「ゆーしゃさーん!」
「おう」
いつもの声に、短く応じる。
いつも通りに俺の部屋にやってきた魔王は、いつも通りの人なつっこい笑みを浮かべて、
「また遊びに来ましたよ!」
「最近、二、三日に一回は来るよな」
「お仕事は終わらせてますよ?」
「それなら良いんだけどな」
「当たり前でしょう。私が仕事しないと、国が回らないんですから」
むふー、と魔王は胸を張ってみせた。
ややワーカーホリックなのではないかと心配になるときはあるが、魔王が仕事ができるやつなのは間違いないだろう。
本来なら戦争に負けた相手種族など滅ぼす方が楽だろうに、わざわざ融和という道を選んでいるのだ。その負担は想像するしかできないが、どう考えても大変な道のりなのは間違いない。普段はただの腹ペコ女だけど、魔王は凄いやつなのだ。
「しかし今日は早いな、飯にはまだだいぶ時間あるんだが」
「今日は早めにいろいろ片付きましたからね……あ、それじゃ魔界人生ゲームしましょうよ」
「ああ、良いぞ。もう掃除終わるしな」
少し前からやっていた流し台の掃除が、丁度終わるところだった。
掃除用具を片付けて席に戻れば、既にテーブルの上には遊びの準備が整っている。
「えへへ、それじゃ遊びましょうか」
「ああ」
先日ルールを教えて貰った、魔界人生ゲーム。
魔界の様々な種族になりきって人生を終えるまでをロールプレイする、テーブルゲームだ。
人界にも同じような物があるので、遊びの発想というのは人間と魔族であまり変わらないのかも知れない。
しばらくの間、俺たちは時間を忘れて、ゲームに興じた。
「……はい、あっがりー」
「今回も魔王の勝ちだな」
コマの配置をスタート地点に戻して、魔王が再びルーレットを回し始める。
無言のもう一戦に文句を言うことはない。俺の方もまだ遊びたいし、食事の時間まではまだ少し余裕があるからだ。
「勇者さん、人生ゲームはあんまり強くないですね」
「なーんか、出目が毎回あんまりよくないんだよな……運が悪いのかもしれん。たまたま俺の代で人類降伏するくらいだし」
「自虐が結構重いですが……そうですね。勇者さんは『こううん』ステータスがすこし低いです」
「『こううん』ステータス?」
耳慣れない言葉に首を傾げると、魔王は長い耳をぴこぴこと揺らして頷いて、
「はい。私が使える魔法のひとつに、対象の『ちから』、『かしこさ』、『すばやさ』、『まりょく』、『こううん』の五つの能力を数値化して、さらにそれらの総評として『レベル』を算出することができる魔法があるんですよ」
「……相手の能力を数字として出して、大体の強さを見る魔法ってことか?」
達人の領域にあるものたちが、見ただけで相手の力量を把握することができるというのは有名な話だが、そういう効果のある魔法ということか。
「そうですそうです。それで見たところ、勇者さんは『こううん』がちょっと低めで……他のステータス、特に『まりょく』と『ちから』、『すばやさ』は人類の限界近く……あるいは、それ以上まで来てるんですけどね」
「つまり……運が悪くて、頭も悪いと」
「いえ、『かしこさ』は優秀な部類ですよ。運は……すっごく悪いってほどでもないのですが……くじ引きでは絶対参加賞しか当たらない程度ですね」
妙に所帯じみた例えだった。
しかも当たっているからなんとも突っ込みづらかった。
「……まあ、実際、今まで参加賞しか当たったことないが」
「ちなみに、レベルは二千七百五十七ですよ」
「……それは、高いのか?」
「高いです。『こううん』と『かしこさ』以外は人類の限界に到達、あるいは突破しているだけはありますね。私の側近のレベルが大体、千八百から二千くらいなので、勇者さんは魔界という土俵に当てはめても、かなり強いことになりますね」
「……お前のレベルは?」
ふと気になったことを聞いてみると、相手は軽い調子で、
「私ですか? 今は十五万八千九百九十七です」
「……は?」
「十五万八千九百九十七です」
「……じゅうごまん?」
「はっせんきゅーひゃくきゅーじゅーなな」
……ケタが違うんだが?
