卒業式の第二ボタン。

『勘違いしないでよね、義理だから』と押しつけられるバレンタインチョコ。

 そんなもの都市伝説だと思ってた。

 だって見たことないんだからさ。

 そういう意味ではトイレの花子さんと変わらないだろ。

 ていうかさ、花子さんが男子トイレにいたら、違う意味でヤバイよな。

 学園七不思議だっけ?

 夜中に駆け出す人体模型。

 涙を流す美術室の石膏像。

 誰もいないはずの音楽室から聞こえてくるピアノ。

 まあ、見たことも聞いたこともない。

 みんなの噂にはなるのに、一度も見たことがないもの。

 非モテ男子にとって、恋愛だって同じようなものだ。

 だから俺はずっと都市伝説だと思ってたんだ。

 今朝、下駄箱の蓋を開けるまでは……。

『放課後、体育館倉庫で待ってます』

 こ、これは……。

 ラ、ラ……。

 口が渇いて言葉が出ない。

 俺はいったん蓋を閉じて名札を確認した。

『1年B組 藤垣海斗』

 間違いない、俺の下駄箱だ。

 俺はとっさにズボンのポケットに二つ折りの紙片を押し込んだ。

 都市伝説だと思っていた下駄箱のラブレター。

 小中と非モテ歴を積み重ね、高校にまで突入してようやく巡り会えた奇跡だ。

 だが……待てよ。

 慎重にあたりを見回す。

 非モテ男子の本能が警報を鳴らしている。

 からかわれてるんじゃないのか。

 どこかで誰かが俺の反応を見てニヤけてるんじゃないのか。

『やーい、引っかかった』

『なになに、期待しちゃったの?』

『なんにも気にしてないってフリが必死すぎて笑えるんですけどぉ』

『非モテ男子が下駄箱を開けたら衝撃の展開!(動画はコチラ)』

 どうせそんなところなんだろ。

 非モテ男子にとって、そんなふうにからかわれるのは恐怖以外のなにものでもない。

 変な汗が出てくるのは、夏のせいだけではないだろう。

 遠くから蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 誰も出てこない。

 登校してきた生徒が数人通り過ぎていくけど、誰も俺のことなど気にもしていないようだ。

「よう、カイト、何してんだ」

 ウワッ!

 いきなり名前を呼ばれて振り向くと、同級生のトシヤがあくびをしながら立っていた。

 なんだよ、おまえかよ。

「なにビビってんだよ」

 冷や汗が流れる。

 まさか、おまえなのか……。

「いや、べつに。暑くてダリいよな」と、相手の様子をうかがいながら、俺はあたりさわりのない返事をした。

「まあ、明日から夏休みだしよ、今日だけ我慢してやろうぜ」

 トシヤの言うように今日は一学期最後の登校日で、明日から夏休みなのだ。

 小学生ならば浮かれるところだろうけど、夏になんの意味もない非モテ男子の俺にしてみれば、終業式だけのためにわざわざ来なきゃならない方が面倒くさい。

 でも、そうじゃなかったら、下駄箱のラブレターを見ることもなかったんだろうな。

 トシヤがさっさと靴を履き替えて歩き出す。

 どうやらこいつのイタズラではなかったようだ。

 俺もトシヤと並んで教室に向かった。

 気づかれないようにチラリと振り向いても、誰かの視線を感じることもない。

 結局ドッキリではないらしい。

 でも誰なんだろうか。

 どんな人なんだろう?

 全然思い浮かばない。

 差出人の名前は書いてなかったもんな。

 そもそも宛名もなかったな。

 待ってるという用件が書いてあるだけだった。

 俺の下駄箱に入っていたわけだけど、本当に俺なんだろうか。

 人違いっていう方がまだ納得できる。

「なあ、おい、聞いてるのかよ」

 トシヤが怒っている。

「あ、ああ、ダリいよな」

「じゃねえよ、終わったら福来軒に寄ってくかって聞いてんだろうがよ」

 ああ、学校の裏にあるラーメン屋の話か。

「悪い、今日はちょっと用事が……」

「なんだよ、体育館裏で女子と待ち合わせか」

 ゲッ、なんで分かる!?

 ていうか、やっぱりおまえが犯人だったのか。

 思わず足が止まり、その瞬間、額から一筋汗が流れ落ちた。

 そんな俺をトシヤが不思議そうに見ている。

「なんだ、どうした?」

「い、いや、なんでもない」

 どうやらただの冗談だったらしい。

 トシヤはラーメン屋の話を続けた。

「おまえが行かないんだったら、しょうがねえな、ケースケにチャーシュー麺おごらせっかな。貸しがあんだよ、あいつには」

「この暑さでラーメンってやばくないか。冷やし中華にしておけよ」

 朝の段階ですでに三十度に届く勢いらしい。

 昼には何度になっているのか想像もしたくない。

「夏こそラーメンじゃんよ。こういうときこそスタミナ補充しないとな。厚切りチャーシューは男のロマンだろ」と、トシヤが俺の肩をがっちりつかむ。

 その無駄なエネルギーが地球温暖化に拍車をかけるんじゃないのか。

 俺はそれどころじゃないんだよ。

 悪いがおまえを相手にしてる暇はないんだ。

 人生最大のイベントが発生したんだからな。

 暑いだけじゃない俺の熱い夏が始まるんだよ。

 とはいえ、結局ラブレターの情報は何も分からないまま教室に来てしまった。

 うちのクラスの誰かなんだろうか。

 だが、クラスの連中はいつもの様子で、特に変わったところはない。

 女子だって誰も俺のことなんか見てもいない。

 まあ、非モテ男子にとっては、これが正常だ。

 と、窓際の席の福本環奈さんと目が合ってしまった。

 クラスイチどころか、学年イチの美人で、入学早々イケメンの先輩からコクられたけどあっさり振ったという噂を聞いたことがある。

 うちのクラスのチャラ男たちも、みんな声をかけて討ち死にしたらしい。

 制服の着こなしですら、他の女子たちとはワンランク、いやはるかにおしゃれさのレベルが違う。

 まさか彼女が相手ってことはないよな、なんてつい妄想に浸っていたら、思いっきりにらみつけられてしまった。

 い、いや、何でもないです。

 俺は思わず目をそらして、窓の外のまぶしい青空を観察していたようなふりをした。

 数秒たってさりげなく視線を戻すと、彼女はどこかに行ってしまっていた。

 ふうっと息を吐く。

 非モテ男子の掟第一条、『女子からは空気と思われておけ』。

 これでいいのだ。

 そこにあるのはいつもと変わらない教室だ。

 ただ、不思議なことに、その同じ風景が少し違って見える。

 昨日までの俺とは違うからか、なんだか何もかもがキラキラして見えるのだ。

 いやいや、浮かれすぎだろ。

 まだ、相手が誰なのかも分からないんだぞ。

 それに、イタズラの可能性だって消えたわけじゃない。

 俺は自分の席に座ると、ポケットに手を当てて紙片を確かめた。

 それは間違いなくそこにあった。

 ただの小さな紙切れなのに、布越しに二つ折りの形がくっきりと感じられた。

『放課後、体育館倉庫で待ってます』

 下駄箱で見た文面が浮かんでくる。

 どんな子なんだろうな。

 正直、期待してしまう。

 それにしても、いったい、俺のどこが気に入ったんだろうか。

 自分自身、まるで分からない。

 スポーツも音楽もセンスがないし、外見もぱっとしない。

 いいとこなんてあったっけ?

 ……。

 なんだろうな。

 一つも思い浮かばないままホームルームが始まってしまった。