されました」
「マジかよ……あのジジイ……」
「いらないって言ったんですけど、命乞いとゴメンナサイの嵐で……部下とか娘さんの目の前でひたすらソレをやられて、同じ為政者としてちょっと、その……憐れになりまして」
「泣き落としの押し売りかよ」
「結局こっち側の対外的なものもあって、『人類敗北、魔王軍全面勝利』の証として、こうして勇者さんには『捕虜』として、魔王城で窮屈な思いをさせてしまって……申し訳ないとは思ってます」
「いや、別に良いんだけどな……もう慣れたし、というか、窮屈って感じでもないし……」
部屋の中での自由は保障されている上に、命を狙われるようなこともなく、痛めつけられたりもしない。
魔王が先ほど言ったように、俺の扱いは捕虜と言うよりは、客人に近かった。
「あはは、そう言ってもらえると、私も気が楽になります……」
ほっとした様子の魔王に水を差し出すと、彼女は丁寧にこちらにお礼を言ってからグラスの中身を飲み干した。
……うわぁ、毒とか全然警戒してないぞ、コイツ。
こういう態度を取られると相手が明らかに本気だと分かってしまうので、こちらも責めたいと思えなくなってしまう。
「それはそれとして、なんでお前は俺のところにしょっちゅう顔を出すんだ?」
「さっきも言いましたけど、私は勇者さんを人質だなんて思ってません。客人として扱いたいと思ってます」
「……そりゃ無理な話だろう」
少し考えなくても分かることだ。
人間と魔族の戦争は、俺が生まれる何百年も前から続いている。
俺の先代の勇者も、その先代の勇者も、そのまた先代の勇者も、魔族との戦いで命を落としている。
いくつもの国が滅び、夥しいほどの血が流れ、人が死んだ。
そしてそれはきっと、魔族も同じだ。その一端を担っていたからこそ、よく分かる。
人間と魔族は、お互いに血を流しすぎて、お互いに相手を憎みすぎた。
自分の親や恋人の敵を、客人として家に招けるはずがないのだ。
俺がすべてを口にするまでもなく相手も頷くのが、なによりの証拠だ。
「……はい。対外的なこともあるし、魔物のほうもまだまだ人間嫌いばかりで……言葉の壁のことも込みで、話し相手になりそうなのが殆どいないものですから」
「……俺の暇潰し相手をするために、わざわざ?」
「それもありますけど……私も、その、楽なので。勇者さんと話すの。ようは、体のいいサボり口実ですね。対外的には執務の一部と言うか、『人間への理解を深めるため』としていますが」
「まあ、実際は飯を食いに来てるだけだけどな、お前」
「うぐ……そ、それは、その、否定できませんけどぉ……」
そうなのだ。
この女、細っこい見た目をしているわりにはよく食べる。
はじめてこの部屋に来たときもそうだった。魔王がなにか喋る前に、俺が作った昼飯を見て、コイツの腹の音が響いた。
それがなんだかおかしくて、俺は魔王と食事をした。それ以来、魔王はやたらと俺の部屋に来て食事をしたがる。
魔王は困ったように眉根を寄せて長耳を何度か揺らすと、小さく溜め息を吐いて、
「……どうしても、勇者さんが来るなって言うなら、もう来ませんよ」
「…………」
「私のことを恨んで、恨み言のひとつも言えば気も紛れるかなって……そう思って来てるのも、ありますけど……顔を見るのもホントは嫌だっていうなら、遠慮なく言ってくださればと思います」
「んー、いや……別に、お前のこと恨んだりはしてないぞ」
来ても良いのかと問いかけているのは、『そんなことをして部下に文句を言われたりしないのか』という心配の方が強い。
俺個人としては恨むどころか、魔王が訪ねてきて暇つぶし相手ができるとさえ思っているくらいだった。
こちらの態度が意外だったのか、魔王は目をぱちくりとさせて、小首を傾げる。
「……前から思ってたんですが、なんでです?」
「好きで勇者になったわけじゃないからなぁ……知ってるか? 勇者ってな、生まれたときにヘソの下に星形のアザがあるやつのことなんだよ」
「……初耳です」
「バカみたいだろ。で、俺はソレがたまたまあって、祭り上げられただけで……なりたくてなった訳じゃないんだ」