「マジか……」
「一応、魔界で最強ですからね」
「そりゃ勝てねぇわ、人類。なんだその魔王ゲー、魔界人生ゲーム凍土編のウェンディゴよりひどくね?」
「実際のところ、対外的なこともあって城から出ることが殆んど無いですから、戦力として見た場合は防衛戦力にしかなりませんけどね……あ、そんなこと言ってたらウェンディゴに就職しましたよ。がおー」
「これは今回も負けたな。俺の就職先、ゴーレムだぜ。しかもいきなり主人にカツアゲされてるし」
「ゴーレムは凍土編ではドM職ですからね。……あ、これ終わったらご飯にしません?」
「ああ、良いぞ。これが終われば、ちょうど良い時間だろう」
今日は掃除をしていて、食事の仕込みができていない。
手軽なものを作ろうと心に決めて、俺は再びルーレットを回した。
「しかし、こううん、ね……」
「あ、もしかして低いの気にしてます? 大丈夫ですよ、悪いというほどではないですから」
「ああいや、そうじゃなくて……いや、なんでもない。ゲームしようぜ」
こううんとやらが本当に低いなら、どうして俺は今、こんなにも平穏に暮らせているんだろうな。しかも、美人が暇つぶしに付き合ってくれるなんてオマケつきで。
うっかり口を滑らせそうになった自分を誤魔化して、俺はゲームを進めることにした。
……まあ、魔王が絡んでるなら、コイツのこううんも込みの状況って事かも知れないしな。
言及はされてないが、コイツのこううんとやらは結構高いのだろう。実際、魔界人生ゲームで俺は毎回土をつけられている。
そうなると、魔王にとって俺と居ることは運が良いということになるのだが、その辺は魔王から実際に聞いたわけでもないし、聞くのもなんとなく憚られたので、俺は話題を変えることにした。
「ところで……大分前から疑問だったんだが、お前って何時から魔王してるんだ?」
「何時からも何も……私が歯向かう魔族を全員ぶっとばして建国してからずっと、ですよ?」
「えっ」
返ってきた言葉があまりにも予想外で、つい声が出てしまった。
コマが手から滑り落ちて、俺は慌ててコマを置き直す。
「え、なんですか? 私、変なこと言いました?」
「いや……お前って、初代魔王だったんだな……?」
魔王はこちらの言葉を咀嚼するように、手のひらでコマを弄び、考える仕草をしてから、
「……あ、なるほど。私のことを、何代目かの魔王だと思ってたんですね」
「おう……。だってお前、その……あんまり魔王っぽくねぇし」
「ゆーしゃさん、何回私のことを魔王っぽくない言う気ですか……」
だって魔王っぽくないじゃん。
少なくとも今、そうやってゲームに興じている姿から魔王という役職が連想できるやつはいないと思う。
「いや、実際そうだろ。なんていうか、まともだし……」
「いえ、昔はヤンチャでしたよ。長いこと政治したり、人間と戦争したりしてるうちに、考え方が変わってきただけですって」
「ヤンチャな魔王……全然想像つかねぇ」
今の彼女しか知らない俺にとって、昔はヤンチャでしたとか言われてもあまりピンとこない。
俺が知っている魔王は、頑張り屋で、素直で、ちょっとドジで、だけど有能で、捕虜である俺のことを大事にしてくれる、腹ペコ魔王だ。
「私だけじゃなく、国ができる前はみんなそういう感じでしたけどね。あの頃の魔界は暴力が支配し、誰もが水と食料を求めて殺し合う日々でしたから……あ、写真見ます?」
「写真あるのかよ」
「人間が写真と呼ぶものと似たような感じのが、ですけどね。人類語的には、念写と言った方がいいのかもしれません。えーと、たしか私の魔法で作った異空間のこの辺りに……」
言いながら、魔王は自分のマントに手を突っ込んでごそごそとやり始める。
「マントから繋がってるのかよ……もしかして、魔界チェスも魔界人生ゲームもそこから出てきたのか?」
「そうですよ。その名も『魔王四次元マント』……あ、ありました」
笑顔と共に差し出された写真は、なんというか、ツッコミどころしかないようなものだった。
「……なんで写ってる全員が、一様に肩にトゲ付いたパッドつけててモヒカンヘアなんだよ」
「昔はそれが流行りだったんですよ。可愛くないから、私はしてませんでしたけどね」
「モヒカンと肩パッドに目が行きすぎて、お前がどこに写ってるのか分からないんだが」
