【祝コミカライズ】魔王が俺の部屋に飯を食いに来るんだが~腹ペコ魔王と捕虜勇者~

 肉が焼ける香ばしさに、出汁の柔らかな匂い。
 調理中特有の空腹を誘う空気に包まれながら、俺は出来上がったものを皿へと並べる。

「ん、我ながら美味しそうにできたんじゃないか」

 自画自賛だが、ひとりで暮らしている身分としてはそれが大事だとも思う。俺しか俺を褒める人がいないからだ。
 スパイスを振って肉を焼いたものと、その肉の骨で出汁を取り、たっぷりの野菜を入れたスープ。
 あとは昨日多めに焼いて取り置いておいたパンを合わせれば、独り身にしては豪華だと思う食事が完成する。

 水を用意し、椅子に座り、手を合わせ、いざ――

「――ん」

 食事を始める寸前に、その音は響いてきた。
 決して大きくは無く、しかし明らかに急ぎだと分かる足音は、徐々に近づいてきて、最後は俺の部屋の前で止まり、

「勇者さん、お腹が空きました!」
「……またか」

 だぁん、と派手な音を響かせて、扉が開かれた。
 片手を上げたポーズの相手は、美女だった。
 新雪の輝きを閉じ込めたかのような銀髪に、不思議な文様めいた輝きを宿した紫色の瞳。
 すっきりと整った顔立ちは『綺麗』と評価できるものだが、邪気の無い笑顔は少女のようなあどけなさも備えている。
 胸の谷間がやたらと開いている上に、太ももにスリットまで入っているローブのような格好はひどく目の毒だが、最近はようやく見慣れてきたと思う。
 遠慮無く入ってきた相手は、人間よりもずっと長い両耳を、犬の尻尾のようにぴこぴこと動かして、

「あ、丁度良かった。今からご飯だったんですね。私もいただいて良いですか?」
「まあ、スープもパンも量があるし、肉を半分にしても充分満足できるだろうが……」

 きらきらと模様の入った目を輝かせる相手を見て、俺は自分の頭をかいた。

「……なあ、良いのか、お前」
「え、なにがですか? お仕事ならちゃんと終わらせてきましたけど……」
「いや、だからな。……ここ、独房。俺、勇者。で、お前は魔界の女王。問題ありすぎる組み合わせだろ、これ」

 そう。俺はかつて、勇者と呼ばれていた。
 しかし今、俺が住んでいるのは魔王城の独房で、目の前の相手はその魔王だ。
 人類は、魔族との戦争に敗北したのだ。その証として、俺はここにいる。

「確かにここは独房ということになっていますけど、それは建前ですよ。実際にはちゃんとした部屋でしょう?」
「まぁ、風呂は広いし、トイレは綺麗、ベッドはフカフカで、オーブンつきの調理場までついてる独房ってのは、フツーないだろうが」

 これで独房というのは少々無理があると思う。
 外に出て誰かと会ってはいけないということ以外は、一般的どころか、それよりも良いくらいの住まいで、俺は戦争が終わったあとの日々を過ごしていた。

「……まあ、いいか。とりあえず座ってろ、お前の分も用意してやるから」
「えへへ、やったぁ♪ ……ところで、今日の献立はなんですか?」
「ん? ……なんかよく分からん肉をよく分からんスパイスで焼いたのと、野菜らしきものを適当にぶち込んだスープだよ」

 めちゃくちゃ適当な答えだと自分でも思うが、実際にそうなので他に言い様がない。
 魔界の食材の名前なんて、分かるはずが無いのだから。

「というか味どころか食えるかどうかも分からん……スープは味見したしパンは昨日も食べたから大丈夫だろうが、肉はどんな味がするかさっぱり想像できん……」
「ええっと……一応食べられないものは届けていないので、大丈夫だと思いますよ……?」

 こんな感じで、戦後の俺は過ごしていた。
 それは想像よりも少し違っていて、けれど悪くはないと思えるのだった。
「勇者さんお腹空きました!」
「最近それ、挨拶みたいになってないか」

 元から多めに作ってあった料理を魔王の分まで取り分けながら一応突っ込みを入れてみると、魔王は長い耳をぴこんぴこんと動かしながら小首を傾げて、

「……ええと、おはようございます?」
「いや、ちゃんとした挨拶をしてほしいわけじゃなくてな……というか、この間も言ったけど、お前魔王なんだろ? 捕虜とはいえ勇者にほいほい会いに来て、本当に良いのか?」

 正直見目の話だけをすれば、目の前の相手はとても魔王には見えない。
 長い耳は魔族の証ではあるが、(胸以外は)華奢で、少女のように警戒心が薄く、今だって距離が結構近い。

「ええと……確かに対外的には、勇者さんは魔族の捕虜です。ですが、私は勇者さんのことを人質とか生け贄とか思っていません。そもそも、そんなものいりませんって、ちゃんと断ったんですよ? なのに人間の国王が無理矢理に勇者さんを押し付けてきたんです」
「え、そうだったのか!?」

 めちゃくちゃ初耳だった。俺、いつの間にか裏切られてた。

「はい。降伏勧告しに人間のお城に行ったら、『頼む! 勇者を差し出すから命だけは勘弁してくれ!!』って土下座されました」
「マジかよ……あのジジイ……」
「いらないって言ったんですけど、命乞いとゴメンナサイの嵐で……部下とか娘さんの目の前でひたすらソレをやられて、同じ為政者としてちょっと、その……憐れになりまして」
「泣き落としの押し売りかよ」
「結局こっち側の対外的なものもあって、『人類敗北、魔王軍全面勝利』の証として、こうして勇者さんには『捕虜』として、魔王城で窮屈な思いをさせてしまって……申し訳ないとは思ってます」
「いや、別に良いんだけどな……もう慣れたし、というか、窮屈って感じでもないし……」

