「先輩?」
「あ、ニノ先輩!」

 私の呼びかけをかき消すような明るい声に振り返る。

「邪魔しちゃいました? すみません」

 先輩しか視界に映っていなかったのか、私の顔を見て声をかけてきた女子が申し訳なさそうに頭を下げた。前に中庭で先輩と話していたサイドテールの女子だ。近くで見ると、かわいいとか美人な顔立ちではないけれど、愛嬌のある親しみやすい雰囲気を感じた。

「よう、藍」

 先輩が手を上げてサイドテールの女子に挨拶する。『藍』『ニノ』というあだ名で呼び合うほど親しい関係らしい。

 生徒会があるので、と先輩に声をかけてふたりから離れる。そっと後ろを振り返ると、先輩と女子は楽しそうに笑いながら並んでどこかに向かっていくのが見えた。

 先輩の好きな人って、やっぱりこの子なのだろうか。

 もやっとした黒い煙みたいなものがお腹の中で立ち上がり、ん、と思うと同時に消えた。はじめての奇妙な感覚に、お腹をさすりながら歩いた。

 生徒会室にはすでに関谷くんと会計の男子、そして佐々木さんもそろっていた。

「お疲れ様です」
「今日もよろしく」

 はい、と元気に返事をする佐々木さんに「先週頼んだ資料持ってきてくれた?」と確認して、先週置いて帰ったプリントの束をまとめる。返事がないなと顔を上げると、佐々木さんは笑顔のまま固まっていた。おそらく頭をフル回転させているのだろう。

「え? あ、あ、ああ!」

 このやり取り、先週末もしなかっただろうか。

「すみません! うっかりしちゃって。あ、今からならまだ間に合いますかね? ちょっと行ってきます」

 佐々木さんは時計を見てすぐに飛んでいった。

 結果的にちゃんともらってきてくれればいいけれど、私が言い出すまですっかり忘れていたことを考えると頭が痛い。先週の話を彼女はどう受け止めているのだろう。

 関谷くんは眉を下げて心配そうに見ていた。心配するなら彼からも佐々木さんに注意したり、指導したりしてくれないだろうか。

 十分ほどして、佐々木さんは息を切らせて戻ってくる。「すみません」と差し出されたそれは、たった二枚。内容を見ると、試験会場の詳細しかない。

「私、面接のこともお願いしたよね?」
「え、あ、ああ!」
「……あと三年生の送別会のこととかは? 聞いてないの?」

 いらだちがおさえられなくて、額に手を当てて肘をついた。

「あの、すみません」
「すみませんすみませんって、謝るなら改善してくれない? メモをとって確認するとか、考えないの? いつまで続けるつもり?」

 佐々木さんが、みるみる表情をこわばらせていく。普段は明るいからこそ、その差が顕著に出る。

「すみま、せん」
「それしか言うことないの? 私は、改善策を聞いてるんだけど」
「すみません、すみません」

 それ以外の言葉はもう返ってこないようだ。それに、声に涙が浮かんでいるのがわかる。これ以上なにを言っても彼女には届かないだろう。ひたすら頭を下げる佐々木さんに、大きなため息をついた。

「もういいわ。自分でするから」

 三年がテスト中なので、今の時間なら桑野先生がつかまるかもしれない。カバンとコートをつかんで立ち上がる。とりあえず急がないと。

「松本、自分ができるからって、他人もできるのが当たり前なわけじゃないよ」

 背後から聞こえてきた関谷くんの声に、カチンとくる。