「もー。ほら、左下にいるでしょう?」
「……あ、こいつか。何て言うか……まだ幼い、な」
やや色あせた、写真の景色。
その中に居る魔王は、今と比べると少し幼く、どこか照れたようにピースサインをしている。というか、魔界にもピースサインはあるんだな。
「二百七十八歳でしたからね、この頃。まだまだ成長途中でした」
「…………」
「あ、今何歳なんだよ、とか思ってますね? 少なくとも五千歳よりは上ですけど?」
「少しな……いや、良い。 とりあえず話進めてくれ」
年齢よりも大きな疑問があるので先を促すと、魔王ははいはい、と頷いて、
「えーと……昔は私も、他の魔界の住人たちと同じように、水と食料の為に毎日を血にまみれて、炎の臭いにむせつつ、明日をも知れない生活をしていたんですけどね」
「それがどうして、魔界の女王になんてなったんだ?」
「昔の魔界には、国ほど大きくはないんですが、派閥みたいなものがいくつかあったんですよ。その内の一つのリーダー格を倒したら、みんな私に付いてきちゃって……この写真は、その頃のものです」
「……懐かれたというか、もっと強いやつに自然と付いたって感じか」
「ええ……その人たち、やたら私をボス、ボスって頼ってきて……それに略奪したものの一部を私に献上してくれたりもするから、私も仕方ないなーって感じで」
当時のことを思い出しているのだろう。
魔王はどこか照れくさそうに笑いながら、言葉を続ける。
「だからその人たちのことも守ってたら、別の派閥と衝突して……その派閥を潰したら、また別の派閥と……重ねるごとに部下も多くなっていって、最後には魔界の全部が私の配下になっちゃってました」
「マジか……ふつうに武力で統一したのか。そりゃ、レベルも十万越えるわな」
少なくとも五千年以上、魔王はいろいろなものと戦い、統治し続けてきたということになる。
それだけの積み重ねがあれば、今のレベルは充分に納得できるものだった。
「武力だけではありませんよ。派閥が大きくなるにつれて種族同士の対立とか、派閥内部でのいざこざが目立ってきたんで……政治というか、管理せざるをえなくなってましたから」
「……大変だったんだな」
「法律とかも、一つ一つ決めていきましたからね……どういう法を作れば喧嘩が減るのか、とか試行錯誤の日々でした」
「それで、五千年、か……」
「ええ。統一国家としての体を為すまでに、それだけの時間がかかってしまいました……私が未熟だったせいですね。あの当時は、私なりには必死でしたけど……後から後から、もっとこうすれば良かったなぁって、思うことばかりです」
自嘲気味に笑って、魔王はルーレットを回した。
過去に起こったことを誰のせいでもなく、自分の未熟だというその姿は立派だが、ひどく寂しいように思えて。
「……そんなもん、人間だって同じだろ」
「え……?」
俺はいつの間にか、言葉を紡いでいた。
「どんな問題が起きるかなんて、それこそルーレットと同じでコントロールできないだろ。なのにお前は五千年以上も投げ出さずに立派に魔王をやってて、大したもんだと思うぞ」
他人のことをすべて把握して、問題が起きないようにするなんて、できるわけがない。
そんなことができるなら、魔族と人間の戦争だって起きなかったはずだ。
人が集まる以上、なにか問題は起きて当たり前で。例えそのすべてにもっと良い解決方法があったのだとしても、俺は彼女を褒めてやりたいと思った。
「……勇者、さん」
魔王はこちらの言葉に暫くの間、目を丸くしていた。
やがて、ふ、と表情から力を抜いて、
「……えへへ。なんか嬉しいですね。ありがとうございます」
「そ、そうか。ええと、だからな、あんまり自分を責めるなよ。お前はその、頑張ってるぞ」
ふにゃりと耳を垂らした笑顔で礼を言われて、急激に気恥ずかしくなってしまう。
思わず目を逸らしてしまった俺に、魔王は緩んだ笑顔を向ける。
「ふふ……それじゃあ、今日もご飯作って、労ってくれます?」
「……俺の飯で、簡単なので良ければな」
「勇者さんのが良いんですよ」
「……そうか、分かった。美味いかどうかは、保証できないけどな」
「えへへ……あ、因みにこの写真の当時から、家事は人任せですよ!」
「家事できない歴なげぇなぁ……」