 部屋の中での自由は保障されている上に、命を狙われるようなこともなく、痛めつけられたりもしない。
 魔王が先ほど言ったように、俺の扱いは捕虜と言うよりは、客人に近かった。

「あはは、そう言ってもらえると、私も気が楽になります……」

 ほっとした様子の魔王に水を差し出すと、彼女は丁寧にこちらにお礼を言ってからグラスの中身を飲み干した。

 ……うわぁ、毒とか全然警戒してないぞ、コイツ。
 
 こういう態度を取られると相手が明らかに本気だと分かってしまうので、こちらも責めたいと思えなくなってしまう。
 
「それはそれとして、なんでお前は俺のところにしょっちゅう顔を出すんだ?」
「さっきも言いましたけど、私は勇者さんを人質だなんて思ってません。客人として扱いたいと思ってます」
「……そりゃ無理な話だろう」

 少し考えなくても分かることだ。
 人間と魔族の戦争は、俺が生まれる何百年も前から続いている。
 俺の先代の勇者も、その先代の勇者も、そのまた先代の勇者も、魔族との戦いで命を落としている。
 いくつもの国が滅び、夥しいほどの血が流れ、人が死んだ。
 そしてそれはきっと、魔族も同じだ。その一端を担っていたからこそ、よく分かる。
 人間と魔族は、お互いに血を流しすぎて、お互いに相手を憎みすぎた。
 自分の親や恋人の敵を、客人として家に招けるはずがないのだ。

 俺がすべてを口にするまでもなく相手も頷くのが、なによりの証拠だ。

「……はい。対外的なこともあるし、魔物のほうもまだまだ人間嫌いばかりで……言葉の壁のことも込みで、話し相手になりそうなのが殆どいないものですから」
「……俺の暇潰し相手をするために、わざわざ?」
「それもありますけど……私も、その、楽なので。勇者さんと話すの。ようは、体のいいサボり口実ですね。対外的には執務の一部と言うか、『人間への理解を深めるため』としていますが」
「まあ、実際は飯を食いに来てるだけだけどな、お前」
「うぐ……そ、それは、その、否定できませんけどぉ……」

 そうなのだ。
 この女、細っこい見た目をしているわりにはよく食べる。
 はじめてこの部屋に来たときもそうだった。魔王がなにか喋る前に、俺が作った昼飯を見て、コイツの腹の音が響いた。
 それがなんだかおかしくて、俺は魔王と食事をした。それ以来、魔王はやたらと俺の部屋に来て食事をしたがる。

 魔王は困ったように眉根を寄せて長耳を何度か揺らすと、小さく溜め息を吐いて、

「……どうしても、勇者さんが来るなって言うなら、もう来ませんよ」
「…………」
「私のことを恨んで、恨み言のひとつも言えば気も紛れるかなって……そう思って来てるのも、ありますけど……顔を見るのもホントは嫌だっていうなら、遠慮なく言ってくださればと思います」
「んー、いや……別に、お前のこと恨んだりはしてないぞ」

 来ても良いのかと問いかけているのは、『そんなことをして部下に文句を言われたりしないのか』という心配の方が強い。
 俺個人としては恨むどころか、魔王が訪ねてきて暇つぶし相手ができるとさえ思っているくらいだった。
 こちらの態度が意外だったのか、魔王は目をぱちくりとさせて、小首を傾げる。
 
「……前から思ってたんですが、なんでです?」
「好きで勇者になったわけじゃないからなぁ……知ってるか? 勇者ってな、生まれたときにヘソの下に星形のアザがあるやつのことなんだよ」
「……初耳です」
「バカみたいだろ。で、俺はソレがたまたまあって、祭り上げられただけで……なりたくてなった訳じゃないんだ」

 子が親を選べないように、俺は自分の生き方を選べなかった。
 生まれたときにはもう勇者の証とやらが浮かんでいて、教会で洗礼され、物心がついた頃には重要人物として扱われていた。
 宿命だと言われて剣を握り、責務だと思って研鑽し、戦い続ける以外の選択肢は無かった。
 
「だから別に恨むことでもないな、ってな……たまたま俺が勇者になった時、たまたま人類が降伏しただけなんだ。まあ貧乏くじ引いたなくらいは思うけどよ」
「……ありがとうございます」
「むしろ、恨むとすれば俺を売った国王だな。なんだよアイツ、俺には期待してるとか言ってたくせに……」
「あはは……」

 戦争が終わったあの日のことは、まだよく覚えている。
 俺は終戦の報を聞いて、なにが起きたのかと城に戻ろうとしたところで、人間の軍に囲まれた。同じ人間を攻撃できるはずもなく、俺は無抵抗で捕まったのだ。
 既に人類が劣勢であることを理解していた俺は、あれが魔族によって降伏を迫られてやむを得ずにやったことだと思っていたのだが、実際は国王が俺を売るためにしたことだったらしい。地味にショックだ。

