「おはようございます、魔王様……魔王様?」

 いつもの時刻。
 身支度を調え、今日のスケジュールのチェックを終えた私は、魔王様の寝室へと足を運ぶ。
 いつも通りにノックをしてお声かけすると、いつも通りの元気な声が返ってこなかった。
 ノックしても返事がないときは入っても良いと言われているので、私は一呼吸置いてから、部屋のドアを開けた。

「……寝ていらっしゃる」

 普段からは考えられない状況に、私は目を丸くする。
 ベッドの上で、魔王様はすやすやと眠りについていた。
 銀色の髪を枕に預け、シーツに巻かれて眠る姿はまるでお伽噺の妖精のようで。

「控え目に言って可愛すぎでは……?」

 眠る魔王様、超可愛い。
 この無防備な姿、永遠に残しておかなければ。いつか勇者様にお渡しするために。
 私は持っている紙に、魔王様の姿を念写した。人界ではこれと似た技術が、半分魔法、半分機械の力でできるらしいが、私は魔力に長けた夜魔という種族なので、それくらいは朝飯前だ。
 手のひらサイズで永久保存版になった魔王様の寝姿を、私は満足してポケットにしまってから、改めて首を傾げた。

「それにしても……珍しいですね」

 覚えている限り、魔王様を起こしに行っても起きていなかったことは、今までに二十五回。私が魔王様に仕えてからの四千五百年間で、たった二十五回だ。
 そしてそのどれもが、前日にひどく忙しかったときで、つまり魔王様がお疲れの証拠。

「二十六回目の寝坊……ですが昨日はむしろ、仕事自体は早く終わったはず……魔王様は、その後、勇者様のお部屋へ……はっ」

 つまり、これはそういうことなのでは?
 勇者様のお部屋で、なにかとっても疲れるようなことをしたのでは?

「……魔王様!」
「ふにぃ!? ひゃぇ、め、めいどちゃん!? な、なんです、て、てきしゅー!? あんさつ!?」
「式はいつにしますか!?」
「し、しき……え、なにかの、まほーこうげき……?」
「勇者様との挙式ですよ、決まっているでしょう!」
「勇者さんとの……きょ、しき……って、ええええぇ!? な、何の話をしているんですか!? え、なに、夢!?」
「……あら、良く見たらまだ清いまま。すみません魔王様、私の勘違いでした」
「勝手に慌てて勝手に納得された!? なんの話ですか!?」
「いえ、夜魔の能力で『確認』ができるのを忘れていた私の落ち度です。……喜んで損しました」
「え、えぇ……朝から従者がすごい理不尽なんですが……?」
「あ、そういえば魔王様、おはようございます」
「勝手に納得して勝手に怒られた挙げ句、勝手に話が終わりました……。お、おはようございます、メイドちゃん……寝坊してたみたいですね、すみません」

 不服そうな顔をしつつも、魔王様は寝坊したことを謝罪して着替え始める。
 お召し替えをお手伝いしながら、私は魔王様に言葉をかけた。

「珍しいですね、通算二十六回目の寝坊です」
「数えてるんですか、メイドちゃん……いえ、昨日はちょっと夜更かしが過ぎまして……ふあ……ん……あ、ありがとうございます、袖……」
「夜更かし……なにか心配事でしたら、片付けて参りますが」
「ああ、いえ、そういうんじゃなくて……ええと、魔界チェスの本を読んでまして……」
「ああ……最近勇者様にあまり勝てないと仰っていましたね。特訓ですか」
「はい。なんていうか……えっと、勝ったら勇者さんがご褒美くれるっていうので、がんばっちゃおっかなって――」
「――式ですか!?」
「どうして話を元に戻すんですか!?」

 しまった、式の前に既成事実だったか。
 話を聞く限り、おふたりの関係は健全でピュアピュア。
 しかし魔王様は押しに弱いし、勇者様も恐らくそう。ちょっとやらしい雰囲気になってなし崩しでも関係を結んでしまえば、あとは自動的に挙式です。

「……すみません。ちょっと順序を焦りました。ではぜひ勇者様に勝って、そういう流れに持ち込みましょう」
「どういう流れですか!?」
「えっちな流れに持ち込みましょう!」
「えーえ、そう言われるってうすうす分かってましたのでハッキリ言いますね、ちーがーいーまーすー!!」

 やだ、怒っている魔王様も魔界一可愛い。
 とはいえ、魔王様的にはまだ勇者様とそういう関係になるのは時期尚早、ということか。
 確かに私としても、魔王様にさっさと既成事実作って欲しいという気持ちはあるけれど、立場を気にせずに普通の恋愛を楽しんで欲しいという思いもある。
 そして私はできる従者なので、魔王様の意思を尊重する。ステイステイ、乳母の役目はまだ先ですよ、私。

「分かりました。まずは勝ってキスのおねだりくらいから行きましょう」
「きっ……なななな、何言ってるんですか、そんなこと頼む予定はありません!」
「え、じゃあなにを頼むんですか……?」
「え、あ、う、うー……それは……えっと……」

 魔王様は目をぐるぐると回して、なにか言い訳めいたことを考えているような仕草をした。
 この部屋の外にひとたび出れば、強く、優しく、しかし冷たさも持ち合わせる立派な魔王様。しかしこの部屋に居る間の彼女は、五千年以上もの間、恋のひとつもしてこなかったただの女の子でもあることを、私は知っている。

「ご心配なさらなくても、秘密に致しますよ」
「うぅ……笑い、ません?」
「笑いませんよ、魔王様のお望みなのですから」
「……勇者さんに、その……あの、おっきな手で、ですね……な、なでなで、してほしいなぁって……」
「ぶっふぉ」
「笑わないっていったのに!? なんだったんですか数秒前のいい顔! メイドちゃんの嘘つき!!」
「すみません、微笑ましすぎて無理でした」

 主人がピュアすぎてつらい。

「ですが、そういうことなら協力致しましょう。このメイド、大抵のことはできますので、もちろんこういった遊戯も得意です」
「……良いんですか?」
「はい。というか勝って貰わないと、私としても困りますので」
「……メイドちゃんが、困る?」
「ええ、魔王様の睡眠時間があまり削られると、心配になってしまいますから」

 というのは、半分の理由だ。
 残りの半分の理由はもちろん、少しでもふたりの距離を縮めるため。

「ありがとうございます、メイドちゃん……じゃあその、練習相手、宜しくお願いしますね」
「ええ、空き時間にお相手致します。それでは本日の予定ですが……」

 元々優秀な方なので、集中して勉強をすれば直ぐにでも私よりも強い打ち手になるだろう。
 こうして、魔王様を勝たせるべく、私は特訓にお付き合いすることになるのだった。