自然と笑みをこぼして、俺は自分のコマの行き先を決めるために、ルーレットを回す。
こんな他愛の無い時間は、魔王の生きてきた時間の中ではほんの一瞬なのだろう。だからこそ、美味い飯くらいは作ってやりたいと思うのだった。
「おう」
いつもの声に、短く応じる。
いつも通りに俺の部屋にやってきた魔王は、いつも通りの人なつっこい笑みを浮かべて、
「また遊びに来ましたよ!」
「最近、二、三日に一回は来るよな」
「お仕事は終わらせてますよ?」
「それなら良いんだけどな」
「当たり前でしょう。私が仕事しないと、国が回らないんですから」
むふー、と魔王は胸を張ってみせた。
ややワーカーホリックなのではないかと心配になるときはあるが、魔王が仕事ができるやつなのは間違いないだろう。
本来なら戦争に負けた相手種族など滅ぼす方が楽だろうに、わざわざ融和という道を選んでいるのだ。その負担は想像するしかできないが、どう考えても大変な道のりなのは間違いない。普段はただの腹ペコ女だけど、魔王は凄いやつなのだ。
「しかし今日は早いな、飯にはまだだいぶ時間あるんだが」
「今日は早めにいろいろ片付きましたからね……あ、それじゃ魔界人生ゲームしましょうよ」
「ああ、良いぞ。もう掃除終わるしな」
少し前からやっていた流し台の掃除が、丁度終わるところだった。
掃除用具を片付けて席に戻れば、既にテーブルの上には遊びの準備が整っている。
「えへへ、それじゃ遊びましょうか」
「ああ」
先日ルールを教えて貰った、魔界人生ゲーム。
魔界の様々な種族になりきって人生を終えるまでをロールプレイする、テーブルゲームだ。
人界にも同じような物があるので、遊びの発想というのは人間と魔族であまり変わらないのかも知れない。
しばらくの間、俺たちは時間を忘れて、ゲームに興じた。
「……はい、あっがりー」
「今回も魔王の勝ちだな」
コマの配置をスタート地点に戻して、魔王が再びルーレットを回し始める。
無言のもう一戦に文句を言うことはない。俺の方もまだ遊びたいし、食事の時間まではまだ少し余裕があるからだ。
「勇者さん、人生ゲームはあんまり強くないですね」
「なーんか、出目が毎回あんまりよくないんだよな……運が悪いのかもしれん。たまたま俺の代で人類降伏するくらいだし」
「自虐が結構重いですが……そうですね。勇者さんは『こううん』ステータスがすこし低いです」
「『こううん』ステータス?」
耳慣れない言葉に首を傾げると、魔王は長い耳をぴこぴこと揺らして頷いて、
「はい。私が使える魔法のひとつに、対象の『ちから』、『かしこさ』、『すばやさ』、『まりょく』、『こううん』の五つの能力を数値化して、さらにそれらの総評として『レベル』を算出することができる魔法があるんですよ」
「……相手の能力を数字として出して、大体の強さを見る魔法ってことか?」
達人の領域にあるものたちが、見ただけで相手の力量を把握することができるというのは有名な話だが、そういう効果のある魔法ということか。
「そうですそうです。それで見たところ、勇者さんは『こううん』がちょっと低めで……他のステータス、特に『まりょく』と『ちから』、『すばやさ』は人類の限界近く……あるいは、それ以上まで来てるんですけどね」
「つまり……運が悪くて、頭も悪いと」
「いえ、『かしこさ』は優秀な部類ですよ。運は……すっごく悪いってほどでもないのですが……くじ引きでは絶対参加賞しか当たらない程度ですね」
妙に所帯じみた例えだった。
しかも当たっているからなんとも突っ込みづらかった。
「……まあ、実際、今まで参加賞しか当たったことないが」
「ちなみに、レベルは二千七百五十七ですよ」
「……それは、高いのか?」
「高いです。『こううん』と『かしこさ』以外は人類の限界に到達、あるいは突破しているだけはありますね。私の側近のレベルが大体、千八百から二千くらいなので、勇者さんは魔界という土俵に当てはめても、かなり強いことになりますね」
「……お前のレベルは?」
ふと気になったことを聞いてみると、相手は軽い調子で、
「私ですか? 今は十五万八千九百九十七です」
「……は?」
「十五万八千九百九十七です」
「……じゅうごまん?」
「はっせんきゅーひゃくきゅーじゅーなな」
……ケタが違うんだが?