「それに俺だって、魔族を結構殺してるしな……俺から見れば、お前が俺を恨んでないのだって不思議だよ。結局、俺一人じゃ大局は動かせなくて人類負けたけど……幹部格も何人か殺ったんだぞ?」
「それはお互い様じゃないですか。どっちもがどっちもを殺してるんです。それでお互い憎んで……じゃあいつになったら、その戦いを止めるんですか?」
「それ、は……そう、だな」

 相手の言葉があまりにも真っ直ぐで、俺は面食らった。
 幼少から倒すべき邪悪だと教えられてきた魔族の長が、純粋すぎるほどに綺麗で、正しいと思えてしまうような言葉を口にしてきて、驚いたのだ。

「……いや、本当に正論だな。お前マジで魔王なのか?」
「ちゃんと魔王ですって。ただ、私も疲れたんですよね……『死ね魔王!』って意気揚々とやって来た人たちを殺すのも、『魔王様! 今日は人間をたくさん殺しました!』なんてニコニコ報告する部下を見るのも……だからちょっと本気になって人間界を攻撃して、良いとこで降伏勧告したんですよ」
「……なるほどな」

 疲れたと、そう語る相手の目はどこか寂しくて。
 嘘には、到底思えなかった。

「実際のところ、その攻撃でどちらともに人は死に、人間側が負けたことで人間は魔族から迫害されたりするので……その、完全に平和とはいきませんけど……でも、不当な扱いや、奴隷化の禁止はちゃんと法律にしてあるので、ゆっくりでも人間の皆さんが暮らしやすい世の中にしていきたいとは思ってます」
「……そうやって人格者だから、嫌うに嫌えないんだよな」
「勇者さん、これは人格者であるとか、そうでないとかではありません。勝者の義務ですよ。何もかも奪うのでは、獣と……いえ、獣以下ですから」
「……そうだな。ところで、食べないのか? 冷めるぞ?」
「勇者さんが席につくの待ってるんです。気分はお預けされたワーウルフなので、なるべく早くしてください」
「そうか。じゃ、少し待て。フライパン洗ったらそっち行くから」

 さっきまで良いことを言っていたとは思えないほど飢えた目でこちらを見つめられて、俺は溜まらず吹き出したのだった。
 有能な為政者か、ただの腹ペコ女なのか、まだまだ判別はつきそうに無い。
 けれど少なくとも、俺にはこの女のことを、邪悪で恐ろしい魔族の王だとはとても思えなかった。
「勇者さん、勇者さん」
「ん、飯か?」

 くいくいと袖を引っ張られて、俺は洗濯物を畳む手を止めて相手の方を見た。
 なぜかやたらと俺の部屋に入り浸る魔界の女王は、俺の言葉にこくこくと頷いて、


「はい、そろそろお腹が空きました」
「わかったわかった。もう少し待ってろ」

 この間まで敵対していた種族の大ボスが食事をねだって来るという状況に何度目か分からないおかしさを感じながら、俺は洗濯物を片付け終える。
 そのままの流れでキッチンへと向かうと、魔王は上機嫌に耳を揺らした。

「えへへ、お願いしますね」
「…………」
「? どうしたんですか、私の顔になにかついてます?」
「いや、本当に魔王なのかと思ってな……」
「もー。また疑ってるんですか? 何度も言ってるじゃないですか、私が魔界を総べる女王、魔族最強の女ですよ……あいあむなんばーわん、ですっ」
「だってお前、ぜんっぜん魔王っぽくないしなぁ」

 そもそも、魔界の王という存在を俺は男だと思っていた。
 強大な魔族たちを総べる最強の存在と言われて、女だと思うものは少ないだろう。
 それもいざ出会ってみれば驚くほど可憐で、話してみるとどこか抜けているけれど為政者としてはむしろその辺の人間よりずっとまともなのだ。

 驚くほど魔王っぽくない魔王は、俺の言葉に少しだけ考えるような素振りをして、

「でも、人間っぽくもないでしょう? 見てください、この尖った耳! なんと自由に動きます!」

 まあ、人間の耳はそこまで長くないし、そんなにピコピコも動かないだろうが。

「キラリと光る八重歯! どんなに硬いお肉だってかみ切れます!」

 確かに、人間の犬歯にしては鋭い。あと、歯並び良いなコイツ。

「さらさらの銀髪! 毎日お手入れしていますよ!」

 いや、それは人間にもいる。お前くらい綺麗なのは見たこと無いが。

「そしてなにより、魔の紋章を宿した瞳! 魔王アイは魔法力!!」

 その文言はよく分からないが、確かに人間の目にはそんな風に紋は浮かび上がらない。何度見ても、不思議な目だ。

「……ね? 人間には見えないでしょう?」
「そりゃ、ただの人間には見えないけどな……でも四肢があって、指が五本で……体つきはフツーに女だし……」
「お、女の子の身体を気安く評価しないでくださいよう」
「あ、ああ、すまん」

 セクハラをするつもりは無かったのだが、確かにそう聞こえなくもない言葉だった。
 自らの身体を抱いて(それはそれで胸が強調されるが)恥ずかしそうにしている魔王に、俺は素直に頭を下げる。

「いや、でも……魔王のイメージとは、なんか違うなぁって……ほら、もっとこう、ゴリゴリしてたり、ヤバそうなオーラ放ってたりとかさ……」
「人間が勝手に作った『脚色(イメージ)』で話されましても……」
「あー……そりゃそうか。俺もあるからな。『なんか思ってた勇者と違う』みたいに言われたこと」
「お互いに偶像っぽくされてるとこ、ありますよね」
「あるよな……あ、今日は肉多めのスープにするぞ。すぐできるし、良いな?」
「はい、楽しみにしてますよ。……あ、ちなみにこの瞳はですね。私の身体に流れている魔力があまりにも膨大なので、その影響で瞳の中に常に魔法の紋章が現われているのです。魔法を使う際に陣の代わりになりますから、大抵の魔法を無詠唱で唱えられます」
「魔王すげぇな!?」

