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   じゃあ ななちゃんって呼ぼうかなあ
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   っていうか敬語もいらないし
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   あー もうすぐ卒業か
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   好きな子に会えなくなるんだなあ
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 私の名無し希望をあっさり受け入れ、先輩はあだ名までつけてくれた。返事を読んで、ほっとすると同時にかわいいな、と思う。

 ななちゃん、か。

 そう、このノートの私は〝ななちゃん〟なのだ。

 あれほど名前を隠してやり取りを続けることに抵抗があったのに、一度覚悟を決めてしまえば驚くほど気持ちが軽い。今はただ、こうして交換日記が続けられるという状況がうれしい。そう思うとふにゃふにゃと口元が緩んでしまう。まわりには誰もいないのにマフラーを引き上げて隠してから、素知らぬ顔をして廊下を歩き出した。

 誰も知らない自分が、ノートの中だけにいる。

 ななちゃんは、この世に存在しない、私であって私でない女子だ。

 不思議な気分だな。昨日から、自分が浮かれているのがわかる。そのせいで昨晩も延々と刺繍をしてしまった。「お姉ちゃんティッシュカバーこんなにいらないし!」と妹に文句まで言われて、弟には「もうちょっとシンプルな巾着じゃないと恥ずかしいからやめて」と止められたくらいだ。

 とりあえず、みんなが教室にやってくるまでに返事を書かなくちゃ。

「松本?」

 声にならない叫び声が出た、気がした。

 こんな時間に、なんで。

 暴れる心臓をおさえて恐る恐る振り返ると、黒色のコートを羽織った瀬戸山が私を見て「おっす」と気さくに手を上げる。

 思いも寄らない人物に「おはよう」という返事は震えてしまった。幸い瀬戸山は私の様子に気づいていないらしく、「相変わらず早いな」と近づいてくる。

「瀬戸山はいつもこんなに早くないよね? どうしたの」
「妹が遠足で待ち合わせ時間が早かったからついでに出てきただけ」

 そういえば、年の離れた妹がいると希美が言っていた。

 そうなんだ、と返事をして会話は終わるかと思ったけれど、瀬戸山は私を見たまま動かない。瀬戸山は理系コースなのでここで私と反対方向に向かうはずだ。けれど、瀬戸山はなにか言いたいことがあるのか、口をもごもごと動かしている。

「あの、さ、なんか、悪かったな」
「……うわあ、それ、惨めになるやつだわ」

 なんのことを言っているのか察して、大げさに顔をしかめ肩をすくめた。そんな私に瀬戸山は「だな」と言う。私が本気で言っているわけじゃないことをわかってくれたのだろう。

「じゃあ、またな」
「はいはい」

 ははっと目を細めてから、手を上げて瀬戸山は背を向けた。