子が親を選べないように、俺は自分の生き方を選べなかった。
生まれたときにはもう勇者の証とやらが浮かんでいて、教会で洗礼され、物心がついた頃には重要人物として扱われていた。
宿命だと言われて剣を握り、責務だと思って研鑽し、戦い続ける以外の選択肢は無かった。
「だから別に恨むことでもないな、ってな……たまたま俺が勇者になった時、たまたま人類が降伏しただけなんだ。まあ貧乏くじ引いたなくらいは思うけどよ」
「……ありがとうございます」
「むしろ、恨むとすれば俺を売った国王だな。なんだよアイツ、俺には期待してるとか言ってたくせに……」
「あはは……」
戦争が終わったあの日のことは、まだよく覚えている。
俺は終戦の報を聞いて、なにが起きたのかと城に戻ろうとしたところで、人間の軍に囲まれた。同じ人間を攻撃できるはずもなく、俺は無抵抗で捕まったのだ。
既に人類が劣勢であることを理解していた俺は、あれが魔族によって降伏を迫られてやむを得ずにやったことだと思っていたのだが、実際は国王が俺を売るためにしたことだったらしい。地味にショックだ。
「それに俺だって、魔族を結構殺してるしな……俺から見れば、お前が俺を恨んでないのだって不思議だよ。結局、俺一人じゃ大局は動かせなくて人類負けたけど……幹部格も何人か殺ったんだぞ?」
「それはお互い様じゃないですか。どっちもがどっちもを殺してるんです。それでお互い憎んで……じゃあいつになったら、その戦いを止めるんですか?」
「それ、は……そう、だな」
相手の言葉があまりにも真っ直ぐで、俺は面食らった。
幼少から倒すべき邪悪だと教えられてきた魔族の長が、純粋すぎるほどに綺麗で、正しいと思えてしまうような言葉を口にしてきて、驚いたのだ。
「……いや、本当に正論だな。お前マジで魔王なのか?」
「ちゃんと魔王ですって。ただ、私も疲れたんですよね……『死ね魔王!』って意気揚々とやって来た人たちを殺すのも、『魔王様! 今日は人間をたくさん殺しました!』なんてニコニコ報告する部下を見るのも……だからちょっと本気になって人間界を攻撃して、良いとこで降伏勧告したんですよ」
「……なるほどな」
疲れたと、そう語る相手の目はどこか寂しくて。
嘘には、到底思えなかった。
「実際のところ、その攻撃でどちらともに人は死に、人間側が負けたことで人間は魔族から迫害されたりするので……その、完全に平和とはいきませんけど……でも、不当な扱いや、奴隷化の禁止はちゃんと法律にしてあるので、ゆっくりでも人間の皆さんが暮らしやすい世の中にしていきたいとは思ってます」
「……そうやって人格者だから、嫌うに嫌えないんだよな」
「勇者さん、これは人格者であるとか、そうでないとかではありません。勝者の義務ですよ。何もかも奪うのでは、獣と……いえ、獣以下ですから」
「……そうだな。ところで、食べないのか? 冷めるぞ?」
「勇者さんが席につくの待ってるんです。気分はお預けされたワーウルフなので、なるべく早くしてください」
「そうか。じゃ、少し待て。フライパン洗ったらそっち行くから」
さっきまで良いことを言っていたとは思えないほど飢えた目でこちらを見つめられて、俺は溜まらず吹き出したのだった。
有能な為政者か、ただの腹ペコ女なのか、まだまだ判別はつきそうに無い。
けれど少なくとも、俺にはこの女のことを、邪悪で恐ろしい魔族の王だとはとても思えなかった。
「最近それ、挨拶みたいになってないか」
元から多めに作ってあった料理を魔王の分まで取り分けながら一応突っ込みを入れてみると、魔王は長い耳をぴこんぴこんと動かしながら小首を傾げて、
「……ええと、おはようございます?」
「いや、ちゃんとした挨拶をしてほしいわけじゃなくてな……というか、この間も言ったけど、お前魔王なんだろ? 捕虜とはいえ勇者にほいほい会いに来て、本当に良いのか?」
正直見目の話だけをすれば、目の前の相手はとても魔王には見えない。