 見た目は美女でも、間違いなくその実力は魔王らしい。
 戦えなくて残念なような、戦わなくて良かったような。複雑な気持ちで、俺は食材を切り分けて鍋に入れ、魔法で暖炉に火を点けた。
 魔法も封じられていないあたりもう完全に捕虜ではないが、今更なので気にしない。

「しかし、お前なんで俺に飯作らせるんだ? お前、魔王なんだろ? 炊事してくれるやついないのか?」
「魔界でも指折りのシェフを何人か、お抱えにしてますよ?」
「じゃ、俺の飯なんて食わなくてもいいだろ」

 魔界の食材をよく分からないまま雑に調理してる俺より、遙かに美味い食事が出てくるはずだ。
 俺の言葉に、魔王は何度か神妙な顔で頷いて、

「それはそうなんですが……気持ち悪いんですよね」
「なにが?」
「いえ、料理人の魔族たちが……」
「飯じゃなくて相手の好き嫌いかよ」
「だってあの人たち、私の好きな食材を、私の好きな味付けで調理するんですよ!? 火入れも味の濃さも何もかもが完璧で、私が苦手なものは一切出さない! それで、『魔王様、お味はいかがでしょう』って、美味しい以外どう言えって言うんですか!?」
「……確かに、それは気持ち悪いかもな。なんか一方的に、自分のことを全部把握されてる感じがする」

 よく知らない相手に自分の好みを把握されている、というのは確かに、想像するとちょっと恐ろしいような気もする。
 同意されたことが嬉しいのか、魔王は紫色の瞳をらんらんと輝かせ、何度も頷きながらこちらに身を乗り出してきた。近い、近い。キッチンに入るな、火元と胸元が近い。
 
「でしょう? しかも私に取り入る気満々というのがまた……疲れるんですよね。ご飯食べるだけで、なんで疲れなきゃいけないんですか。しかも毎食毎食一人でモソモソ寂しく食べてますし。ゴマするくらいなら話し相手になってくれた方が好感度あがるのに!」
「あー、その、なんだ……魔王も大変だな」

 適当に相づちを打ちながら、俺は魔王の胸元からそっと目線を外した。

「立場ってものがありますからね……だから、勇者さんのご飯が好きなんですよ。味はまちまちで、素朴で、たまに私の嫌いなものが出てきて、でも、一緒に食べてくれて……なんて言うか、『温度』を感じるんですよね」
「……そうか」

 あたたかい食事だと、一緒に食べるのが嬉しいと言われれば、悪い気はしない。例え相手が魔王で、かつての敵だとしても。
 照れくささを誤魔化すようにして、俺は鍋をかき混ぜた。

「……まあ、その、そろそろ出来るぞ、座ってろ」
「はーい。……あ、これ私の嫌いなやつ入ってる」
「そうか、俺は知らねぇから食うぞ」

 ただでさえよく分からないものを調理しているのだ。よく分からない女の好き嫌いなんて、分かるはずも無い。

「どーぞ。私も避けて食べますから」

 嫌いなものが入っていても文句を言うことなく、むしろどういうわけか上機嫌で魔王は笑った。
 そうして、本日もぼんやりと、なんとなく、一日が過ぎていった。

「勇者さん、今日のご飯はなんですか?」

 もはやいつも通りになった魔王の訪問。
 突っ込む気も最近は失せてきたので、俺は素直に答えることにした。

「よく分からない肉のオーブン焼き。オーブンにはもう入れてあるから、できるまで待つだけだぞ。付け合わせももうできてるし」

 見た目的に鶏肉っぽいと思うのだが、やはり何の肉なのかはよく分からない。
 この間ふつうに焼いて食べてみたら鶏肉にしては油が強く、フライパンよりはオーブンで焼いた方が余分な油が落ちるのでは無いかと思い、今回はその試作だ。
 脂っ気の強さを和らげるための香草もいくつか添えているが、それもよく分からない、なんだか良い匂いのする草、という感じだ。支給される以上、幻覚作用とかはない、はずである。

「それじゃ勇者さん、待ち時間に魔界チェスしましょう!」
「……なんだその、魔界チェスって」

 なぜかどこからともなく、テーブルに大きなボードとコマが現われた。
 どこから出したんだ、と思うが、相手は魔王なのだ。たぶんなにか、魔法でも使ったのだろう。

「魔界のテーブルゲームですよ。人間界のチェスに似てるんです」
「ふーん……」
「ホントはもっと違う名前なんですけど、発音できませんからね」
「発音できない、って……どんな名前なんだそれは」
「えっと……□▼◆◆◎▲●▽……です」
「……は?」

 耳に聞こえてきた言葉を、俺は認識できなかった。
 口にするどころか、文章にするのも不可能な、不思議な響き。あえて言葉にしようとすると、舌がもつれてしまいそうな、自分の聴覚がおかしくなってしまったのではないだろうかと不安になるような言葉。