「マジか……」
「一応、魔界で最強ですからね」
「そりゃ勝てねぇわ、人類。なんだその魔王ゲー、魔界人生ゲーム凍土編のウェンディゴよりひどくね?」
「実際のところ、対外的なこともあって城から出ることが殆んど無いですから、戦力として見た場合は防衛戦力にしかなりませんけどね……あ、そんなこと言ってたらウェンディゴに就職しましたよ。がおー」
「これは今回も負けたな。俺の就職先、ゴーレムだぜ。しかもいきなり主人にカツアゲされてるし」
「ゴーレムは凍土編ではドM職ですからね。……あ、これ終わったらご飯にしません?」
「ああ、良いぞ。これが終われば、ちょうど良い時間だろう」
今日は掃除をしていて、食事の仕込みができていない。
手軽なものを作ろうと心に決めて、俺は再びルーレットを回した。
「しかし、こううん、ね……」
「あ、もしかして低いの気にしてます? 大丈夫ですよ、悪いというほどではないですから」
「ああいや、そうじゃなくて……いや、なんでもない。ゲームしようぜ」
こううんとやらが本当に低いなら、どうして俺は今、こんなにも平穏に暮らせているんだろうな。しかも、美人が暇つぶしに付き合ってくれるなんてオマケつきで。
うっかり口を滑らせそうになった自分を誤魔化して、俺はゲームを進めることにした。
……まあ、魔王が絡んでるなら、コイツのこううんも込みの状況って事かも知れないしな。
言及はされてないが、コイツのこううんとやらは結構高いのだろう。実際、魔界人生ゲームで俺は毎回土をつけられている。
そうなると、魔王にとって俺と居ることは運が良いということになるのだが、その辺は魔王から実際に聞いたわけでもないし、聞くのもなんとなく憚られたので、俺は話題を変えることにした。
「ところで……大分前から疑問だったんだが、お前って何時から魔王してるんだ?」
「何時からも何も……私が歯向かう魔族を全員ぶっとばして建国してからずっと、ですよ?」
「えっ」
返ってきた言葉があまりにも予想外で、つい声が出てしまった。
コマが手から滑り落ちて、俺は慌ててコマを置き直す。
「え、なんですか? 私、変なこと言いました?」
「いや……お前って、初代魔王だったんだな……?」
魔王はこちらの言葉を咀嚼するように、手のひらでコマを弄び、考える仕草をしてから、
「……あ、なるほど。私のことを、何代目かの魔王だと思ってたんですね」
「おう……。だってお前、その……あんまり魔王っぽくねぇし」
「ゆーしゃさん、何回私のことを魔王っぽくない言う気ですか……」
だって魔王っぽくないじゃん。
少なくとも今、そうやってゲームに興じている姿から魔王という役職が連想できるやつはいないと思う。
「いや、実際そうだろ。なんていうか、まともだし……」
「いえ、昔はヤンチャでしたよ。長いこと政治したり、人間と戦争したりしてるうちに、考え方が変わってきただけですって」
「ヤンチャな魔王……全然想像つかねぇ」
今の彼女しか知らない俺にとって、昔はヤンチャでしたとか言われてもあまりピンとこない。
俺が知っている魔王は、頑張り屋で、素直で、ちょっとドジで、だけど有能で、捕虜である俺のことを大事にしてくれる、腹ペコ魔王だ。
「私だけじゃなく、国ができる前はみんなそういう感じでしたけどね。あの頃の魔界は暴力が支配し、誰もが水と食料を求めて殺し合う日々でしたから……あ、写真見ます?」
「写真あるのかよ」
「人間が写真と呼ぶものと似たような感じのが、ですけどね。人類語的には、念写と言った方がいいのかもしれません。えーと、たしか私の魔法で作った異空間のこの辺りに……」
言いながら、魔王は自分のマントに手を突っ込んでごそごそとやり始める。
「マントから繋がってるのかよ……もしかして、魔界チェスも魔界人生ゲームもそこから出てきたのか?」
「そうですよ。その名も『魔王四次元マント』……あ、ありました」
笑顔と共に差し出された写真は、なんというか、ツッコミどころしかないようなものだった。
「……なんで写ってる全員が、一様に肩にトゲ付いたパッドつけててモヒカンヘアなんだよ」
「昔はそれが流行りだったんですよ。可愛くないから、私はしてませんでしたけどね」
「モヒカンと肩パッドに目が行きすぎて、お前がどこに写ってるのか分からないんだが」
「もー。ほら、左下にいるでしょう?」
「……あ、こいつか。何て言うか……まだ幼い、な」
