床に座ったままベッドにもたれかかり天井を仰ぐ。そしてノートを開いたまま顔にのせた。自分がどんな顔をしているのかわからなくて、それをどこにも晒したくなくて隠す。
先輩が学校に来てくれるのはうれしい。でも、その理由はもしかして、ひとりきりの家にいたくないからなのかもしれない。
先輩からの文章には心細さがにじんでいるように感じる。
「江里乃姉ちゃんー、ご飯まだあ?」
「……まだに決まってるでしょ。もうちょっとだから待ってて」
ドアをノックもせずに部屋に入ってきた弟は、空腹で倒れそう、とでも言いたげに猫背だ。育ち盛りの弟には、先輩と出かけて帰りが遅くなったとき、事前に連絡をしていなかったことで怒られた。帰りにコンビニでデザートを買ってきたから許してもらえたけれど。
「あと一時間以内にはお母さんも帰ってくると思うから」
吹奏楽部で忙しい妹も、そろそろ帰ってくるころだろう。もうちょっと待ってて、ともう一度言うと、弟は唇をとがらせて「じゃあゲームしていい?」と言った。抜け目がない。
仕方がないな、と立ち上がって弟と一緒にリビングに向かう。
両親は共働きで、帰宅もそれほど早くない。まだ妹や弟が幼い頃は夕方には帰ってきてくれたけれど、私が中学生になってからは「江里乃がしっかりしているから」という理由で残業をするようになった。顔を合わせるのは朝と晩だけ。休日も部活だとかでよく家を空ける。
それを不満に思ったことはない。世話を焼くのは嫌いではないし、家事も嫌いじゃない。けれど、弟はまだ小学生だ。それに、私だってまったくさびしさを感じていないわけではない。
弟がテレビゲームの電源を入れる。その後ろでソファに座り、作りかけの布巾を取り出した。
私に刺繍という趣味ができたのは、必要に駆られたこともあるけれど、時間つぶしにちょうどよかったからだ。余計なことを考えることなく夢中になれば、時間が過ぎるのも早い。
テレビ画面と向かい合いコントローラーを操作する弟の背中を見ながら、布に針を刺していく。
今ここに私ひとりだったら、どれほど心細かっただろう。
あと一時間もすれば母親が帰ってくるとはいえ、想像するだけで室内の温度がぐんっと下がっていく。
先輩はどんな気持ちで今を過ごしているのだろう。
私のことを救ってくれた先輩に、私はなにができるだろうか。先輩がいなければ、私は今も生徒会には顔を出せなかっただろうし、腹痛を我慢して無理をし続けていたはずだ。佐々木さんの気持ちを知ることもできなかったに違いない。
先輩は私の今も、未来も、救ってくれた。
感謝してもしきれないこの想いを、先輩にどう返せばいいのだろう。
また、ちくりと布に針を刺す。吸い込まれるように刺繍糸が通り、そしてまた針を刺すとそこから伸びてくる。その繰り返し、そしてときに糸を針に巻き付け、柄を生み出していく。ピンク色の糸が、絵を描く。
先輩の好きな人は、そのさびしさを和らげてくれるようだ。もしかしたら、今も一緒にいるのかもしれない。一緒に笑っているのだろうか。
想像すると、少し胸がざわついた。
体の中の、手の届かないどこかがうずく。