「だから、□▼◆◆◎▲●▽……ですってば」
「……全然聞き取れなかった。ほにゃ、りき……なんだって?」
「それはそうでしょう。魔界語ですからね」
「魔界語!?」
「はい。魔界の標準言語ですよう」
「そんなもんあるのかよ……」
「人間界とは文化も人も違いますからね。当然言葉も違います。あと、今勇者さんに聞こえたのも正しくはありませんよ。魔界語は、人間が聞き取れないくらいの周波数の音も使うので……ですから勇者さんに解りやすいように、魔界チェスって言ったんです」

 説明されると確かに納得はできる。
 人類と魔族。この二種族はそれぞれ、違う世界で暮らしていた。
 人界と魔界、ふたつの世界は『門』によって繋がっており、お互いにそれを通じて相手の世界へと戦争を仕掛けていたのだ。
 種族どころか世界が違うなら、言語は違っていて当然というのは、言われてみるとむしろ当たり前だと思えた。

 「そうなのか……って、じゃあお前がフツーに喋ってるのって……人間の言葉、勉強したのか?」
「そうですよ。言葉が通じないと降伏勧告どころか、意志疎通が出来ませんからね……前も言ったじゃないですか、言葉の壁があるって」
「そういう意味も込みだったのか……流暢すぎて、魔界でも人型のやつはこの言語なのかと勝手に勘違いしてたわ」
「勉強は得意なんですよ。人間語も、喋るだけなら三時間でマスターしましたし」

 えへん、と魔王は胸を張る。揺れた。目を逸らした。

「……げ、言語を三時間で覚えるって相当なもんだぞ」
「カタコトでしたけどね。今では結構すらすら話せてるので、たぶん勇者さんに失礼はないと思います」
「失礼もなにも、魔界語なんて言葉があることも気づいてなかったくらいだ。……あ」
「どうしました?」
「いや、今まで戦った魔族がいろんな鳴き声というか、奇声出してたのって、実は魔界語で『死ね』とか言ってたのかなって思って」
「たぶんそうですね。通じてないから意味ないですけど」

 言葉が通じるって大事だなと、しみじみ思いながらオーブンに目をやると、のぞき窓の向こうではなんだかよく分からない肉が良い感じに焼けてきていた。

「……お、そろそろ出来るぞ」
「そうですか。じゃあ魔界チェスはご飯食べてからにしましょう」
「ちゃんとルールから教えてくれよ」
「お任せください」

 似ていると言っても、魔界の遊び道具。
 もしかすると言語と同じように、人間のチェスとは全然違うかも知れない。

「……まあ、ちょっと楽しみかもな」
「なにか言いましたか、勇者さん?」
「なんでもねえよ。ほら、用意してやるからそこに座ってろ」
「えへへ、はーい」

 上機嫌に耳を揺らして笑顔の魔王に、俺は今日も食事を提供することにした。
 せっかく遊び道具を持ってきてくれたのだから、肉は多めに取り分けてやろう。

「しかしお前も魔王の公務も山積みだろうに、わざわざ俺に気を使って、大変だな」
「まあ忙しいは忙しいですけど、これは私が好きでやってることですから」
「そうか。まあ、それでもそのお陰で、こうして捕虜だっていうのにいい待遇で暮らせてるからな……その、なんだ。おつかれさん、魔王」
「……えへへ、ありがとうございます、勇者さん」

 へにゃ、と耳を下げて笑う魔王に、どこか照れくささを感じながら、俺は大盛りの皿を彼女の前に置いた。
 魔王である私は当然、魔王城に住んでいる。
 つまり家がそのまま職場で、私は常に『魔族たちの王』として振る舞わなければならない。

「それでですね、勇者さんがそのときに……」
「最近の魔王様は、勇者様にご執心ですね」
「う……だ、だって勇者さん、すっごくいい人なんですよ。この間だって、私に多めにご飯取り分けてくれて……そ、その、お、お疲れさんって言ってくれたんです……えへ、えへへ……」

 そんな私でも、魔族で唯一、本音で話せる相手がいる。
 それは私が魔界を統治する前から付き従ってくれている側近、メイドちゃん。
 側近の中でも最上位の戦闘力と、最高の御奉仕力を持つ彼女は、長く私の侍女として身の回りのお世話や護衛を務めてくれている。

 勇者さんとのあれこれをメイドちゃんに報告するのが、最近の私の日課だ。

「お疲れなんて、魔王様はいつも言われているじゃないですか」
「上っ面のご機嫌取りのお疲れ様ですと、勇者さんのお疲れさんはぜんっぜん違うんですよ」
「……私は上っ面のご機嫌取りで、お疲れ様ですとは言っていませんが?」
「知ってますよ。だから、勇者さんとメイドちゃんは特別です」
「……そう言われると、私はまったく勇者様のことを嫌えなくなってしまいますね」

 くすりと笑う彼女は、私よりずっとクールで、格好いい女性だと思う。
 魔族の中でも特に魔力の高い夢魔という存在の彼女は、褐色の肌を貞淑な侍女服に包み、立派なツノはフリル付きのカチューシャで飾られている。
瞳は赤くてシャープで、髪は金色で私とは正反対。女の私から見ても魅力に溢れていると思う。

「……メイドちゃんは、私が人間たちを奴隷や家畜にしていないことについて、どう思いますか?」
「……個人的な意見でよろしいのなら、正直に言ってあまり良い手ではないと思います」
「う、ですよね……」

 思ったことをすっぱりと言ってくれるところも好きだ。
 否定されたらもちろん落ち込みはするけれど、それでも私に気を使ったりゴマすり目的でヨイショされたり、自分の利益だけを考えて騙そうとしてくるよりも、ずっと信頼できる。