長い耳は魔族の証ではあるが、(胸以外は)華奢で、少女のように警戒心が薄く、今だって距離が結構近い。
「ええと……確かに対外的には、勇者さんは魔族の捕虜です。ですが、私は勇者さんのことを人質とか生け贄とか思っていません。そもそも、そんなものいりませんって、ちゃんと断ったんですよ? なのに人間の国王が無理矢理に勇者さんを押し付けてきたんです」
「え、そうだったのか!?」
めちゃくちゃ初耳だった。俺、いつの間にか裏切られてた。
「はい。降伏勧告しに人間のお城に行ったら、『頼む! 勇者を差し出すから命だけは勘弁してくれ!!』って土下座されました」
「マジかよ……あのジジイ……」
「いらないって言ったんですけど、命乞いとゴメンナサイの嵐で……部下とか娘さんの目の前でひたすらソレをやられて、同じ為政者としてちょっと、その……憐れになりまして」
「泣き落としの押し売りかよ」
「結局こっち側の対外的なものもあって、『人類敗北、魔王軍全面勝利』の証として、こうして勇者さんには『捕虜』として、魔王城で窮屈な思いをさせてしまって……申し訳ないとは思ってます」
「いや、別に良いんだけどな……もう慣れたし、というか、窮屈って感じでもないし……」
部屋の中での自由は保障されている上に、命を狙われるようなこともなく、痛めつけられたりもしない。
魔王が先ほど言ったように、俺の扱いは捕虜と言うよりは、客人に近かった。
「あはは、そう言ってもらえると、私も気が楽になります……」
ほっとした様子の魔王に水を差し出すと、彼女は丁寧にこちらにお礼を言ってからグラスの中身を飲み干した。
……うわぁ、毒とか全然警戒してないぞ、コイツ。
こういう態度を取られると相手が明らかに本気だと分かってしまうので、こちらも責めたいと思えなくなってしまう。
「それはそれとして、なんでお前は俺のところにしょっちゅう顔を出すんだ?」
「さっきも言いましたけど、私は勇者さんを人質だなんて思ってません。客人として扱いたいと思ってます」
「……そりゃ無理な話だろう」
少し考えなくても分かることだ。
人間と魔族の戦争は、俺が生まれる何百年も前から続いている。
俺の先代の勇者も、その先代の勇者も、そのまた先代の勇者も、魔族との戦いで命を落としている。
いくつもの国が滅び、夥しいほどの血が流れ、人が死んだ。
そしてそれはきっと、魔族も同じだ。その一端を担っていたからこそ、よく分かる。
人間と魔族は、お互いに血を流しすぎて、お互いに相手を憎みすぎた。
自分の親や恋人の敵を、客人として家に招けるはずがないのだ。
俺がすべてを口にするまでもなく相手も頷くのが、なによりの証拠だ。
「……はい。対外的なこともあるし、魔物のほうもまだまだ人間嫌いばかりで……言葉の壁のことも込みで、話し相手になりそうなのが殆どいないものですから」
「……俺の暇潰し相手をするために、わざわざ?」
「それもありますけど……私も、その、楽なので。勇者さんと話すの。ようは、体のいいサボり口実ですね。対外的には執務の一部と言うか、『人間への理解を深めるため』としていますが」
「まあ、実際は飯を食いに来てるだけだけどな、お前」
「うぐ……そ、それは、その、否定できませんけどぉ……」
そうなのだ。
この女、細っこい見た目をしているわりにはよく食べる。
はじめてこの部屋に来たときもそうだった。魔王がなにか喋る前に、俺が作った昼飯を見て、コイツの腹の音が響いた。
それがなんだかおかしくて、俺は魔王と食事をした。それ以来、魔王はやたらと俺の部屋に来て食事をしたがる。
魔王は困ったように眉根を寄せて長耳を何度か揺らすと、小さく溜め息を吐いて、
「……どうしても、勇者さんが来るなって言うなら、もう来ませんよ」
「…………」
「私のことを恨んで、恨み言のひとつも言えば気も紛れるかなって……そう思って来てるのも、ありますけど……顔を見るのもホントは嫌だっていうなら、遠慮なく言ってくださればと思います」
「んー、いや……別に、お前のこと恨んだりはしてないぞ」
