いやいや、まさかね。だって学校だし。さすがにそれはないか。

「あの、先輩?」

 もう一度呼びかけると、先輩は振り返った。その目は、潤んでいる。そして、足を止めたかと思うとふらついて靴箱にぶつかった。握られた手に、じわりと汗が浮かんできていた。先輩の手が、あまりに熱いからだ。

 つながっていた手をぐいと引き寄せて、先輩に顔を寄せる。ぺたりと額に手を当てて、そのままコートのファスナーを下ろす。顔はほてったように真っ赤に染まっていて、呼吸が荒い。コートでこもった空気から熱を感じるのに、先輩の体はかすかに震えている。

 ――この症状は、間違いなく風邪だ。




「つ、疲れた……」

 家の中でがっくりと膝をつく。

「悪いな、江里乃ちゃん」
「悪いと思ってるなら、早く着替えてベッドに入ってください」

 そう言うと、床に座り込んでいた先輩はふうっと気合いを入れてから立ち上がりベッドに腰掛けた。その様子を確認してから、リビングに向かう。

 家、といってもここは私の家ではなく、先輩の住むマンションだ。

 学校でよろめいた先輩をひとりで帰らせることができず、 学校の最寄り駅から二駅、徒歩で五分にあるという先輩の家まで送り届けたのだ。おまけに家には誰もいないというので駅前にある薬局で風邪薬と食べられるだろうものをいくつか買ってきた。話を聞けばお昼になにも食べていないらしい。

 意識はあるもの の体に力が入らないらしく、ずっと肩を貸していたせいで体が痛い。話を聞けば朝から体調が悪く、今日は一日保健室で過ごしていたらしい。どうして休まないのか理解ができない。

 腰を叩きながら誰もいないリビングに「お邪魔しますー」と小声で言った。

 マンションの外観から気づいていたけれど、先輩の家はかなり広くてきれいだ。シンプルなリビングは、二十畳近くありそうだし、置かれているソファはどう見ても高級そうだし。窓から見える景色は、十八階建ての十六階ということもあり、なかなかいい。先輩の家はお金持ちだったようだ。

「なんか、モデルルームみたいだなあ」

 ほわーっと口をあけて、オープンキッチンをまじまじと見る。我が家の油がこびりついたコンロとは別物の、ぴっかぴかのコンロが眩しい。流しも水あかがない。スポンジだってきれいだ。どうやったらこんなふうに保てるのか教えてほしい。

 でも、きれいすぎるとさびしげな空気を感じるのだと、今日初めて知った。この家の中は、外よりも寒々しい。

 部屋の観察はほどほどにして、今は先輩をどうにかしなくてはいけない。

「冷蔵庫失礼しまーす」

 勝手に人の家の冷蔵庫を開けることに躊躇しながらも、さっき買ったスポーツドリンクや桃の缶詰を入れていく。そしてレトルトのおかゆを耐熱容器(だと思われる)にあけ、ラップをかけてレンジであたためる。