「私たちは人類と長く戦い続けました。ゆえに恨みは多く、捌け口を求めるものたちが一定存在することは、否定できません」
「……はい」
「一部の武闘派からは否定的な声しか聞きませんし、そうでなくとも魔界は基本が弱肉強食。敗者を守ろうとする魔王様の姿勢はいらぬ誤解をうみます」
「まあ、舐められますよねー」
「ですが、個人的には好きです。魔王様のそういうところを支えたくて、私は側近をしていますから。……貴方らしいので、良いと思います」
「……ありがとうございます、メイドちゃん」

 心からのお礼を言うと、メイドちゃんはまた、クールに微笑んだ。

「重ねて個人的なことを言うと、最近の色ボケ魔王様はドチャクソかわいいので、勇者様もっともっとって感じです」
「んん……!?」

 おかしい。なんか今、クールさの欠けらも無いような感じのセリフが聞こえた気がする。

「ま、待ってくださいメイドちゃん。私と勇者さんは、別にそういうんじゃなくてですね?」
「あら、そうだったのですか。私はてっきり、ふたりがデキているのだとばかり」
「デキ……!? で、できてません! ま、まだ手も握ってません!」
「まだ……なるほど……?」

 なんでちょっと疑った目をするんですか!?
 どうやら誤解があるようなので、私は改めてメイドちゃんに向き合うと、こほん、と咳払いで前置きをしてから、

「良いですか、メイドちゃん。私は勇者さんのお部屋で人界のあれこれを聞いて、統治の指針をですね……」
「おうちデートで相手の理解を深めているのですね?」
「っ、ち、ちがっ……た、ただ一緒にご飯食べてるだけです!」
「おうちデートじゃないですか。ちゅーはいつするんです?」
「っ、も、もうっ、もうっ! だから違うって言ってるのに! 私は魔王、あの人は勇者さんなんですよ!」
「ふたりが結婚したら、両種族の歩み寄りとして良いアピールになると思うのですが」
「けっ、けっこ、そ、そんな、そんなことになったら大変じゃないですか!」
「大変なんですか?」
「だ、だっておはようからおやすみまで勇者さんと一緒だなんて、そんなっ……そん、な……」

 そんなことになったら、どうなってしまうんだろう。
 朝は勇者さんの声で優しく起こされて、時には私が先に起きて彼を起こして、一緒にご飯を食べて、もしかしたら公務だってふたりでこなしてしまったりして。
 夜はふたりで同じベッドで、手を繋いで笑いあって、ううん、もっと凄いことを――

「――魔王様、満更でもないみたいですが」
「ままままま満更でもないことないです!」
「あら、それじゃあ勇者様は魔王様から見て魅力がないと……」
「そんなことありません! 勇者さんは素敵な人です! たまに笑った顔とかすごくカッコイイですし、ぶっきらぼうな言い方するけど優しい人なんですから!!」
「……主人が面白い……ぷっ……」
「なんで笑うんですか!? と、とにかく、私と勇者さんはそういうんじゃないんです!」
「はいはい、そうですねー、そういうんじゃないんですねー」

 めちゃくちゃ適当に返されている気がするけれど、ここでまた怒ると笑われてしまう気がするので、私はぐっと堪えた。

「も、もう、今日はそろそろ休みますからっ」
「……ええ。おやすみなさまいませ。……魔王様」
「……なんですか、メイドちゃん」
「私は、あなたがどんな判断をしてもお支え致しますよ」
「急に真面目な……分かってますよ、そういうことは」

 私がたったひとり、本当に本音で話せる相手なのだ。
 上司と部下という立場以上の信頼をしているし、彼女だって私を慕ってくれていることはとっくに知っている。

 私の言葉が満足だったのか、メイドちゃんは侍女服の端をつまんで、優雅にお辞儀をする。これは彼女が心から感謝している時にしかしない仕草だ。

「はい。それでは魔王様。おやすみなさいませ。……頑張って勇者様を落としてくださいね?」
「だ、だからそういうんじゃないですってば!」

 文句を言ってやると、メイドちゃんは笑みのままで部屋を出ていった。あれはまだ絶対に勘違いしているので、いずれ正さなくては。

「メイドちゃんったら……違うって言ってるのに……もうっ」

 いなくなった相手に言っても仕方が無いので、私は怒りを納めてベッドへと身を投げ出した。
 メイドちゃんの仕事は今日も完璧で、ふかふかのベッドが全身を優しく包み込んでくれる。

「……勇者さん」

 口にすると、それだけで頭の中にあの人の笑顔が浮かんでくる。 
 ぎゅ、と胸が締め付けられるような感覚に、私は自分の体温が上がるのを感じた。

「っ、ち、違います、これはメイドちゃんが変な事言うから、へ、変に意識してるだけで……う、ううぅっ、メイドちゃんのあほー……」

 温度から逃げるようにして、私は瞼を閉じて、意識を失うことに集中した。
 明日もまた、勇者さんに会えるかな。
「……うーん」

 部屋でひとり、俺は唸った。
 魔王が俺の部屋(どくぼう)に入り浸っていると言っても、それは一日のうちのほんの少しの時間だ。
 実際にはほとんどの時間がこうしてひとりであり、俺はその暇を鍛錬や掃除、料理の研究などで潰している。