来ても良いのかと問いかけているのは、『そんなことをして部下に文句を言われたりしないのか』という心配の方が強い。
俺個人としては恨むどころか、魔王が訪ねてきて暇つぶし相手ができるとさえ思っているくらいだった。
こちらの態度が意外だったのか、魔王は目をぱちくりとさせて、小首を傾げる。
「……前から思ってたんですが、なんでです?」
「好きで勇者になったわけじゃないからなぁ……知ってるか? 勇者ってな、生まれたときにヘソの下に星形のアザがあるやつのことなんだよ」
「……初耳です」
「バカみたいだろ。で、俺はソレがたまたまあって、祭り上げられただけで……なりたくてなった訳じゃないんだ」
子が親を選べないように、俺は自分の生き方を選べなかった。
生まれたときにはもう勇者の証とやらが浮かんでいて、教会で洗礼され、物心がついた頃には重要人物として扱われていた。
宿命だと言われて剣を握り、責務だと思って研鑽し、戦い続ける以外の選択肢は無かった。
「だから別に恨むことでもないな、ってな……たまたま俺が勇者になった時、たまたま人類が降伏しただけなんだ。まあ貧乏くじ引いたなくらいは思うけどよ」
「……ありがとうございます」
「むしろ、恨むとすれば俺を売った国王だな。なんだよアイツ、俺には期待してるとか言ってたくせに……」
「あはは……」
戦争が終わったあの日のことは、まだよく覚えている。
俺は終戦の報を聞いて、なにが起きたのかと城に戻ろうとしたところで、人間の軍に囲まれた。同じ人間を攻撃できるはずもなく、俺は無抵抗で捕まったのだ。
既に人類が劣勢であることを理解していた俺は、あれが魔族によって降伏を迫られてやむを得ずにやったことだと思っていたのだが、実際は国王が俺を売るためにしたことだったらしい。地味にショックだ。
「それに俺だって、魔族を結構殺してるしな……俺から見れば、お前が俺を恨んでないのだって不思議だよ。結局、俺一人じゃ大局は動かせなくて人類負けたけど……幹部格も何人か殺ったんだぞ?」
「それはお互い様じゃないですか。どっちもがどっちもを殺してるんです。それでお互い憎んで……じゃあいつになったら、その戦いを止めるんですか?」
「それ、は……そう、だな」
相手の言葉があまりにも真っ直ぐで、俺は面食らった。
幼少から倒すべき邪悪だと教えられてきた魔族の長が、純粋すぎるほどに綺麗で、正しいと思えてしまうような言葉を口にしてきて、驚いたのだ。
「……いや、本当に正論だな。お前マジで魔王なのか?」
「ちゃんと魔王ですって。ただ、私も疲れたんですよね……『死ね魔王!』って意気揚々とやって来た人たちを殺すのも、『魔王様! 今日は人間をたくさん殺しました!』なんてニコニコ報告する部下を見るのも……だからちょっと本気になって人間界を攻撃して、良いとこで降伏勧告したんですよ」
「……なるほどな」
疲れたと、そう語る相手の目はどこか寂しくて。
嘘には、到底思えなかった。
「実際のところ、その攻撃でどちらともに人は死に、人間側が負けたことで人間は魔族から迫害されたりするので……その、完全に平和とはいきませんけど……でも、不当な扱いや、奴隷化の禁止はちゃんと法律にしてあるので、ゆっくりでも人間の皆さんが暮らしやすい世の中にしていきたいとは思ってます」
「……そうやって人格者だから、嫌うに嫌えないんだよな」
「勇者さん、これは人格者であるとか、そうでないとかではありません。勝者の義務ですよ。何もかも奪うのでは、獣と……いえ、獣以下ですから」
「……そうだな。ところで、食べないのか? 冷めるぞ?」
「勇者さんが席につくの待ってるんです。気分はお預けされたワーウルフなので、なるべく早くしてください」
「そうか。じゃ、少し待て。フライパン洗ったらそっち行くから」
さっきまで良いことを言っていたとは思えないほど飢えた目でこちらを見つめられて、俺は溜まらず吹き出したのだった。
有能な為政者か、ただの腹ペコ女なのか、まだまだ判別はつきそうに無い。
けれど少なくとも、俺にはこの女のことを、邪悪で恐ろしい魔族の王だとはとても思えなかった。