「……♪」

 自然と鼻歌がこぼれることを、止めることができない自分がいた。
 本当ならさらにスキップもしてしまいたいくらいのご機嫌だけど、さすがにそれは威厳が無さすぎるので我慢しつつ、私の歩調は早い。

 ……今日はお仕事が早く終わりました!

 やるべきことが予想より早く終わったということは、その分だけ勇者さんと一緒にいる時間が長くなるということだ。

「ふふふ……♪」

 時間がある分、ご飯を食べるだけではなく、いろんなことが出来る。
 雑談もできるし、魔界チェスだって遊べるだろう。近々、新しいゲームも持ってこようと思うので、勇者さんの好みをそれとなく聞き出したりもしておきたい。

 るんるん気分で、私は勇者さんの部屋の前へと立つ。
 さあ今日はどんな話をしよう。どんなものを食べられるだろう。彼がどんな顔を見せてくれるのだろう。
 これからを想像するだけで、胸が優しく、けれど温かく脈打つ。

「勇者さん、こんにちわー」

 声色が緊張していないだろうかと、そんなことを思いながら私は部屋の扉を開けた。


「あれ……勇者さん?」

 いつものような返事がなく、私は少しだけ首を傾げて――

「――あ、寝てる……」
「ん……すぅ……」

 勇者さんが、テーブルに突っ伏した状態で寝ていた。
 彼は背中を丸め、自分の腕を枕にして、規則正しい寝息をこぼしている。

 魔王城があるこの中央区は魔界でも比較的過ごしやすい気候をしていて、特に今日の城内は結構暖かかった。
 私も公務中に少しウトウトしてしまったくらいだし、部屋から出られずに暇を持て余している勇者さんが寝落ちしてしまうのも納得だ。


「……もう、勇者さん。テーブルなんかで寝たら風邪引いちゃいますよ。起き……」
「くかー……」
「起き……」
「ん……むにゃ……」
「っ……かわいいっ……」

 寝顔、めちゃかわ。
 いつもはどこかクールな勇者さんの無防備な姿なんて、そうそうお目にかかれるものでは無い。
 起こさないといけないと思うのに、ずっと見ていたい気持ちもあって、私は困った。

「え、なに、勇者さん寝てる時に、むにゃ、とか言うんですか……え、かわいい……」

 自分でもなにを言ってるか分からないけれど、なぜか鼓動が高鳴ってしまう。
 普段は決して見られない勇者さんの寝姿に、私はすっかり夢中だった。

「ん、んん……くぅ……」
「……も、もう。しょうがないんですから」

 結局私は勇者さんを起こすことができず、むしろ自分がつけているマントを毛布替わりに彼に羽織らせた。
 勇者さんは少しだけ身動ぎをしたものの、やがて再び落ち着いた寝息をこぼし始める。

「ん……すぴ……」
「ふふ……魔王のマントを『そうび』した勇者なんて、貴方がはじめてですよう?」

 自分がしたことに少しだけおかしさを覚えて、私は彼の隣に座って微笑む。

「……勇者さん、寝てますよね?」
「……すぅ……すぅ」
「っ、ちょ、ちょっとだけ……」

 勇者さんが眠っていることを確かめて、私はおそるおそる、彼の頬に手を伸ばす。
 触れた場所は柔らかくてあたたかく、彼が生きていることを指先で直接感じる。

 自分から殿方に触れるなんてという背徳感が私の背中を撫でるけど、今、彼は寝ている。

「む、無防備な勇者さんがいけないんですからね……」

 枕にしている腕に触れてみると、感触は硬く、男性的な力強さがあった。

「……あ、ぅ」

 ついこの間、彼に抱き上げられたことを思い出してしまう。
 いきなりのことでびっくりして、気恥ずかしくて、でも、全然嫌じゃなくて。
 怖さや驚きよりも、逃げ出したいような、ずっとこのままでいたいようなくすぐったさは、思い出すだけで心臓が跳ねてしまう。

「なん、でしょう、この、気持ち……う、はうぅ……」
「ん……」
「ひゃわっ」

 触りすぎたのか、勇者さんが身動ぎをした。
 慌てて手を離すと、勇者さんは眠ったままで私が羽織らせたマントを手繰り寄せるような動きをした。


「あ、くるまった……かわいい……」
「すやぁ……」
「……暖かそうにしちゃって」
「くー……くぅぅ……」
「……早く起きてご飯作ってくださいよ?」

 頬をつつくと、寝息だけが返ってきた。

「……でも、どうせなら……匂いがつくまで、寝ててもいいんですよ? そうしたら……お仕事のときでも、ずっと勇者さんと一緒みたいで、うれしいから……」
「ん……すや……」
「えへ、えへへ……」

 勇者さんの傍で、私は彼が起きるまで、飽きることなく寝顔を眺め続けていた。