 そして今日の俺はというと、机の上に並べられた無数の小ビンの前で考えにふけっていた。
 思い出すのは先日の一件。魔界には専用の言語があるという、魔王の言葉。

「……もしかして、この調味料のビンらしきに書いてある文字、全部魔界語なのか?」

 模様かなにかだと思ってスルーしていたのだが、実際にはこれもちゃんとした文字なんだろうか。
 手近なものをひとつ取ってみるが、もちろんそれで読めるようになるわけでもなく、疑問に応えてくれるであろう魔王も今はいない。

 塩や砂糖、胡椒のようなものもあるにはあるが、もしかするとこれも魔界産のなにかよく分からない品なのかもしれない。正体不明だと思うと、急に使うのが怖くなってくる。

「どうせあの腹ペコ魔王、また来るんだろうし、そのときに聞いてみるか……っと?」

 噂をすれば影、というのが確か人界の東の方にある島の言葉にあったような気がするが、どうやらその通りになりそうだった。
 ぱたぱたとした足音は聞き慣れたもので、そうでなくても勇者の独房に近づいてくるものなんて、ひとりくらいしかいない。
 扉の方へと目を向けて少し待てば、いつも通りに元気よく扉が空けられて、

「勇者さん、お腹すきました!」

 予想通りの相手が、いつも通りに飯をたかりにやってきた。
 上機嫌に耳をふりふり、銀髪をふわふわさせながらこちらに歩み寄ってきた魔王に、俺は軽く手を上げて、

「おう、来たか。なぁ魔王、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「聞きたいこと……どうかしたんですか?」
「この辺りって、魔界の調味料なのか?」

 机の上に並べたビンを指さすと、魔王は軽い調子で頷いた。

「そうですよ。どれも魔界ではごく一般的なものです」
「なるほどなぁ……」

 つまり、よく分からない調味料で確定だった。
 
「それが、どうかしました?」
「いや、文字が読めなかったし、どんな料理にどれくらい使うかわからなくてな……人間界の、俺の知らねぇ国のものかと思ったんだが、魔界のだったか」
「あ……言われてみれば、魔界語が読めなければ、ラベルになにが入ってるのか書いていても、わかりませんよね」
「おう、だからちょっとどういうものなのか、教えて貰おうと思って……って……なにしてるんだ」

 魔王は俺の言葉に頷くと、すぐに深々と頭を下げた。
 銀色の髪が垂れ、床に触れることも気にかけず、魔王は頭を上げずに言葉を作る。

「ご不便をお掛けしました。申し訳ありません」

 丁寧すぎるほどに丁寧な謝罪をされて、さすがに面食らった。
 別に責めているわけでもないし、謝って欲しいとも思っていない。ただ、調味料がどういうものか教えて欲しいだけだったのに、随分と真剣に謝られてしまった。

「……別に、そんなに改まって頭下げなくても良いんだぞ?」
「いえ、客人として扱うとか、言葉の壁があるとか言っておきながら、配慮が足りなかったものですから……下げなければいけません」
「いや、下げなくて良い、むしろ上げてくれ、そっちの方が落ち着かねえよ……」
「……分かりました、勇者さんがそういうなら」

 やや不服そうな顔で、魔王は顔を上げる。

 ……調子が狂うなぁ、

 そこそこの付き合いになってきたと思うが、幼少の頃から教えられてきた魔族のイメージが拭えたわけではないし、ほんの数ヶ月前は敵だったのだ。
 そんな相手が素直に頭を下げてくるというのは、嬉しいとか気分が良いとかよりも、やりづらい気持ちの方が大きい。
 そんなこっちの気持ちも知らず、魔王は調味料のビンの前で、ぶつぶつと思案し始めているようで、

「そっか、調味料……調味料くらいなら……うーん、でもまだ人界のものを常に仕入れるのは、難しいですよね……えーと……」
「いや、そんなそこまで真面目に考えてくれなくても良いんだぞ、とりあえずどんな調味料か分かれば」
「……分かりました。今度、魔界の調味料についての書類作ってきますね。人間界にあるものと似ているものもあると思いますから、参考にしてください」
「お、おう」
「勇者さんが読みやすいように、私がきちんと監督して人間語で書類作成しておきますけど……読みづらかったら遠慮せずに言ってくださいね?」
「わ、わかった」
「……どうしたんですか? なんだかパチクリしてますけど」

 口頭で教えて貰えればそれでいいと思っていたのに、めちゃくちゃしっかりした対策を打ち出されてしまった。

「いや、急に仕事モードに入られてビックリした……そうだよな、お前仕事できるもんな……魔界の女王だしな……」
「む……それ、ちょっとバカにしてません? ちゃんと魔王ですよ、私」

 どうやら気分を悪くしたらしく、魔王は紫色の瞳を不機嫌のジト目にして、こちらを睨んでくる。
 見た目の問題でそんな顔をしても可愛いとしか思えないのだが、なんだか照れくさくなり、俺はなんとなく視線を逸らしてしまう。
 
「だ、だってお前、ここにいるとただの腹ペコ女だし……」
「……腹ペコは否定できないですけど」

 そこを否定しないあたり、素直なやつだった。
 
「……飯作るわ」
「お願いします。私はざっくり書類のひな形をつくりますから」
「……飯の時は仕事は忘れろよ」

 もしかしてコイツ、油断すると仕事しすぎるタイプじゃないだろうか。
 少しだけ心配になりながら、俺は食事の準備に取りかかった。
「勇者さん、こんにちわー」
「おう、今日はいきなり腹減ったって言わないんだな」
「……勇者さん、私をどれだけ腹ペコだと思ってるんですか。まだ晩ご飯の時間になってませんよ。早めにお仕事終わったから、勇者さんの様子を見に来たんです」
「捕虜がどう過ごしてるかチェックするのって仕事だと思うんだが……その、お前ちょっと働きすぎじゃないか……?」
「私個人としては仕事じゃなくてお客さんに会いに来てるだけですもん」

