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体育館倉庫の扉は外からは鍵をかけられるけど、こういう事態を想定していないのか、内側からは開けられないようになっていた。
引き戸のレールは防犯用の留め具がついていて、扉がガッチリはめ込まれている。
これでは、持ち上げたりずらしたりして外すこともできない。
通風用の小さな窓はあるけど、人が通れるほどの余裕はない。
鞄を取り上げられてしまってスマホもないから、助けを呼ぶこともできない。
いつもは尻ポケットに入れてあるはずなのに、さっき鞄に入れてしまったのは失敗だった。
トシヤのくだらないメッセージのせいだ
二人で完全に閉じ込められてしまったのは間違いないようだった。
さっきの三人の話からすると、福本さんはコクられた先輩に恥をかかせたことで恨みをかって、あの連中から嫌がらせをされたということらしい。
ただ、かといって、あの下駄箱の手紙を書いたのが福本さんだとするなら、やつらの動画の共犯であることも間違いではないようだ。
いったいどうなっているんだろうか。
ただ、のんびり考えている場合ではなかった。
ここから出る方法を考えなければならないし、非モテ男子ならではの問題もある。
こんな美少女とこんなところに二人っきりで押し込められても間が持たないのだ。
だまされたのかもしれないのに、この期に及んで俺は彼女に気をつかっていた。
何か……何か言わなくては。
こんな状態になって不安な彼女を安心させる一言。
……何一つ思いつかない。
空っぽの頭をいくら探っても気の利いたセリフどころか、まったく何も浮かんでこない。
頭の中は真っ白になるし、血の気が引いていく。
密閉された空間が屋根からの熱でどんどん暑くなっていく。
それなのに彼女は汗一つかいていない。
どうして?
美少女というのは、俺とは違う生き物なのか?
落ち着け、俺。
焦れば焦るほど汗が噴き出すばかりだった。
「あ、いや、あのさ。俺、別に怒ったりとかしてないから」
ようやく絞り出した言葉はそれで精一杯だった。
返事はない。
うなだれているのか、視線をそらしているのか、そもそも俺のことなんか無視しているのか、彼女は無言だった。
「ま、あの、俺も自分のこと、それなりに分かってるつもりだからさ。何かのイタズラだろうなって分かってたし、そのつもりで来てみただけだからさ」
それでもやっぱり反応はなかった。
俺もこれ以上何を言っていいのか分からなくてあきらめるしかなかった。
彼女に話しかけることよりも、ここを早く出る方法を考えた方がいいのかもしれない。
遠くで蝉の鳴き声が響いている。
叫んだり扉をたたいたりしていれば誰か来てくれるだろうか。
普段の日ならそもそも部活の連中が道具を取りに来るんだろうけど、終業式で部活が中止だからその望みは薄そうだ。
他に何か確実でいい方法はないだろうか。
俺が考え事をしていると、誰かのつぶやく声が聞こえた。
「……ちがうの」
え?
福本さんだった。
「違うのよ」
彼女が言葉を重ねる。
違うって、何が?
尋ねようとしても口がカラカラで声にならない。
彼女は俺から顔をそらしたまま話し始めた。
「あいつら最近ね、ああいうイタズラ動画撮ってネットに流してるのよ。まあ、やってることがありきたりだからぜんぜん再生回数盛り上がらないらしいんだけどね」
考えてみると、イタズラなんてやってる当人は面白がってるけど、関係ない人間が見ても調子に乗ってスベってる感じなんだろう。
「あ、勘違いしないでよ。あたしはそんなの絡んでないからね」
彼女は両手を前に突き出して振りながら話を続けた。
「でもね、あいつらが今度はあんたを標的にしようって相談してたからさ。あたしがなんとかしなきゃって思ってさ」
「なんでよ」
「だからその……、どうせだったら、あたしの方がいいじゃん」
「だからなんで」
「なんでもいいでしょ!」と、急に感情をぶつけられてしまった。
しかし、すぐに彼女がつぶやいた。
「ごめん」
「いや、べつに」
相変わらず俺の方は情けないままだ。
しっかり言えよ、俺。
気にしてないからとか、大丈夫だから、とか、いろいろあるだろ。
俺が言葉を探していると、彼女がポツリと言った。
「あんたのせいだからね」
え、俺?
いやいや、俺は被害者だよね。
困惑している俺に、福本さんが強烈な一言を言い放った。
「だって、あたし、あんたのことが好きだから先輩のこと断ったんだし」
アンタノコトガスキ?
たぶん日本語なんだろうけど、言葉として認識できない。
まるで白亜紀の地層から発掘された新種の恐竜の名前みたいだ。
頭の中に文字が浮かんでくるのに、形が崩れてまるで意味が分からない。
こういうのなんていうんだっけ?
あ、あれだ!
ゲシュタルト崩壊。
いやいや、そんなことどうでもいいんだよ。
そうじゃなくて、今なんて言った?
アンタノコトガスキ……。
非モテ男子の辞書にない言葉だからいくら脳内を検索しても翻訳不能だった。
『すき』とスマホに入力すると、どういうわけか、『隙、鋤、スキー』が先に出てきて、四番目にようやく『好き』が出てくるくらいの、スマホにまで認定された正真正銘の非モテ男子なのだ。
と、いきなり彼女が俺のシャツの袖をつかんで引っ張った。
うわ、汗でグチョグチョなんだけど……。
でも、彼女はそんなこと、まったく気にしていないようだった。
「だから……好きなの」
はあ?
「好きなんだってば」
俺が何も言えずにいると、どんどん彼女の声が大きくなっていった。
「だから、本気なんだって。イタズラじゃなくてさ、マジで本気なの!」
マジは本気……本気がマジで……マジがマジだから……ええと、何がマジなの?
非モテ回路がショートして認識不能だ。
「あんたのことがずっと好きだったの。ずっと前からずっと見てたの。なのに全然気がついてくれなくてさ、メッチャ寂しかったんだから」
ずっと見ていた。
まるで気がつかなかった。
寂しかった。
みんなに注目されていた彼女が?
俺が気がつかなかったから。
俺のせいで寂しい思いをさせてしまっていたなんて。
まさか、そんなことが……。
彼女にシャツの袖を引っ張られるままに、俺はふらふらと体を揺らしていることしかできなかった。