ふふっと、子どもが甘えられるのがうれしいみたいに笑う。

 キッチンが新品のようにピカピカだったのは、あまり使用していないからかもしれない。この家で、先輩はほとんどの時間をひとりで過ごしているのだろうか。

 とても広くて、きれいなマンションだ。
 だけど、ひとりでは、広すぎる。

「それは、さびしいですね」
「まあ、昔からだから。それぞれ好きに生きてるからか、俺のことに口出ししないのは結構楽だよ」

 だとしても、体調を崩したときは心細いはずだ。

「ご飯、とかは」
「自分で作ることもないわけじゃないけど、外食とか出前が多いな。小学校くらいまではお弁当が用意されてたりもしたけど」

 私の両親も共働きだ。けれど毎日顔を合わせている。体調が悪いときは仕事を休んでついていてくれる。両親がちゃんといてくれれば、先輩が学校に行って風邪が悪化するようなことにはならなかったはず。

「そのぶん家族がそろって外食とかするときはめちゃくちゃ楽しいけどな。全員好き勝手しゃべって、しっちゃかめっちゃかになるんだ」

 ふは、と先輩が思い出し笑いをする。けれど、その表情にはさびしさが含まれていた。

 先輩に、こんな表情は似合わない。

 いつも笑っている先輩が、こんな気持ちを隠していたなんて。笑いながらもひとりの時間を過ごしてきたのかと思うと、くやしくて憤る。

 先輩は、若葉のようなまぶしいほど生き生きとした人のはずなのに。

 思いがけず、知らなかった先輩の一面に、胸が締め付けられる。

「……でも、そんなの、親としておかしいですよ」
「それでいいんだよ、俺は」

 私の言葉を、先輩が力強く遮る。

 風邪で弱っているはずなのに、先輩のまなざしは、強い。

「誰にも大なり小なりみんな不満ってのはあるもんだろ。完璧な人もいねえし。それが、俺にとってはときどきさびしい、ってだけのこと」

 そう言われると、そう、かもしれない。

 母の口うるさいところとか、料理があまりうまくないところとか、父の気が弱いところとか、妹の生意気なところに弟の甘えん坊なところ。それぞれに不満はある。家族だけじゃない、友人にだってそうだ。

「普通も、幸せも、不満も、いろんな形があるもんだろ?」

 先輩に、私は一生かなわないなと思った。私は、そんなふうに考えたことがなかった。自分の思うものが正解だと知らず知らずに思い込んでいたのだと気づかされる。先輩のまわりにたくさんの人がいるのは、みんなを受け止めてくれるあたたかくて大きな考えかたをするからなのかもしれない。

「なにも知らないのに、すみません」

 関谷くんに言われた内容も、佐々木さんに対する対応も、きっとどこかですべてはつながっている。私は、同じところでいつも失敗をしているのだ。

 昔から、ずっと。