 ぷぅ、と少しだけ頬を膨らませて不機嫌を表現してくる。なんでコイツ、所作がいちいち可愛いんだろう。

「まあ、そういうことなら良いけどさ。俺も話し相手がいるとありがたいしよ」
「はい♪ そういうことなので、良いのです♪」
 
 会いに来てくれたことは素直に嬉しいので、俺はそれ以上、なにも言わないことにした。
 なぜか魔王の機嫌はすぐに直ったようで、ニコニコと笑顔を浮かべて、こちらに近寄ってくる。
 身長差の問題で、どうしても胸元が見えるのが気になるが、指摘するとセクハラなので俺はいつも通りに目を逸らした。

「えへへ……勇者さん、ご機嫌はいかがですか?」
「……まあ、フツーだよ。なぁ、魔王」
「なんですか?」
「お前、いつもその格好だよな」
「あ、この服ですか?」

 スカートを翻して、魔王はその場で一回転した。
 ただでさえ短い、しかもスリットまで入ったスカートは魔王の動きに合わせてふわりと浮かび上がってしまう。
 慌ててスカートの端を押えたくなる衝動に耐えて、俺はなるべくなんでも無いような顔をして言葉を作った。

「回るな。スカート短いんだから。めくれるだろ」
「え、ウソ!? 見えてました!?」
「いや、危険性の話でな……見えてない見えてない」
「そ、そうですか。良かったです……」

 魔王は心底ほっとした様子で、衣服を整えた。
 というか、恥ずかしいなら着なければ良いだろうに。

「そんな服しかねぇのか、お前」
「そんなわけないじゃないですか! こんなえっ……えっ……えっちな服ばっかりもってるわけじゃありません!」

 えっちな自覚はあったのか。喉まで出かかった言葉を俺は飲み込んだ。
 それを言ってしまったら、今度の関係性に問題が生まれそうだったからだ。

「ちゃんと私服もありますよ! ……着る機会があまりないだけで」
「……私服、っていうと、じゃあその服は?」
「これは制服です!」
「……魔王に制服とかあるのか」

 初耳だったが、今まで魔界語やら魔界チェスやらで驚かされているので、今回は首を傾げる程度の驚きで済んだ。

「人間も政治家さんとか学生さんは、ちゃんとした、と言いますか、ビシッとした服着てるでしょう?」
「あー……なるほど、国王とか、見るからに偉そうなマントと王冠だったもんな……」
「それと同じで、これも魔王の執務用の制服でして……まぁ、仕事してますってポーズも込みですよ」
「……そのわりに、やたら、こう……」
「? やたらこう……なんですか?」

 突っ込むべきか突っ込むまいか。
 少しだけ迷ったものの、結局俺はなるべく言葉を選んで言うことにした。

「いや、な……胸元は開き気味だし、スカートは短いし……ストッキングだし」
「あ、正確にはパンストです。暖かいですよ」
「……その上でマントだし」
「パンストとマントは絶対必要らしいですよ。よくわかりませんが」
「……なんでそんな格好になったんだ」
「国民投票です」
「は……?」
「いえ、えーと……人間語だと……こほん。……『魔王様制服コンテスト』って感じのものを、昔やりまして……たくさん出てきたデザイン案の中で国民投票して、これに決まったんですよ」
「…………」

 つまり魔界中で投票した結果、魔王の格好は痴女……とまではいかないまでも、ややきわどい感じの服装になったらしい。
 もしかして魔族、そこそこ頭おかしいんじゃないだろうか。

「そ、そんな微妙な目をしなくても……私は制服なんてなんでもいいって言ったんですよ? そしたら部下が、『じゃあ国民に決めてもらおうぜ!』とか言い出したらしくて……私のセンスじゃありませんからね!?」
「……とりあえず魔界のやつも、人間とそんなに変わらねぇのはわかったわ。……テンションと性癖が」
「せ、せいへ……う、うぅ……なんか恥ずかしくなってきました……」
「もう見慣れたし、その格好でも気にしないけどな」

 と言いつつ、たまに胸元や太ももが気になってしまうので、俺も男だった。

「いえ、なんか悔しいので、今度私服持ってきます!」
「……まぁ、別にいいけどよ」

 それはそれで、ちょっと見てみたい気もするし。
 魔界の女王のファッションセンスがやや気になりつつも、俺は今日の夕食の仕込みのために台所に立つことにした。

「……で、今日は飯いらないのか?」
「いります!」
「即答かよ」
「むしろもう、料理番に今日のご飯いりませんって言って来ちゃいましたから、勇者さんがご飯作ってくれなかったら泣いちゃいますよ?」
「腹ペコで魔王が泣く……それはそれで、ちょっと見てみたい気も……」
「え……勇者さんって、もしかしてドSなんですか?」
「お前、妙な人類語覚えてるな……まあ、いいけど」

 なんだかんだ言いながら、この雑談の時間を心地よいと感じている自分がいることを自覚しながら、俺はふたり分の献立を考え始めるのだった。