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 福本さんが俺のシャツをつかんだままつぶやいた。

「あたしさ、昔っから男の人につきまとわれててさ。小学校の頃は変なオジサンが後ろをついてくるし、中学の時は同級生とか先輩にしょっちゅう呼び出されてたしさ。最近も出歩いてると芸能界に興味ありませんかとか、話聞いてくれませんかとか、ホント、しつこいのよ」

 なんだよ、自慢かよと一瞬思ったけど、まあ、確かにそれはそれで大変なんだろうな。

「美人すぎると苦労するんだね」

 彼女の頬が赤く染まる。

「けっこうさらっと言うよね」

 急に顔が熱くなる。

 彼女の方も首をかしげながらはにかんでいる。

「意外とそういうところあるよね。思ってた通りかも」

 これは褒められてるんだろうか。

「高校に入ってあんたと同じクラスになってね、なんか今までの人たちと違うなって思ったのよ」

 違う人?

「ちゃんとしてるっていうかさ、まわりに流されないっていうか、つるんでないっていうかさ」

 ええと、それはつまり、ボッチの裏返しってことですよね。

「なんかいったん気になり始めると、つい見ちゃっててさ。なんか、あたし、いつもあんたのことばっかり考えてて」

 はあ?

 いやいや、何言ってるの?

 俺のことばっかり考えてたって、まさかそんな。

 だが、彼女は話をやめなかった。

「あんたのことを考えてるとさ、なんか自然と楽しくなっちゃったりして。いつかちゃんと話せたらいいなとか、ずっと思ってたんだから」

 情けないことに、俺は何も言えずにいた。

 心臓がバクバクして、汗がだらだら垂れていく。

 こんな俺だよ。

 こんな俺のどこがいいの?

 福本さんがまた俺のシャツの袖を引っ張った。

「まだあたしのこと疑ってる?」

 俺はなんとか声を絞り出した。

「いや、最初から福本さんのことを疑ったりしてはいないよ」

「さっきイタズラだって思ってたって言ってたじゃん」

「いや、だから、あいつらのイタズラであって、福本さんが関係しているとは思ってないっていう意味で……。それに、そんな悪いことする人だなんて最初から思ってなかったし。だけど……」

「だけど?」

「けど、自分に自信がないからさ」

 首をかしげた彼女が寂しそうに俺を見上げた。

「あたしのことを信じる自信がないってこと?」

「そうじゃなくて」と、俺は首と手がちぎれ飛びそうなほど振りまくった。「福本さんみたいな人に好かれる理由が全然思いつかないってこと」

 なんだかもう、自分で言ってて悲しくなってくる。

 彼女がふっとため息をついた。

「あんた、ホントにもてないんだね」

 分かってるけど、実際に言われるとヘコむなあ。

「あ、ごめん。言い過ぎちゃった」

 謝られると情けなくてヘコむなあ。

「あんたもさ、けっこういいところあると思うよ」

 フォローされるのもヘコむもんだなあ。

 ついに彼女が笑い出した。

 体育館倉庫に彼女の朗らかな笑い声が響き渡る。

「あー、ごめん、ごめんね。でも、思ってたとおりだよ。あんたって、思ってたとおりの人だね」

 満面の笑みを浮かべた彼女が俺をじっと見つめる。

「ね、あたしじゃだめかな?」

 だめ?

 そんなの答えは決まってる。

「い、いや、あの……」

 彼女がその俺の答えを待っている。

 鼻の頭に浮いた汗が滴となって垂れた。

 そんなみっともない姿をさらしていても、彼女は俺のことをじっと見つめている。

 おい、藤垣海斗。

 しっかりしろ。

 この期に及んで、まだドッキリが続いているんじゃないかという疑念が心の片隅にわき起こる。

 だが、それをすぐに俺は振り払った。

 いいじゃないか。

 彼女を信じるか信じないか、それは俺が決めることじゃない。

 彼女をどう思うか。

 その気持ちはもう最初から決まっていたことじゃないか。

 だまされていようと、その気持ちが揺らぐことなどないのだ。

 俺の気持ちを知っているのは俺自身、俺だけだ。

 俺は覚悟を決めて目を閉じた。

 言え!

 言うんだ、カイト!

「俺は、あなたのことが好きです」

 全身の力が抜けそうになったそのとき、俺の唇に何かが触れた。

 目を閉じたままの俺の耳元で彼女のかすれた声が聞こえた。

「ありがとう」

 そっと目を開けたとき、そこにいるはずの彼女はどこにもいなかった。

 振り向こうとしたとき、鼻をすする音が聞こえた。

「見ないでよ」

 俺は直立不動の姿勢で、閉じたままの引き戸を見つめていた。

「あたしを泣かせた責任とってよね」

 俺はうなずくことしかできなかった。

 人は急に変われるものではない。

 ヘタレはいつまでもヘタレだ。

「でもね、あたしも、そういうところが好きなんだから」

 俺は黙ったまま、彼女のぬくもりを背中に感じていた。