やや色あせた、写真の景色。
その中に居る魔王は、今と比べると少し幼く、どこか照れたようにピースサインをしている。というか、魔界にもピースサインはあるんだな。
「二百七十八歳でしたからね、この頃。まだまだ成長途中でした」
「…………」
「あ、今何歳なんだよ、とか思ってますね? 少なくとも五千歳よりは上ですけど?」
「少しな……いや、良い。 とりあえず話進めてくれ」
年齢よりも大きな疑問があるので先を促すと、魔王ははいはい、と頷いて、
「えーと……昔は私も、他の魔界の住人たちと同じように、水と食料の為に毎日を血にまみれて、炎の臭いにむせつつ、明日をも知れない生活をしていたんですけどね」
「それがどうして、魔界の女王になんてなったんだ?」
「昔の魔界には、国ほど大きくはないんですが、派閥みたいなものがいくつかあったんですよ。その内の一つのリーダー格を倒したら、みんな私に付いてきちゃって……この写真は、その頃のものです」
「……懐かれたというか、もっと強いやつに自然と付いたって感じか」
「ええ……その人たち、やたら私をボス、ボスって頼ってきて……それに略奪したものの一部を私に献上してくれたりもするから、私も仕方ないなーって感じで」
当時のことを思い出しているのだろう。
魔王はどこか照れくさそうに笑いながら、言葉を続ける。
「だからその人たちのことも守ってたら、別の派閥と衝突して……その派閥を潰したら、また別の派閥と……重ねるごとに部下も多くなっていって、最後には魔界の全部が私の配下になっちゃってました」
「マジか……ふつうに武力で統一したのか。そりゃ、レベルも十万越えるわな」
少なくとも五千年以上、魔王はいろいろなものと戦い、統治し続けてきたということになる。
それだけの積み重ねがあれば、今のレベルは充分に納得できるものだった。
「武力だけではありませんよ。派閥が大きくなるにつれて種族同士の対立とか、派閥内部でのいざこざが目立ってきたんで……政治というか、管理せざるをえなくなってましたから」
「……大変だったんだな」
「法律とかも、一つ一つ決めていきましたからね……どういう法を作れば喧嘩が減るのか、とか試行錯誤の日々でした」
「それで、五千年、か……」
「ええ。統一国家としての体を為すまでに、それだけの時間がかかってしまいました……私が未熟だったせいですね。あの当時は、私なりには必死でしたけど……後から後から、もっとこうすれば良かったなぁって、思うことばかりです」
自嘲気味に笑って、魔王はルーレットを回した。
過去に起こったことを誰のせいでもなく、自分の未熟だというその姿は立派だが、ひどく寂しいように思えて。
「……そんなもん、人間だって同じだろ」
「え……?」
俺はいつの間にか、言葉を紡いでいた。
「どんな問題が起きるかなんて、それこそルーレットと同じでコントロールできないだろ。なのにお前は五千年以上も投げ出さずに立派に魔王をやってて、大したもんだと思うぞ」
他人のことをすべて把握して、問題が起きないようにするなんて、できるわけがない。
そんなことができるなら、魔族と人間の戦争だって起きなかったはずだ。
人が集まる以上、なにか問題は起きて当たり前で。例えそのすべてにもっと良い解決方法があったのだとしても、俺は彼女を褒めてやりたいと思った。
「……勇者、さん」
魔王はこちらの言葉に暫くの間、目を丸くしていた。
やがて、ふ、と表情から力を抜いて、
「……えへへ。なんか嬉しいですね。ありがとうございます」
「そ、そうか。ええと、だからな、あんまり自分を責めるなよ。お前はその、頑張ってるぞ」
ふにゃりと耳を垂らした笑顔で礼を言われて、急激に気恥ずかしくなってしまう。
思わず目を逸らしてしまった俺に、魔王は緩んだ笑顔を向ける。
「ふふ……それじゃあ、今日もご飯作って、労ってくれます?」
「……俺の飯で、簡単なので良ければな」
「勇者さんのが良いんですよ」
「……そうか、分かった。美味いかどうかは、保証できないけどな」
「えへへ……あ、因みにこの写真の当時から、家事は人任せですよ!」
「家事できない歴なげぇなぁ……」
自然と笑みをこぼして、俺は自分のコマの行き先を決めるために、ルーレットを回す。
こんな他愛の無い時間は、魔王の生きてきた時間の中ではほんの一瞬なのだろう。だからこそ、美味い飯くらいは作ってやりたいと思うのだった。